山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

▼192号 「丹沢・不動ノ峰の不動さま」

【概略】
不動ノ峰の風化した不動像。かつて山伏たちが宮ヶ瀬から早戸川を
つめてやっと登りついた不動ノ峰。ここを霊地として定め、早戸大
滝の上の山に不動明王をまつったのだろうという。古文書『峰中記
略控』にも記載されている。
・神奈川県相模原市と山北町との境

▼192号「丹沢・不動ノ峰の不動さま」

神奈川県と山梨県にまたがる丹沢山塊。その中心・丹沢山から主稜
づたいに蛭ヶ岳へ向かう途中に不動ノ峰というところがあります。

その手前の広場・休憩舎わきに風化した不動さまの石仏があるのを
お気づきですか。形が分からなくなるほど風化してしまっています
が不動さまなのだそうです。

これはもとは不動ノ峰の山頂にあったそうです。不動さまは、清水
の湧く場所や滝によくまつられる仏像です。

丹沢は昔から山伏たちの修行の場でした。蛭ヶ岳は別名毘盧ヶ岳(び
るがたけ)といわれ、修験者たちの本尊である大日如来の異名をも
つ毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)をまつった山だったといことです。

かつて大山修験の系統の日向薬師(ひなたやくし)の山伏たちが宮
ヶ瀬から早戸川をつめて、丹沢山北側下にある早戸大滝で身を清め、
本尊である大日如来をまつる蛭ヶ岳に向かいました。

その途中、やっと登りついたのがこの山(不動ノ峰)です。そこで
ここを霊地として定めて、早戸大滝の上の山に不動明王をまつった
のだろうとされています。

1963年(昭和38)ころ、伊勢原日向薬師堂の常連坊で見つかったと
いう古文書『峰中記略控』にも、「是より峰に登り神前の平地なり。
比所に不動尊あり」との記載があるそうです。

丹沢の研究者・坂本光雄氏は「塔ノ岳孫仏記」(「あしなか」第41
輯(1927年・昭和2)所載)の中で「いままつられている不動ノ
峰の新しい不動の石像は、塔ノ岳の尊仏岩と関係の深い東光院
の本寺である最明寺の第30世の住職・大阿闍梨(あじゃり)真順
坊実辨僧正という偉い坊さんが願主になって、1874年(明治7)に
再建した
もの。

台座の右横には「再建施主・相州足柄上郡金子村惣村中」、左横に
は「世話人堀村源右衛門」、真裏には「別当(寺務を統御した者)
川村東光院」と刻まれている」と意味の記述をしています。新し
いものとはいえ、1874年(明治7)では風化されるのは無理もな
いか。


▼【データ】
【所在地】
・神奈川県相模原市(旧津久井郡津久井町)と神奈川県足柄上郡山
北町との境。小田急渋沢駅からバス、大倉から歩いて5時間で不動
の峰。写真測量による標高点(1614m)と、休憩小屋、風化した不
動明王がある。

【位置】
・【標高点】緯度経度:北緯35度28分37.62秒、東経139度09分
7.21秒(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「大山(東京)」(国土地理院「地図閲覧サ
ービス」から検索)

【参考】
・「かながわの山」植木知司(神奈川合同出版)1981年(昭和56)
・「尊仏」1号(さがみの会)蔵書
・「尊仏2号」栗原祥ほか(さがみの会)1989年(平成1)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

………………………………………………………………………………………………
山旅イラスト【ひとり画通信】
題名一覧へ戻る