山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

▼168号「富士山・富士山の誕生伝説」

【前文】
紀元前301年の6月、耳をつんざくような大音響と共に地面から富
士山がわき出しました。まわりの村々は大騒ぎです。大きな目を
見はった大目村、山鳴りで大嵐が来たと思った大嵐村、沢鳴りだ
と思った鳴沢村、どうしたことだといった道志村、見るのは明日
だといった明日見村などの村名ができたという。
・山梨県南都留郡、富士吉田市

▼168号「富士山・富士山の誕生伝説」

富士山はいつできたか。科学的な研究は専門の先生方にまかせてお
くとして、こちらは相変わらず途方もない話でご機嫌を伺うことと
致します。

富士山の誕生伝説にはなぜか第六代孝安天皇の九十二年(「日本書
紀」の記述からの換算で紀元前301年)説と、孝霊天皇五年(「同じ
年代換算で紀元前286年)説が有名なようです。

そのなかから孝安天皇の九十二年説もゆかいな話です。孝安天皇の
九十二年(紀元前301年?)の6月のことだそうです。

耳をつんざくような大音響と共に、突然地面が盛り上がり富士山が
わき出したというのです。このとてつもなく大きな山の出現に、ま
わりの村々は大騒ぎです。

すわ山崩れかと表に飛び出して見ればとてつもない大きな山があり
ます。人々は2度ビックリ、目を見張りました。それから「大目村」
(いまは山梨県上野原市・いまの犬目のあたり)の名ができたとい
う。

また別の村では、音楽のような爆発音がやたらと大きく「賑やか」
で外に飛び出し仰天。「賑丘(賑岡)村」(いまは大月市)の名前に
なったという。またその音に「大嵐」が来たと思ったのは「大嵐村」
(いまは富士河口湖町)の人々。

まだまだあります。大嵐村の隣の鳴沢村では、怪しい沼の「沢鳴り
か」と大騒ぎ。これは「どうした」ことだと慌てたのは南都留郡道
志村。地面にひれ伏し、まるで「毬栗が平つくばった」ように震え
ているのは平栗(いまの都留市)の里人。

そんな中で、のんびりしていたのは明日見村(いまの富士吉田市明
見地区)の人々。一向に気にとめず外に出る者もいません。

ほかの村の人が「おーいッ。タイヘンだ。早く出てきて上を見てみ
ろ」と、いいながら村を中歩きましたが「どうせ大したことない。
あす見よう。明日見よう。」と、ものぐさをきめ込みました。

ところが翌日、外に出てきたときにはには地形が変わってしまって
いて、永久に富士山の姿は見られないようになってしまっていまし
た。

これは『古縁起』という古書にあるお話です。どこからかんなとて
つもない話が出てくるんでしょうか。いやあ、まいりました。

▼【データ】
【山名】富士山、不尽、不二、布士、富慈、芙蓉峰(ふようほう)、
富岳などの呼び方がある。富士山8合9勺(はちごうきゅうしゃく
=3360m)からから上、約400万平方mは、徳川家康が富士山本
宮浅間大社に寄進したとの記録があるが、明治維新後国有地にされ
ていた。

8合目から上の神社の施設のある約16万平方m分は1952年(昭和
27)に大社に譲与されているが、富士山頂が返還されなかったため、
大社側が国を相手取って裁判を起こしました。1974年(昭和49)、
最高裁の判決で大社側の所有が認められた。

しかし静岡、山梨の県境が確定しておらず、登記手続きがとれず(東
海財務局)、2004年(平成16)12月17日、土地の所有権が国から
富士山本宮浅間神社に移った。(2004年(平成16)12月18付け朝
日新聞から)。

しかし、土地の所有権は認められはしたものの、山頂付近の静岡県
と山梨県の県境はまだ定まっていないという。したがって、土地登
記が出来ずじまい。住所は、もちろん静岡県でもなく山梨県でもな
い。所在地は、日本国富士山無番地なのだそうです。

同大社側は「これで所有権の手続きは解決した。県境の問題は県民
感情もあり、登記に向けて時間をかけて解決したい」と話している
という。

【所在地】
・山梨県富士吉田市、山梨県南都留郡鳴沢村と静岡県富士宮市、富
士市、御殿場市・静岡県駿東郡小山町との境だが八合目付近から上
部は富士山本宮浅間大社の「私有地」になっており、境界がはっき
りしていない。富士急行河口湖駅からバス、河口湖口五合目から5
時間30分で富士山頂。電子基準点と三角点が二つある。2万5千
分の1地形図「富士山(甲府)」(別の図葉名と重ならず)5万分の
1地形図「甲府−富士山」:

※注:電子基準点(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」
では標高3774.9mだが「基準点成果等閲覧サービス」では3777.39
mになっている)

▼【位置】
・山頂剣ヶ峰に電子基準点と三角点、白山岳に三角点、火口内に標
高点がある。

・剣ヶ峰に電子基準点(※標高3774.9m)(北緯35度21分38.75秒、
東経138度43分38.3秒)

・剣ヶ峰電子基準点のすぐ南に三角点(標高3775.6m)(北緯35度2
1分38.26秒、東経138度43分38.52秒)

・白山岳に三角点(標高3756.4m)(北緯35度22分0.02秒、東経138
度43分46.43秒)

・火口内に標高点(標高3535m、写真測量による標高点)(北緯35
度21分46.53秒、東経138度43分53.27秒)

【参考】
・「日本山岳風土記・3」(宝文館)1960年(昭和35)
・「富士山・史話と伝説」遠藤秀男(名著出版)1988年(昭和63)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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山旅イラスト【ひとり画通信】
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