山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

▼197号 「奥多摩・石尾根将門の馬場の伝説」

【概略】
石尾根には、将門にちなむ地名がならぶ。将門七部将が化石になっ
た姿とされる七ツ石山からつづく鷹ノ巣山東方に(将門の)城山が
あり、となりには将門の馬場もある。「承平・天慶の乱」平貞盛・
藤原秀郷の連合軍に討たれるまでこの地で馬術のけいこに励んだろ
うか。
・東京都奥多摩町

▼197号 「奥多摩・石尾根将門の馬場の伝説」

【本文】
 東京都の奥多摩には、平将門にちなんだ場所が多い。奥多摩町
棚沢、峰畑、城地区には将門神社があり、とくに棚沢には「将門」
という地名まであります。

 埼玉県秩父地方の伝説では、生き残った将門の一族が奥多摩方
面に移住、子孫が繁栄していったとしています。山梨県側の山梨
県北都留郡丹波山村、山梨県北都留郡小菅村には敗退した将門と
その一族が、京都から落ち延びてきて東へ下っていったとの伝説
もあります。

 そのせいか、奥多摩の最高峰雲取山(2017m)から東へJR奥
多摩駅まで伸びる石尾根には、将門にちなむ地名がならんでいま
す。将門七部将が化石になった姿とされる七ツ石山からつづく鷹
ノ巣山東方に(将門の)城山があり、となりには「将門の馬場」
というところもあります。

 これは日原側の呼び方で、「馬責場」ともいうらしい。馬責場と
は現実感がある名前ですね。登山道は山頂を通らずいつの間にか
過ぎてしまいますが、いわれてみればなるほど馬場だったかと思
わせる平坦な地形です。

 平安時代の承平5(935)年からはじまった「承平・天慶の乱」
で、天慶3(940)年に平貞盛・藤原秀郷の連合軍に討たれるまで
(下総の國辛島郡北山(北山についてはいまの岩井の北原、国王
神社付近、辺田の北山など比定地は多い)。

 常に一緒だったという6人の影武者とともに、この地で馬術の
けいこに励んだのでしょうか。さらに行くと登山道は急に下りま
す。ここを「大堀」というそうで、その名のように将門の濠があ
った所だといいます。

 ちなみに「承平・天慶の乱」は、平安時代中期に同時期に起こ
ったふたつの反乱。関東の「将門の乱」と、瀬戸内海で起きた「藤
原純友の乱」。

 当時朝廷はこの反乱を、平将門と藤原純友の2人が共謀している
のではと恐れられました。しかし瀬戸内海の乱の方は、将門の反乱
を知った藤原純友が、政府の混乱に乗じて、事を起こしたのだとさ
れているようです。

 平将門は鎮守府将軍良将(よしまさ)の子。若いころ上京して
藤原忠平に仕えたのち、帰郷して父のあとを継ぎ、下総國猿島(さ
しま)郡岩井(いまの茨城県岩井市)に本拠を置きました。

 931年(承平1)叔父の下総介良兼(よしかね)と女性問題や遺
領のことで争い、ついには良兼を助けた前常陸大掾(まえのひた
ちだいじょう)源護(まもる)の女婿の平国香(くにか)や良正、
良兼らおじたちと戦い大勝。936年(承平6)、源護の訴えにより
将門は京都に召喚され、禁獄されますが朱雀天皇元服の恩赦を受け
帰郷。

 その間に勢力を回復した良兼は将門を破り、妻子を捕らえるなど
一族間の紛争は激化していきました。これに対して将門は良兼を急
襲して破り、再び東国に勢力を張ります。939年(天慶2)になり、
武蔵国の権守(ごんのかみ)興世王(おきよおう)武蔵介源経基(つ
ねもと)と、足立郡司(ぐんじ)武蔵武芝(たけしば)との紛争の
仲介に乗り出しました。

 が、これに失敗、逆に経基に謀反として訴えられます。こんなな
かで同年11月、常陸の国司を攻め、国衙(こくが・いまの県庁)
に放火したことから、国家への反乱とみなされることになってい
きます。

 しかも、反乱を勧める興世王経基にそそのかされた将門は、関
八州の制圧に成功。自らを新皇(しんのう)と呼び、関東の独立
国家の成立を目指しました。940年(天慶3)になり、藤原秀郷・
平貞盛の連合軍は、農作業が忙しいため将門が軍を解散している
時期をねらって襲撃。

 必死に戦いますが、ついに将門は馬上で矢を額に受けて戦死し
たことになっています。しかし、中央政府に向かって反乱を起こ
した将門をひいきする庶民は多く、地方へ生き延びたという伝説
が生まれています。

▼将門馬場【データ】
【所在地】
・東京都西多摩郡奥多摩町。JR青梅線奥多摩駅からバス水根下
車歩いて3時間で石尾根将門の馬場。写真測量による標高点(145
5m)がある。

【位置】
・標高点:北緯35度49分20.96秒、東経139度02分16.25秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「奥多摩湖(東京)」

▼【参考】
・『奥多摩』宮内敏雄(百水社)1992年(平成4)
・『奥秩父の伝説と史話』太田巌著(さきたま出版会)1983年(昭
和58)
・『奥多摩風土記』大館勇吉著(武蔵野郷土史研究会)1980年(昭和55)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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山旅イラスト【ひとり画通信】
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