▼225号
「中ア・木曽御嶽山頂の祠」
【概略】
王の御岳という意味の「王岳」がおのたけになり、さらに「おんた
け」になった木曽御岳山。登山口ごとに御嶽神社奥宮があり、最高
峰の剣ヶ峰にも奥社がある。奥社は国常立命、大己貴命、小彦名命
をまつる。吉野の金峰山から蔵王権現を勧請したという。
・長野県王滝村、三岳村との境
▼225号
「中ア・木曽御嶽山頂の祠」
信仰の山としてあまりにも有名な木曽御嶽山(3067m)。御嶽山に
は、登山口ごとにそれぞれ奥宮があり、最高峰の剣ヶ峰にもりっぱ
な奥社がまつられています。
まつられている神さまは、天地開闢の最初にあらわれた神世七代の
第一の神・国常立命(くにとこたちのみこと)と大国主命(おおく
にぬしのみこと・大黒さま)である大己貴命(おおなむちのみこと)、
温泉神ともされる小さ子神・少彦名命(すくなひこなのみこと)だ
そうです。
この山は修験道の祖・役ノ行者が、707(大宝2・飛鳥時代)年に
開山した山だともいわれています。また頂上奥社は同年に信濃国の
国司・高根道基が創建したともいわれています。
御嶽山ははじめ、「王岳」、「王の御嶽」と敬って呼ばれ、平安時代
の貴族が御嶽詣、御嶽精進などを行う風習もあったという。
中世「王岳」が「おのたけ」になり、室町中期にはさらに転訛して
「おんたけ」となったという。山そのもを崇拝した時代から修験道
の山になり、御嶽(みたけ)の名がつく奈良吉野の金峰山(きんぷ
せん・金の御嶽)から、役ノ行者が感得した蔵王権現(ざおうごん
げん)を勧請、「王御嶽(おうのみたけ)蔵王権現」と称したとい
う。
「金の御嶽」の流れをくむ各地の御岳は、すべてミタケといい、本
山の金峰山に対して国峰(国御嶽・くにのみたけ)といっているそ
うです。
そのひとつであるここの御嶽だけが、オンタケと呼ばれています。
王御嶽蔵王権現の文字は奥社の円形の石碑に見られます。
▼【データ】
【所在地】
・長野県木曽郡王滝村と木曽町(旧木曽郡三岳村)との境。中央本
線木曽福島駅の北西20キロ。JR中央本線木曽福島駅からバス、田
の原から歩いて4時間20分で木曽御嶽剣ヶ峰。一等三角点(3063.4
m)とすぐ西隣に写真測量による標高点(3067m・標石はない)が
ある。御嶽神社の奥社がある。山頂北直下に一の池がある。地形図
に山名と三角点の標高、標高点の標高と神社(鳥居)記号の記載あ
り。付近に何も記載なし
【名山】
・深田久弥選定「日本百名山」(第60番):日本二百名山、日本三百
名山にも含まれる。
・田中澄江選定「花の百名山」(第71番・リンネソウ)
・岩崎元郎選定「新日本百名山」(第63番・長野県)
【位置】
・標高点:北緯35度53分34.74秒、東経137度28分49.55秒
・三角点:北緯35度53分35.06秒、東経137度28分50.3秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「御嶽山(飯田)」
【山行】木曽駒ヶ岳・麦草岳・木曽御嶽・蓼科山
・某年9月8日(火・快晴)探訪
【参考文献】
・「角川日本地名大辞典20・長野」(角川書店)1991年(平成3)
・「コンサイス日本山名辞典」(三省堂)1979年(昭和54)
・「山岳宗教史研究叢書・9」(富士・御嶽と中部霊山)鈴木昭英編
(名著出版)1978年(昭和53年)
・「新稿日本登山史」山崎安治著(白水社)1986年(昭和61)
・「日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・「日本歴史地名大系・長野県」(平凡社)1990年(平成2)
|