山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

▼184号 「中ア・木曽駒ヶ岳濃ヶ池のホコラ」

【概略】
木曽駒ヶ岳北東尾根のカールにある濃ヶ池。昔から濃ヶ池の水は毒
水で池にはヌシの竜が住むとか、また大声を出すと山が荒れるいわ
れ、恐れられてきた。何年か前、池のほとりでテントを張った。流
水で水割りをつくり飲んだが、毒でないのかいまだびまだ生きてい
る。
・長野県宮田村。

▼184号 「中ア・木曽駒ヶ岳濃ヶ池のホコラ」

中央アルプス木曽駒ヶ岳(2956m)も昔ながらの信仰の山です。山
頂の駒ヶ岳神社は室町時代、木曽上松(長野県木曽郡上松町)の人
が建てたもの。

それ以後も江戸時代後期の文化年間あたりから天台宗の行者たちが
登山道を開いています。山頂北東尾根の伊那側カールには崖からし
み出す濃ヶ池があり、池のほとりにヤナギの小木が茂っています。

天台宗教義理論は仏教神道を生じさせているといい、この池のほと
りにも天台大神の石碑や祠がまつられています。

ふもとでは昔から濃ヶ池の水は毒水(「宝暦六年駒ヶ岳一覧記」)で
池にはヌシの竜(「山の伝説・日本アルプス編」)が住むとか、また
大声を出すと山が荒れる(「駒ヶ岳見聞復命書」)などいわれ、神秘
な池として村人に恐れられてきました。

そのため、雨乞いの池(「日本歴史地名大系20・長野県の地名」)と
しても知られます。宝永7(1710)年干ばつに苦しんだ伊那郡小出
村の人たちが権現つるねから登って雨乞いをしたという記録があり
ます。

何年か前、濃ヶ池のほとりでテントを張ったことがありました。ひ
とっこ一人いない静かな湖畔。物音ひとつしません。日も尾根のか
なたの沈み、やがて星が瞬きはじめました。

テントから外に出て、目の前の流水で水割りをつくり、満天の星空
に乾杯します。この水が毒でない証拠にまだ生きています。

▼【データ】
【所在地】
・長野県伊那郡宮田村。JR飯田線駒ヶ根駅からロープウエイ千畳
敷からバス、歩いて1時間30分で濃ヶ池。地形図に池名と湖沼の記
号のみ記載。付近に何も記載なし

【位置】
・濃ヶ池:北緯35度47分41.75秒、東経137度48分59.1秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「木曽駒ヶ岳(飯田)」

【参考】
・「角川日本地名大辞典20・長野県」市川健夫ほか編(角川書店)1
990年(平成2)
・「山の伝説・日本アルプス編」青木純二(丁未出版)1930年(昭
和5)
・「信州山岳百科・2」(信濃毎日新聞社編)1983年(昭和58)
・「新編日本の民話14・長野県」(未来社)1985年(昭和60)
・「日本山岳風土記2・中央・南アルプス」(宝文館)1960年(昭和
35)
・「日本歴史地名大系20・長野県の地名」(平凡社)1979年(昭和54)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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