【説明本文】
開聞岳(かいもんだけ)は、鹿児島県指宿(いぶすき)市(旧揖
宿郡開聞町)にある山。『日本百名山』(深田久弥著)の099番目に
書かれています。開聞岳は神話の山であり、修験道の山でもありま
す。かつてこの山は、枚聞(ひらきき)岳と書いていました。なの
で開聞岳(ひらききだけ)と読むのが正しいといいます。
【▼山名】
しかし、いまはカイモンの方が一般的です。ヒラキキの名は、北
ろくにある開聞岳をまつる枚聞神社(ひらききじんじゃ)に、その
名前が残っている程度です。枚聞神社は、古代には開聞神、中世以
降は開聞宮(ひらききのみや)・開聞神社と呼ばれていたそうです。
この神社は、平安時代の古代法典『延喜式』(えんぎしき)にも載
っているという古い神社です。
さて次は「ヒラキキ」とは、「カイモン」とはなんだ?というこ
とになります。「開聞岳の信仰」(『山岳宗教史研究叢書13』所収)
の筆者・小川亥三郎氏は、各地の地名を例に、こんな風に検証して
います。ヒラキキの「ヒラ」とは、『万葉集』にある、滋賀県の比
良山のふもと比良地方の浦を、平の浦(ひらのうら)とある通り、
また大阪府枚岡(ひらおか)市の枚岡山(ひらおかやま・展望台268
m)の例もあるように、比較的傾斜地・崖が多い所です。
そのほか鹿児島県指宿市にも大平山(おおひらやま)、鬼門平(お
んかどひら・307m)という山もあります。このように「ヒラ」は
坂、傾斜地、崖などを意味する語であると思う。また「キキ」は「ク
キ(岫)」で、その転音したものらしい。「クキ」(岫)は山の洞穴
を意味する語でしたが、転じて、岩山・谷・峰の意となったのです。
明治時代編纂の国語辞典『大言海』にも、「くき(岫、洞)山ノ
洞(ホラ)アル処。転ジテ山。岡」とあります。そんなことから「ヒ
ラキキ」は「ヒラクキ」の転化で、「傾斜の急な山」の意味である
と小川亥三郎氏は結論づけています。
【▼祭神】
この山はまた、日本神話にも登場します。北ろくにある枚聞神社
(ひらきき)の祭神は、国常立命(クニトコタチノミコト)・大日
?貴尊(オオヒルメノムチノミコト)・猿田彦(サルダヒコ)など
多くの神がまつられています。
このうち大日?貴尊とは、ナント太陽神天照大神(アマテラスオ
オカミ)のことだそうです。この天照大神を開聞岳にまつったのは
瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)。
【▼天孫降臨】
『古事記』や『日本書紀』の天孫降臨の話です。ぞろぞろと神々
を大勢ひきつれて、高天原から高千穂に天下ったニニギノミコトは、
笠沙崎(かささのみさき)(旧川辺郡笠沙町)に来て、笠沙(かさ
さ)宮を建てました。
ある日、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が開聞岳のふもとに行きま
した。そして山を仰いで、「われ今たひらに来たりき」と感嘆し、
おばあさんの天照大神をまつりました。そしてまたその時感嘆した
言葉から、「ひらきき」が地名になったという説もあります(『日本
書紀』神代下)。
さらにニニギノミコトは、海岸を歩いてコノハナサクヤヒメに出
会って求婚したのです。いまの川尻温泉のある川尻漁港あたりだそ
うです。これは『古事記』(上つ記)にも、「ここに天津日高日子番
能瓊瓊芸命(アマツヒコヒコホノニニギノミコト)、笠沙(かささ)
の御崎(みさき)に麗しき美人(をとめ)に遇(あ)ひたまひき…」
と出ています。
そしてふたりの神の間に火照命(ホデリノミコト)、火須勢理命
(ホスセリノミコト)、火遠理命(ホオリノミコト)の3神が生ま
れたとしています。
枚聞神社(ひらききじんじゃ=開聞神・開聞宮・開聞神社)の祭
神は、昔から分かりにくいと先にも書きました。大日?貴尊(オオ
ヒルメノムチノミコト)を中心に、天之忍穂耳命(アメノオシホミ
ミノミコト)、天穂日命(アメノホヒノミコト)、その他なんだらか
んだらのほか、国常立命・猿田彦など数多くの祭神をあげています。
私が参考文献としているなかでさえ、こんがらがって書いているほ
どです。
一方、室町時代の一宮の一覧を記した『大日本国一宮記』という
本には、和多津美(わたつみ)神社、枚聞(ひらきき)神社と号す、
とあり、塩土老翁(シオツチノオキナ)と猿田彦(ニニギノミコト
を先導した神)が祭神だとしています。塩土老翁は、開聞岳山ろく、
登山口休憩所近くにある「天ノ岩屋」にいたとする神仙だそうです。
【▼天ノ岩屋伝説】
こんな話も残っています。江戸中期の『薩州穎娃(さっしゅうえ
い)開聞山古事縁起』(快宝法印作)によれば、飛鳥時代の大化5
年(648)、「天ノ岩屋」で塩土老翁が修行をしていると、雌鹿が来
て法水を飲んでしまいました。すると鹿はたちまち妊娠し、翌春、
口から美しい女の子を産んだというのです。塩土老翁は、その子を
瑞照姫(みずてるひめ)と名づけ大事に育てました。
姫が2歳になり読み書きを覚え、詩歌も暗唱するという才女ぶり。
その上美女とくるから、うわさは太宰府から都の朝廷に伝えられま
した。そして上京、藤原鎌足に預けられたのでした。やがて姫は、
ますますの才媛美女に成長、13歳になると、大宮姫(おおみやの
ひめ)と名づけられ、宮中に上がり、とうとう天智(てんじ)天皇
の妃になりました。
ところがある日、宮中の雪合戦の時、足袋がぬげ、姫の足の爪が
鹿の爪であることが分かり、天智天皇の皇子、大友皇子(みこ)は
じめ、宮中の官女たちにねたまれ、大宮姫は故郷の開聞岳の流され
てしまいました。早速山ろくに仮御殿がつくられました。白鳳2年
(673)になり、天智天皇が皇后の大宮姫を恋しがり、開聞岳の山
ろくまでやってきました。
そしてふたりはこの離宮で、幸せに暮らしましたが、天智天皇は
慶雲(きょううん)3年(706、飛鳥時代)、79歳で死亡。皇后も
翌年、慶雲4年(707・同飛鳥時代)59歳で亡くなったということ
です。この大宮姫をまつったのが、枚聞神社のはじまりだというこ
とです。
【▼山名異名】
ところで開聞岳には、筑紫富士・薩摩富士・小富士・海門山・海
門岳・蓮花山・長主山(ながぬしやま)・枚聞岳(ひらきき)・枚聞
山(ひらきき)・金畳山(きんじょうざん)・空穂島(うつほ)・鴨
着島(かもつく)・筑紫小芙蓉(つくししょうふよう)・連花山・補
陀峰(ふだ)・海門(かいもん)岳・薩摩富士・筑紫富士など、う
んざりするほど異名があります。
【▼山名由来】
その名前の由来を説明した本があります。江戸時代の鹿児島県の
地誌『三国名勝図会』(巻之二十三)やそのほかに、(1)長主山と
は:神代に、ここは吾田(あた)の長屋の国主であるコトカツクニ
カツナガサ(事勝国勝長狭)の領内であり、開聞岳は領内一の絶景
ということから、国主の名前をとり、ナガサ(長狭)が主宰の山、
つまり長狭の「長」、主宰の「主」で、「長主山」にしたという(こ
れってホントかいな)。
また、(2)鴨着島とは:やはり神代のころ、ヒコホホデノミコ
ト(彦火火出見尊)と木花咲耶姫の第3子で、火遠理命(ホオリ=
山幸彦)が、シオツチノオキナ(塩土老翁)につくってもらった篭
舟に乗って、なくした釣り針を探しているうちに着いた竜宮が、こ
こだったという話(有名な海幸彦と山幸彦)からつけらたというこ
とです。昔は国を島といったのだそうです。
(3)金畳山(きんじょうさん):開聞岳の美しさを詠んだ僧巣
松の漢詩、「神仙削出玉芙蓉、重畳黄金猶幾重……」とあり、この
山は金山だったと昔の人はいっていたという。(4)空穂島(うつ
ほじま):貞観(じょうがん)、仁和(にんな)(ともに平安時代)
の大噴火で、山のなかは空になったのではないかというところから
つけられたということです。
(5)海門岳:この山は鹿児島湾(錦江湾)の入り口にあり、形
がよく遠くからもよく目立ち、航海の目印に便利なところからきて
いるといいます。
【▼スパイ道場】
開聞岳は修験の山でもあります。中世から近世にかけて、北麓の
天ノ岩屋は、修験道の修行道場の中心でした。薩摩・大隅(おおす
み)を支配していた島津氏は、修験山伏の組織を情報収集に利用し
ていたと聞きます(『鹿児島県の歴史』)。開聞山ろくの修験道場は、
諜報(スパイ)関係の養成所だったのか?。
【▼開聞岳の天狗】
この山にも天狗ばなしがあります。大天狗の名前は、開聞岳(海
門岳)武山魔神(たけやままじん)といいます。天狗と一口にいい
ますが、上は大天狗、中天狗、小天狗に分かれ、小天狗でもカラス
天狗・木の葉天狗・白狼(はくろう)天狗、なかには修行が未熟で
溝を飛び越すにもやっとという「溝越天狗」などというものもいま
す。上位の大天狗のなかでも、○山○○坊などと、名前のある天狗
は大した天狗です。武山魔神天狗は、開聞岳一帯を支配する魔神だ
というのです。
【▼天狗ばなし】
以下は、地元の村人の間で言いつたえられてきた話です。江戸時
代末期のこと、鹿児島のなんという人が、竹之島に近いところの児
ヶ水に湯治にきていました。朝早く、海岸をウミガメの卵などを探
しながら散歩していると、知らず知らずのうちに、岩窟の下まで来
てしまいました。
するとどこからともなく、法螺貝(ほらがい)の音が聞こえてき
てしつこく耳元で鳴ります。どこまで行っても一向に音は消えず、
宿まで逃げ帰ってきましたが、とうとう気を失ってしまいました。
まだまだあります。安永元年(1772)ころ、丸山新左衛門と紋兵
衛という地元の侍が、山川の町でイッパイやってご機嫌になり、鼻
歌を歌いながら竹山の下の村を通りがかりました。そこへ突然、身
の丈2丈(6.06m)以上もある魔神が立ちふさがったのです。丸太
のように太い腕、夜叉のような恐ろしい顔をして、提灯を突きつけ
てきます。
その恐ろしさにふたりは、イッパイ機嫌はどこへやら、家に逃げ
帰りました。それからというもの、子孫代々にまで絶対に竹山の下
を通るべからずといさめたという。その時、魔神の提灯には、木瓜
(もっこう)の紋があったということです。
このような話は、うわさだけでなく、記録にも残されています。
ここに江戸時代後期の『薩藩神変奇録』(田原篤実著)という本が
あります。その薩摩国頴娃郡(えいちょう)山川郷の項に、「…海
辺に竹の山といふ山あり。此山は往古より俗に天狗の御在所と云ひ
傳ふる所なり」として、数々の不思議な話を載せています。
【▼天狗の住処】
この竹山が武山と書かれ、武山魔神という天狗の住みからしい。
だいたいこの天狗は、自分の領域内に無断で立ち入られたり、騒い
だりされるのが大嫌いだったようです。
江戸時代後期の文化8年(1811)12月2日の夜のことあるから具
体的です。地元薩摩藩島津家の御用船の神明丸(船頭・西田駒助)
は、暴風のため、鹿児島湾の入り口に当たる山川港に逃げ込もうと
しましたが、あわてて、近くの竹山下の浜辺に流れ着きました。
すると、天狗がすむという竹山の方角から、大きな火の玉が飛ん
できたかと思うと、船の帆柱に舞い上がりました。見上げると帆柱
のてっぺんに、提灯(ちょうちん)のようなものをさげた大男が、
大あぐらをかいてすわっています。なぜか提灯にこだわっています。
乗組員たちは船底で小さくなって震えています。
船底へ逃げ遅れた船乗りたちがウロウロしていると、豆粒のよう
なものがほおに当たったとたん、皆気絶してしまいました。そして
気がつくと帆柱がへし折られていました。これには、さすがの海の
荒くれ男たちも胆をつぶし、おののいたと書かれています。
また同夜、4,5人の釣り人が小舟で沖にこぎだしたことも書か
れています。夜が更け、雷雨が激しくなったので、岸へ戻ろうとす
ると、かの竹山のあたりにあらわれた光りものが、みるみる大きく
なり、東南東方向の鳶の口方向へ飛び去りました。その夜は一晩中、
竹山の頂上に怪火が燃え、雷鳴が鳴っていたといいます。
【▼天狗騒動の届書】
この騒動を船頭が、薩摩藩島津家の藩丁に庁に出した届書が同書
にあります。それには「御船神明丸十六反帆喜界島砂糖為積船当春
被差下上善にて山川より……」からはじまり、事の次第を詳しく述
べて、「……左候て間もなく右通の大変事御座候 文化八年未(ひ
つじ)十二月 御船神明丸船頭 西田駒助 (以下乗組員名等略之、
編者)」と結んでいます。これではそんな話、ウソだろうと一笑に
付すわけにはいかなくなります。
武山(竹山)は(開聞岳の東方、指宿市山川にある)山というよ
り岬の丘みたいな所。海からの見通しもよい。すぐ隣に、山川・頴
娃(えい)の集落があり、近くにソテツの自生地があり、竹山神社
もあります。
この神社の縁起にも、「隣に連なっている鳶之口峰との間は天狗
の住みかで、頂上に神灯が見えたり、太鼓・笛・法螺の音が鳴り響
き渡ったり、岩石が大きな音をたてて崩れ落ちたりする様々な霊怪
が伝えられている」とあります。
この岬の丘みたいな竹山(武山)に、よく武山魔神のような大天狗
がすみついたものと、天狗研究者は不思議がっています。このよう
な魔神天狗は、いつ、何の目的があって、どのようにしたすみ着く
のでしょうか。そしてどこからきたのでしょうかネ。
▼開聞岳【データ】
★【所在地】
・鹿児島県指宿市(旧揖宿郡開聞町)。指宿枕崎線(いぶすきまく
らざきせん)開聞駅の南3キロ。開聞駅から3時間で開聞岳山頂。
三角点:922.2m。標高点:924mがある。
★【位置】国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から
・開聞岳:北緯31度10分48.47秒、東経130度31分42.06秒
★【地図】
・2万5千分の1地形図:「開聞岳
▼【参考文献】
・『薩摩穎娃開聞山古事縁起』(開聞山古事縁起・開聞縁起とも)(快
宝法印作)延享2年(1745・江戸中期):(『山岳宗教史研究叢書18』
所収
・『角川日本地名大辞典46・鹿児島県』(角川書店)1991年(平成
3)
・『神々の系図』川口謙二(東京美術)1981年(昭和56)
・『古事記』(上つ卷):新潮日本古典集成・27『古事記』校注・西
宮一民(新潮社版)2005年(平成17)
・『薩藩神変奇録・上』田原篤実著:『幽冥界研究資料
第1巻』友
清歓眞編纂(天行居発行)大正2年(1913)に収蔵。
・『山岳宗教史研究叢書13』(英彦山と九州の修験道)中野幡能編
(名著出版)1977年(昭和52)
・『山岳宗教史研究叢書18』「修験道史料集2・西日本編」五来重
編(名著出版)1983年(昭和58)。
・『三国名勝図会』(上巻・下巻)(天保14(1843)年刊行・鹿児島
県の地誌)五代秀尭, 橋口兼柄
共編(南日本出版文化協会)1966
年(昭和41)。(国立国会図書館デジタルコレクション)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『図聚天狗列伝・西日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和52)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎日新聞社)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本書紀』720年(養老4):岩波文庫『日本書紀』(一)
校注・坂本太郎ほか)(岩波書店)1995年(平成7)
・『日本大百科全書・18』(小学館)1988年(昭和63)
・『日本伝説大系14』(南九州)荒木博之ほか(みずうみ書房)1983
年(昭和58)
・『日本歴史地名大系47・鹿児島県の地名』芳即正(平凡社)1998
(平成10)年
・『名山の民俗史』高橋千劔破(河出書房新社)2009年(平成21)
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