山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼230号 「大峰山・宿坊前鬼の里」

【概略】
飛鳥時代役ノ行者の忠実な従者だった前鬼後鬼。前身は鬼だったと
もいわれ、行者の死後この里に住みつき天狗になって大峰山を守護
したという。その子孫がいまでも行者や登山者のために宿坊を営ん
でいてくれる(前鬼小仲坊)
・奈良県下北山村

▼230号 「大峰山・宿坊前鬼の里」

【本文】
修験道の道場・大峰山脈(奈良県)に「前鬼の里」という所があ
ります。ここは前鬼・後鬼(ぜんき・ごき)という2匹の鬼の子
孫だという。鬼の子孫といっても立派な人格の持ち主。

前鬼・後鬼とは役ノ行者(えんのぎょうじゃ)の従者で、各地で
よく見かける役ノ行者像が従えるあの2匹の鬼です。2匹は夫婦
だとされ、前鬼が赤目という夫鬼、後鬼は黄口で女房だという。
酒によって目を赤くしてうたう夫を、黄色い口を開けて笑う妻の
姿をあらわしているらしい。

飛鳥時代の大宝元(701)年、役ノ行者が昇天(仙人になったとい
う)したのち、2鬼は行者の遺言により、大峰の行場をまもるこ
とに生涯をかけ、峰入り道の吉野、熊野の境界にこの里を開き、
そこをすみかに天狗となって修験道の山をまもり、訪れる行者や
登山者の面倒を見続けているだというのです。

その子孫は、江戸時代までに5つに分かれ、鬼熊、鬼上、鬼継、
鬼助、鬼童の姓を名のり、まとめて「五鬼」といい、それぞれ坊
を経営していましたが、場所が場所。こどもたちは学校へ行くだ
けで一日がかり。帰りは夜中になるありさま。次々に里へ移転し
てしまい、いまは小仲坊(五鬼助)だけが1300年の伝統を受けつ
いでいます。

ある年の初秋、和歌山県熊野本宮から奈良県吉野までの縦走(順
峰・じゅんぷ。逆は逆峰・ぎゃくぶと呼ぶ)の途中、前鬼の里に
寄りました。前鬼の里は南側が開かれ、明るく気持ちのよい場所
です。

裏山には、かつてあった5軒の家の石垣の屋敷跡が残っていて、
各屋敷の説明板もあり、昔の面影をいまに残しています。石垣に
囲まれた行者堂のそばに小仲坊の旧坊があり、横に新しい大きな
宿坊が建っています。

住人は留守で「建物を自由に使って下さい」との張り紙がありま
す。有り難い。さすがに心が広いものです。3、40畳はあるだろう
か、新しい立派な宿坊、ま新しい畳と柱のにおい。まん中に大の
字に寝てみます。

だーれもいない山深い里にたった一人。世間から遠く離れた別天
地とは、ここのことかと思いました。起き出して宿坊のまわりを
散歩してみます。石垣にかこまれた行者堂の前を、見たこともな
い色をした2m以上もあるヘビが2匹。

雌らしき小柄な方をかばうように私の前を通り過ぎていきます。
仲の良かったといわれる前鬼五鬼夫婦の姿をみるようで、その神
秘さも一段と増していきます。ただ軒下にこれも新しい公衆電話
があるのが何となく場違いな感じがしました。


▼【データ】
★【所在地】
・奈良県吉野郡下北山村。近鉄吉野線大和上市駅から特急バス2時
間前鬼口バス停・さらに歩いて3時間で前鬼の里。前鬼小仲坊があ
る。地形図に地名と建物記号、大峯奥駆道の文字の記載あり。付近
に何も記載なし。

★【位置】
・【前鬼の里】緯度経度:北緯34度05分48.43秒、東経135度55分29.
68秒(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)

★【地図】
・2万5千分の1地形図「釈迦ヶ岳(和歌山)」

★【山行】和歌山県南部川村大峰山縦走
・某年9月12日(日・晴れ)探訪

★【参考】
・『図聚天狗列伝・西日本編』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭
和52)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・『角川日本地名大辞典29・奈良県』永島福太郎ほか編(角川書店)
1990年(平成2)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよた 時】

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