山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

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▼178号 神奈川県丹沢・姫次の伝説

昔、追っ手から逃れてきた姫が焼山まで来たとき、追っ手に追いつ
かれ、家来は殺されてしまいます。なおも奥へ奧へと逃れましたが、
追いつかれあえなく最期。姫が突き落とされたところから「姫突き」
の名が生まれ、「ヒメツギ」に転訛、さらに「姫次」になりました。
・神奈川県相模原市

 

▼178号「神奈川県丹沢・姫次の伝説」

【本文】
 丹沢山塊の東丹沢の大倉尾根を登り、丹沢主脈を縦走します。
塔ノ岳から、丹沢山、不動ノ峰を通り、蛭ヶ岳を経て北へ下りま
す。しばらくして原小屋平を過ぎ、ひと登りするとベンチのある
姫次(ひめつぐ)という所に出ます。

 地元では「ヒメツギ」と呼ぶそうです。ここは深い谷が尾根に
食い込んでいる丹沢の中では珍しく、カラマツに囲まれた1キロ
四方の高原状の笹原です。姫次原・姫次岳とも呼ばれ、有名な植
物学者で登山家の武田久吉博士はとくに、姫岳と書いてヒメツギ
のルビをふっています。

 博士も著書に丹沢の潅木にはウツギの類が多いと書かれ、ニシ
キウツギやヒメウツギも出てきます。そんなことから一般的に、こ
のヒメウツギが「ヒメツギ」、さらにヒメツグに転訛したのだろう
とされています。

 さらにヒメハギも由来の可能性があるという人もいます。『丹沢
記』を著した吉田喜久治氏は、「ヒメハギ」の「ハ」が「ツ」にす
りかわったか、また「ヒメウツギ」の「ウ」が黙音となったかとし
ています。ヒメハギはヒメハギ科ヒメハギ属の常緑多年草。ヒメウ
ツギはユキノシタ科ウツギ属の落葉低木。

 ここにはお姫さまにちなんだこんな伝説もあります。その昔、追
っ手から逃れてきた姫が、ひとりの家来を連れて丹沢に逃れてきま
した。焼山登山口西野々方面から奥山へ登る途中、岩場のある急坂
にさしかかりました。姫を先に登らせた家来が、ふと見上げると…
…。ハッとなった家来は目をそらし、姫が登り切るまで目をつむっ
ていたという。その坂は「サネミザカ」という名で残っています。

 ふたりがあえぎあえぎ焼山まで来たとき、追っ手に追いつかれ家
来は殺されてしまいます。姫はけなげにもなお奥へ奧へと逃れまし
た。この時追ってきた敵の兵士の松明(たいまつ)が枯れ葉に燃え
移り山火事になってしまいます。それからというもの、この山を「焼
山」というようになったと伝えています。

 その間に姫はさらに奥山へ逃れます。しかし、それもつかの間、
ササ原の場所で追いつかれ、あえなく最期をとげたということです。
姫が突き落とされたところから「姫突き」の名が生まれ、「ヒメツ
ギ」に転訛、さらに「姫次」になりました。この姫こそ「天目山
の戦い」に敗れた岩殿城の小山田八左衛門丞行村の娘・折花姫の
ことでしょうか。

 この話は、神ノ川の折花姫伝説と混同されているようですが、
しかし、姫の父親小山田八左衛門丞行村の墓が青野原西野々にある
のです。岩殿城とはJR大月駅前岩殿山に築かれた城。

 甲斐武田氏17代当主武田勝頼は、天正3年(1575)三河長篠の
戦いで徳川家康・織田信長連合軍に敗れて以来、勢力が激減し、次
第に領国も失っていきました。武田勝頼は1581年、織田・徳川連
合軍を迎え討つため、新府韮崎城を築きます。しかし翌年の1582
年(天正10)、織田信長が武田侵攻をはじめると、勝頼は新府韮崎
城に火をかけて逃れ、山梨県大月市にある家来の小山田信茂の砦で
ある岩殿城を目指しました。

 その道中、笹子峠で小山田信茂が主君勝頼を裏切り行方をくらま
します。行くところがなくなった武田勝頼は、いまの山梨県甲州市
大和村田野の天目山近く(JR中央線甲斐大和駅東方)で嫡男信勝
とともに自害しました(「天目山の戦い」)。こうして平安時代から
続く甲斐武田氏は滅亡しました。その後小山田信茂は、信長方への
帰属を願い出るのでしたが、かえって不忠者として成敗されてしま
います。

 この小山田信茂の一族(従兄弟)に小山田八左衛門丞行村(彦之
丞)という武士がいました。小山田行村は主君小山田信茂留守の間、
岩殿城で城代を勤めていました。彼はあの有名な百足衆(大百足差
物衆)に属する武将だったという。八左衛門丞行村は、岩殿城主信
茂が織田信長に処刑されたという知らせに「信長は必ずここにも攻
めてくる」と確信。大月からいまの神奈川県相模原市津久井地区へ
と入って行きました。

 その一行の中に折花姫(おりばなひめ)という美女がおりました。
小山田行村は、折花姫だけは逃げられるよう、敵の弾に当たり自分
が犠牲になりました。その間に、折花姫は翁と姥を伴い神ノ川の上
流に逃げていったいうのです。

 その後、折花姫は神ノ川沿いに隠れ住みますが、信長・家康連
合軍の追っ手は執拗に探してきます。懸命に逃げるものの、か弱
い姫の足は思うようにはかどらず、たちまち音久和(おんぐわ)集
落のあたりで追いつかれ、ついに姥に矢が当たってしまった。

 姥は姫の打ち掛けをかぶって敵の眼前に躍り出ました。こうして
姫を逃すため息を引き取った場所に「ばば宮」をまつりました。姫
は悲しみのなか、死んだ姥に手向けの念仏を唱えながら、山道を登
っていきました。そこを「アミダ申シ」というそうです。

 だまされたと知った追っ手は渓谷を登っていく二人を発見、矢弾
をうち注ぎます。翁もついに傷つき、苦しい息の下から姫に逃げて
いく行き先を教え、最後の力を振りしぼって敵と立ち向かい討ち死
にしたという。その場所にあるのが「じじ宮」です。

 ひとり残された折花姫は、神ノ川を奧へと分け入っていきました
が、追っ手に取り囲まれ、姫はもはやこれまでと自ら懐剣でのどを
突き、無念の最期をとげたのでした。そこには姫折宮がまつれてい
て、その付近の木を切るといまもタタリがあると伝えられています。



▼姫次【データ】
★【所在地】
・神奈川県相模原市(旧津久井郡津久井町)。JR中央線藤野駅か
らバス、やまなみ温泉下車、藤野町営バス東野行き乗り換え、終
点東野で下車、さらに歩いて3時間で姫次。地形図に何も記載な
し。
★【位置】
・姫次:北緯35度30分32.85秒、東経139度07分56.4秒
★【地図】
・2万5千分の1地形図「大室山(東京)」or「青野原(東京)」(2
図葉名と重なる)



▼【参考文献】
・『落人・長者伝説の研究』落合清治(岩田書院)1997年(平成9)
・『かながわの山』植木知司(神奈川合同出版)1981年(昭和56)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『尊仏2号』栗原祥・山田邦昭ほか(さがみの会)1989年(平成
元)
・『丹沢記』吉田喜久治(岳(ヌプリ)書房)1983年(昭和58)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
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