山の伝承伝説に遊ぶ
山旅通信
【ひとり画ってん】とよだ 時

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▼152号「南ア・井川集落の石仏たち」

【略文】
機関車の走る鉄道として知られる大井川鉄道。終点井川駅近く井川
本村のお寺に積まれるようにならんだこけむした石仏。昭和33年井
川ダム建設の時、大日峠道にあったものを一ヶ所に集めたもの。8
月。ジリジリの暑さ、木もれ日のなか、なんとも心おちつくひとと
きでした。

▼152号「南ア・井川集落の石仏たち」

【本文】
静岡県の中部を流れ、太平洋にそそぎ込む大井川。日本の食文化も
このあたりを境に東西に別れるという。この川沿いを北に走る大井
川鉄道は機関車の走る鉄道として有名です。

その終点井川駅近く、バス停の「井川本村集落」の大日院というお
寺には数えきれない位のこけむした石仏が積み重なるような形でな
らんでいます。

聞くところによれば、昭和33年井川ダム(中部電力の井上社長の名
五郎をつけて井川五郎ダム)建設の補償も兼ねた井川林道ができる
までは文字通りの陸の孤島だったといいます。

都会である静岡への道は大日峠経由の歩く旅でした。その旧道にあ
ったのがこれらの観音さま。旅の安全を願い、一丁ごとに祭ってあ
るのでした。

また峠の名の由来である大日堂の大日如来や、峠の近くにあった茶
壺屋敷の山の神なども大日院に一緒にならんでいます。

ダムができると同時に大日峠一帯にバイパス自動車道を造成。それ
を機会に旧道沿いにあったこれらの石仏を井川本村集落に運び、一
ヶ所に集めたものだという。

そもそも井川集落は南北朝時代、南朝の遺臣で信州下伊那郡上蔵を
拠点にしていた香坂高宗(こうさかたかむね)や駿河徳山の土岐氏
や内牧の狩野氏一族たちが戦さに敗れ、大井川をさかのぼったり、
また大日峠を越え、南アルプス山地を越えてこの地に移り住んだも
のといいます。

また戦国時代になり、阿部川上流の金山で働いていた甲斐武田勢の
金掘り人夫たちが、大日峠を越えて井川に入っていったのではない
かという。

そしてまた、武田氏滅亡後、遺臣がここ井川まできて住み着いたら
しいという。その証に井川集落の神社仏閣はこの時代に創建されて
いるものが多い。

一説に当時、重税に苦しんだ農民たちが隠し田をこの地に開拓し始
めたのがこの村のはじまりだなどの説もあります。

1961年(昭和36)、大井川上流に第一、第二畑薙ダムが完成し、い
まは林業、茶、ワサビ、麦、シイタケなどを生産する静かな山村。
水田なども散在しています。

とくに天然ヒノキを桜の皮で縫い合わせ、本漆で塗り上げた弁当箱
の「井川めんぱ」は、名物として人気があります。

8月。ジリジリの暑さ、ザックをバス停においてスケッチにいきま
した。それぞれ番号のついた三十三観音や山の神、大日堂などが苔
むしています。大木の下の木もれ日に涼しい風が通ります。お寺の
犬も身をのばして昼寝。なんとも心おちつくひとときでした。

▼井川本町大日院【データ】
【所在地】
・静岡県静岡市。大井川鉄道終点井川駅からバス、井川本町下車大
日院。大日院がある。地形図に寺院記号の記載あり。

【位置】
・大日院:北緯35度13分17.5秒、東経138度14分14.9秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「井川(静岡)」

【参考】
・「アルパインガイド30・南アルプス」(山と渓谷社)1979年(昭
和54)
・「角川日本地名大辞典22・静岡県」小和田哲男ほか編(角川書店)
1982年(昭和57)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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