山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

▼154号「南ア・赤石岳88歳大名登山」

【概略】
1926年の夏。人夫200人が山駕籠を担ぎ静岡側の椹島から赤石岳を
めざす。おん年88歳の大倉喜八郎の大名登山だ。金貨銀貨を投げ与
えながら登頂を果たしたという。当時ここの山はすべて喜八郎のも
の。おなじみの荒川小屋は、この時建てられたものという。
・静岡市と長野県大鹿村との境

▼154号「南ア・赤石岳88歳大名登山」

1926年といえば大正15年。その夏のこと。あと数ヶ月で昭和になる
ころのお話です。「エッホ !エッホ!」と人々のかけ声が南アルプ
スにこだまします。

ナント200人あまりの人夫が特別製の山駕籠(かご)を替わり替わ
り担ぎながら、静岡県側の椹島(さわらじま)から赤石岳(あかい
しだけ・3120m)めざして登ってきます。

乗っているのは、白髪にひげもまっ白な老紳士。大倉財閥を一代で
築いたおん年88歳の大倉喜八郎の大名登山の姿。あえぐ人夫たちを
叱咤ゲキレイ、金貨銀貨を投げ与えながら登頂を果たしたというか
らものすごい。

当時このあたりの山林はすべて大倉喜八郎のものだったという。登
山者が一度は泊まる荒川岳・赤石岳途中にある荒川小屋は、この時
はじめて建てられたものとか。それから3年後に大倉喜八郎は亡く
なりましたが、山好きな人間の間ではこの大名登山をいまでも伝説
化して語りつがれています。

いまでは登山道も整備されていますが、当時は内務省の役人がたま
に測量のため入る程度。まずまともな道もあるはずありません。そ
んななか、88歳のご老体が登頂したというのですからまだまだ私た
ちははな垂れ小僧です。

▼【データ】
【山名】大崩壊によって赤褐色の岩石の山と分かり山の名になった。
「日本山岳ルーツ大辞典」村石利夫(竹書房)。ラジオラリアチャ
ートによる山名。山名は明治以降のもの。赤石岳は静岡県側の命名。
別名(長野県側からの呼称):駿河岳、本岳、大河内岳、釜沢岳。
大河原ノ岳。

【名山】
・(第84番選定)日本百名山(深田久弥選定・日本二百名山、日本
三百名山にも含まれる)・(選定)新日本百名山(岩崎元郎選定)

【所在地】
・静岡県静岡市と長野県下伊那郡大鹿村との境。飯田線飯田駅の東
南東31キロ。JR飯田線伊那大島駅からバス・塩川終点から歩いて
三伏峠経由延べ19時間40分で赤石岳(標高3120.1m)。一等三角点と
敬神講など山岳信仰の祠がある。地形図に山名と三角点標高、赤石
避難小屋の文字と独立建物(極小)記号の記載あり。三角点より南
方95mに赤石避難小屋がある。

【位置】
・三角点:北緯35度27分40.35秒、東経138度09分26.5秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「赤石岳(甲府)」

【参考】
「信州山岳百科・2」(信濃毎日新聞社)1983年(昭和58)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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