山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼219号 「南ア・北岳の石祠」

【概略】
北岳は南アルプス白根三山の北端の山。富士山に次いで2番目の標
高。ここも山岳宗教の道場でかつて芦安村の香取直江が広河原から
の登山ルートを開き、途中に「甲斐ヶ嶺神社」を建て、山頂に大日
如来をまつったという。その石祠が十数年前まであったという。
・山梨県芦安村と早川町との境

▼219号 「南ア・北岳の石祠」

山梨県南アルプス市と同県早川町にまたがる北岳は、南アルプス白
根三山(しらねさんざん)の北端の山。白根は、標高が高くまわり
の山々より冠雪期間が長く峰が白くめだつため白峰(根)というそ
うです。

北岳(3193m)はその主峰で、富士山に次いで2番目の標高を誇っ
ています。山名は「平家物語」の「手越(てごし・いまの静岡市)
を過ぎていけば、北に遠ざかりて雪白き山あり、問えば甲斐の白根
とぞいう」という歌からきており、地元では「甲斐ヶ嶺(根)」と
もいうそうです。

2004年(平成16)10月、国土地理院は標高を3192mから3193m
に訂正しました。1814年(文化11)完成の甲斐国四郡の地誌『甲斐
国志』松平定能(まさ)編集(巻之三十三・山川部第十四)に、山
頂に黄金で鋳造した仏像が祀ってあるとあります。

北岳東側斜面東壁のバットレスは標高差800mもあり、その峻険さ
から山岳宗教の道場として江戸中期には山頂に「白根大日如来」が
祀られていたと伝えられています。

明治2(1869)年ころ山梨県芦安の行者名取直衛が、広河原・白峰
御池・北岳のルート開き、自費で山頂に「甲斐ヶ峰神社」の本宮を、
御池の下方に中宮を、また夜叉神峠入口に前宮を建立しました。

しかし、詣でる者もなく、せっかくの名取の努力もむなしく荒廃し
てしまったといいます。

33年後、ウェストンが登ったときにはその残がいが残っていたとい
う。その後、10数年前まで北岳の山頂に石祠の屋根のかけらがあっ
たと書かれた本を読みました。

ン! 10数年前まで? 早速北岳山頂の古い記念写真をひっぱり出
し、ルーペで探しました。その一枚の隅に確かに祠の屋根らしいも
のがあるが、脇に足を組んで座っている人のデカイ登山靴がジャマ
になって、どうしても確認できません。いまとなっては、アア。残
念。

▼【データ】
【山名】・白根三山(しらねさんざん)の北端の山という意味でそ
の名があるそうです。白根は、標高が高くまわりの山々より冠雪期
間が長く、峰が白くめだつので白峰(しらね・根)と呼びます。山
名は「平家物語」の「手越(てごし・いまの静岡市)を過ぎていけ
ば、北に遠ざかりて雪白き山あり、問えば甲斐の白根とぞいう」と
いう歌からきており、地元では「甲斐ヶ嶺(根)」ともいうそうで
す。04年10月、標高を3192mから3193mに訂正した。

【所在地】
・山梨県南アルプス市芦安(旧山梨県中巨摩郡芦安村)。中央本線
甲府駅の西30キロ。JR中央本線甲府駅からバス、広河原から歩
いて7時間45分で北岳(標高3193m)。三角点と標高点がある。
三等三角点(3124.4m)と写真測量による標高点(3193m)があ
る。地形図に山名と三角点の標高、標高点の標高の記載あり。三角
点より北方向553mに肩の小屋がある。

【位置】
・標高点:北緯35度40分27.59秒、東経138度14分19.75秒
・三等三角点:北緯35度40分28.48秒、東経138度14分19.95秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「仙丈ヶ岳(甲府)」

【山行】南アルプス鳳凰三山から白峰三山縦走
・某年8月3日(月・晴れ)探訪

【参考】
・「日本歴史地名大系19・山梨県の地名」(平凡社)1995年(平成7)
・「甲斐国志」松平定能(まさ)編集の甲斐国四郡の地誌。1814(文
化11年)完成:(「大日本地誌大系全48巻」(雄山閣出版)
・「北岳」峰谷緑(「甲州の山旅・甲州百山」実業之日本社 所収)
・「甲斐国志」(巻之三十三・山川部第十四):(「大日本地誌大系全4
8巻」(雄山閣出版)
・「新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・「甲斐の山旅・甲州百山」蜂谷緑ほか(実業之日本社)1989年(平
成元)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよた 時】

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