山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

▼163号「上越・谷川岳オキの耳の浅間さま」

【概略】
谷川岳はピークがふたつの双耳峰。奥にあるオキの耳には富士浅間
神社がある。南北朝時代、富士山の浅間大菩薩が「人々に幸福をも
たらすためにやってきた。山頂に谷川浅間神社をまつるように」と
いうご託宣。驚いた村人たちがまつったものという。
・群馬県みなかみ町と新潟県湯沢町との境

▼163号「上越・谷川岳オキの耳の浅間さま」

上越国境(群馬・新潟県境)の谷川岳はピークがふたつの双耳峰(そ
うじほう)。JR上越線の群馬県の後閑駅(ごかんえき)方面から、
犬や猫の耳のようにみえるので「耳二ツ」と呼ぶのだそうです。

そして手前のピークをトマの耳、奥のものをオキの耳といっていま
す。トマの耳には薬師如来を、オキの耳には富士浅間神社をまつっ
てあるところから、それぞれ薬師岳、谷川富士の異名があります。

南北朝時代、康暦(こうれき)2年(1380)年の2月初め、不思議
な光があらわれ、谷川岳の山頂を一晩中照らすという事件があった
そうです。驚いた村人は、水上村の祈祷師にお願いし、判断を仰ぎ
ました。

すると祈祷師に神が乗り移り「私は駿河富士(富士山)の浅間(せ
んげん)大菩薩である。多くの人々に幸福をもたらすため、この地
にやってきた。山頂に谷川浅間神社をまつるように」という神さま
からのご託宣(たくせん)がありました。

さっそく村人は雪どけを待って谷川岳に登り、不思議な光があらわ
れたところに浅間大明神をまつり、富士権現としたのだそうです。
また里宮を利根郡みなかみ町(旧水上町)に造り、山頂の奥宮に参
詣できない老人や夫人はこの神社に参詣したのだそうです。

「谷川富士縁年祭式」の申(さる)年だけの年記「大大御神楽修行」
という記録には「当庚申大祭期年々相当候ニ付、六月朔日山開ニ而
七月廿九日迄不限男女登山相成候間、御信心輩者御参詣可被成候」
とあり、富士信仰が庚申信仰と結びついていたことが記されていま
す。

また男女にかかわらず山頂まで参詣せよとあり、ほかの山々と違い
女人禁制はなかったようです。いまでもオキの耳近くの岩に洞くつ
があり、祠の穴にその時の浅間神社奥宮がまつってあります。普通
は何気なく通り過ぎてしまうところですよね。

▼【データ】
【山名】双耳峰が、後閑駅方面から見ると犬や猫の耳のようなので
「耳二ツ」と呼ぶ。オキとは奥または沖のことで、トマは手前・入
口(トバクチ)という意味だという。

【名山】
・(第30番・谷川岳)日本百名山(深田久弥選定・日本二百名山、
日本三百名山にも含まれる) ・(第29番)新日本百名山(岩崎元
郎選定) ・(ナシ)花の百名山(田中澄江選定)

【所在地】
・群馬県利根郡みなかみ町と新潟県南魚沼郡湯沢町との境。JR上
越線土合駅から20分ロープウエイ天神平から3時間で谷川岳オキの
耳。写真測量による(1977m)と浅間神社の奥社がある。地形図に
谷川岳とオキの耳標高点の標高の記載あり。標高点より南方293m
にトマの耳の標高点(1963m)、468mに肩の小屋がある。

【ご利益】
・安産、子授け

【位置】
・標高点:北緯36度50分13.6秒、東経138度55分48.6秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「水上(高田)」or「茂倉岳(高田)」(2図
葉名と重なる)

【参考】
・「古代山岳信仰遺跡の研究」大和久震平(名著出版)1990年(平成
2)
・「日本山岳風土記4」上信越国境の山々(宝文堂)1960年(昭和3
5)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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