山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

▼215号 「丹沢・塔ノ岳尊仏岩のコイワザクラ」

【概略】
塔ノ岳尊仏山荘の名前のもとである尊仏岩。五穀豊饒の神として信
仰されましたが、1923(大正12)年の関東大震災の翌年再び起こっ
た地震で崩れてしまったという。いまもその土台が残り、毎年春に
なるとへばりついたコイワザクラがびっしりと咲きます。
・神奈川県秦野市と山北町、清川村との境

▼215号 「丹沢・塔ノ岳尊仏岩のコイワザクラ」

山の名前が塔ノ岳で小屋の名前が尊仏山荘。丹沢塔ノ岳(1491m)の
尊仏は山頂の北側にあった拘留尊仏(くるそんぶつ)という大岩の
こと。高さ15〜16mもあり仏像の形に似ており「お塔」とか「尊仏
岩」といって敬ったという。

しかし、1923年の関東大震災の翌年の1月15日、再び起こった地震
にもろくも、コナゴナになって北西側の大金沢にくずれ落ちたとい
う。いま現場は岩の根元だけが残り、その上に苔むした2体の石仏
があるだけです。

尊仏岩は庶民から黒尊仏(拘留尊仏)とも呼ばれ、五穀豊饒の神と
して、雨乞いの神として信仰された大岩。『新編相模風土記稿』(巻
之16村里部足柄上郡巻之5大井庄)玄倉村(久呂久羅牟良)の項
にも「塔ノ嶽 村東大住郡境にあり、此山の中腹に土俗K尊佛と唱
ふる大石あり。

高五丈八尺許、其形座像の佛體に似たり。故に此稱あり。此山を他
郷にては、尊佛山と唱ふ、土民の?に、旱魃の時、登山して此石に
祈請し、雨を乞と云、又石上に生ずる苔を土人御衣と称し瘧疾を煩
ふ者あれば、是を取て煎じ用、必効験あり、郡中三廻部村觀音院に
ては、此石を孫佛尊と呼び、其寺の山號をも孫佛山と唱へり、何の
縁故ありや詳ならず、猶三廻部村の條に辨ず」とあります。

ここはかつて5月15日がお祭りで、その日には近郊の農民が作物の
種やもみをもって登り、尊仏岩に供え、お互いに交換しあったとい
う。

またこの岩には雷神が住むともいわれ、ひでりの年には雨乞いをし
て、岩の穴に棒を差し込み突っついたという。中に住んでいる雷神
を怒らせ、雨を降らせようというあんばいです。

かなり以前ですが、尊仏山荘で山のはがき画【ひとり画展】の展覧
会を開かせてもらったことがありました。尊仏岩にはかれんなコイ
ワザクラがびっしり。しかし1週間後には、花はおわりしぼみかか
っていました。人知れずまた来年に向かって花を咲かせる準備をす
るのでしょうか。

▼【データ】
【山名】・とうのだけ。山頂北側にあった尊仏岩の尊称お塔による。

【所在地】
・神奈川県秦野市と同県足柄上郡山北町、同県愛甲郡清川村との境。
小田急線渋沢駅からバス、大倉から歩いて3時間30分で塔ノ岳。三
等三角点(1490.9m)と尊仏小屋と尊仏山荘、がある。地形図に山
名と三角点と標高、尊仏山荘の文字の記載あり。

【位置】
・三角点:【緯度経度】北緯35度27分14.67秒、東経139度09分47.86
秒(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「大山(東京)」(国土地理院「地図閲覧サ
ービス」から検索)。5万分の1地形図「東京−秦野」(国土地理院
「基準点成果等閲覧サービス」から検索)

【山行】丹沢塔ノ岳ひとり画展個展
・1987年(昭和62)4月18日(土)〜 5月24日

【参考文献】
・『あしなか4第80輯』(山村民俗の会)1981年(昭和56)
・「角川日本地名大辞典14・神奈川県」伊倉退蔵ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・「かながわの山」植木知司(神奈川合同出版)1981年(昭和56)
・「新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『新編相模風土記稿』(巻之16村里部足柄上郡巻之5大井庄):大
日本地誌大系19「新編相模風土記稿・1」(雄山閣)1980年(昭和55)
・「尊仏2号」栗原祥・山田邦昭ほか(さがみの会)1989年
・「丹沢の五月十五日」山岸猛男(山村民俗の会)1962年(昭和37)
・「日本歴史地名大系・神奈川県」(平凡社)1990年(平成2)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよた 時】

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