山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

▼196号 「北ア・白馬三山鑓温泉湯引き工事」

【概略】
大昔から山菜とりの村人たちに利用されていた白馬三山白馬鑓ヶ岳
直下の鑓温泉。麓にあれば湯治場として客寄せになると1876年(明
治9)、二股という場所まで温泉を引こうと工事をはじめたが、な
だれが三次郎飯場を襲い、21人の命を奪い工事は中断したという。
・長野県白馬村

▼196号 「北ア・白馬三山鑓温泉湯引き工事」

北アルプス白馬鑓ヶ岳(2889m)の東麓に湧く鑓温泉は、日本一、二
を争う高所にあり、白馬三山縦走の人たちでにぎわいます。鑓ヶ岳
からは硫黄がとれるため信州人はかなり昔から採集登山していたと
いう。

この人たちや、山菜採りに入山する人たちは一時の憩いを求めてよ
くこの温泉に入っていたといいます。1897年(明治30)8月、生物
学者で長野県大町小学校長だった河野歳蔵が白馬岳植物採集に登山
しました。その帰りにはすでに鑓温泉には浴槽があったと記録にあ
ります。

鑓温泉は、泉温42度Cの含硫黄カルシウム炭酸水素塩泉で、神経痛、
リュウマチ、疲労回復によいという。そんないい温泉なら、麓まで
温泉の湯を引いて、旅館など開業すればさぞかし……と思うのが人
情です。

明治9(1876)年、5キロあまり東の二股という所に温泉を引こう
と工事を始めた人がいました。しかし、秋になり、新雪なだれが中
腹の三次郎地点を襲い、そこに建ててあった飯場を直撃しました。
その結果、工事の仕事師21人の命を奪ったということです。

それもそのはずで、このあたりはなだれの巣だといいます。その事
件があってから(明治31、2年ごろ)は、鑓温泉は湯治場として夏
だけ小屋掛けするようにしたといいます。いまでもここは夏に組み
立てられ、秋に解体される山小屋になっています。

▼【データ】
【所在地】
・長野県北安曇郡白馬村。JR大糸線白馬駅からバスで50分、終点猿倉
から歩いて3時間で鑓温泉(標高2100m)。地形図に何も記載なし。温
泉西方500mに大出原のお花畑あり。

【位置】
・鑓温泉:【緯度経度】北緯36度43分28.06秒、東経137度45分
59.9秒(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「白馬町(富山)」(国土地理院「地図閲覧サー
ビス」から検索)

【参考】
・「角川日本地名大辞典20・長野県の地名」市川健夫ほか編(角川
書店)1990年(平成2)
・「秘録・北アルプス物語」朝日新聞松本支局(郷土出版)1982年
(昭和57)
・「北アルプス白馬連峰 その歴史と民俗」長沢武(郷土出版社)1
986年(昭和61)
・「信州山岳百科・1」(信濃毎日新聞社編)1983年(昭和58)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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