【本文】
霧島山は、宮崎県と鹿児島県にまたがり、北西から南東に約30
キロ、北東から南西に約20キロという長円形地域の火山群の総称
です。ここは23座もの火山があって、霧島連山とか霧島連峰など
とも呼ばれるところ。その主なものは、飯盛山、白鳥山、えびの
岳、硫黄岳、韓国岳、獅子戸岳、新燃岳、中岳、高千穂峰、大幡岳、
丸岡山、甑(こしき)岳、矢岳などです。もともとこの連山は、
南九州の地溝性凹地に噴出した火山だそうです。
【▼霧島山・山名由来】
霧島山とは字のとおり霧が発生しやすいところで、その上部に
高く島のように山が浮き上がって見えるの「霧島」の名がついた
のだそうです。また、このあたり一帯は雨が多く、よく雲がかか
ってふもとが霧に隠され、いかにも島のように見えるからとの説
もあります。そのため、昔から霧島山のある宮崎県の南西部都城
(みやこのじょう)の地を「霧海」とか「虚海」とか呼んでいた
といいます。
【▼韓国岳・山名由来】
さて霧島連山の最高峰は韓国岳(からくにだけ・1700m)です。
ここはかつては筈野岳とか雪岳、西岳と呼ばれたこともあるそう
です。韓国岳の名は『古事記』(上つ巻)「天孫降臨の段」にある
「ここは(この地は)韓国(からくに)に向かひ(朝鮮に向かい)、
笠沙(かささ)の御前(みさき)真来(まぎ)通りて(真っ直ぐ
通じていて)、朝日の真刺(たださ)す国、夕日の日照(ひで)る
国ぞ」(新潮社版『古事記』)に由来しているようです。
また『日本書紀』の空国(からくに)から虚国(からくに)、さ
らに韓国へと変化したものとの説もあります。さらに一説には、
この山からは遠くまで視界がきき、韓の国まで見渡せるというの
での山名だともいいますが、そんな遠目がきく人がいるとは、こ
れにはまいりました。
【▼韓国岳】
韓国岳の山頂には直径約900m、深さ約302mの大火口があり、
高千穂峰を東岳、東霧島というのに対して、西霧島ともいわれてい
ます。
山頂からの展望は雄大で、霧島火山から、桜島や、薩摩富士の
開聞岳なども一望できます。山頂はミヤマキリシマの群落のほか、
高山植物が咲きます。
【▼韓国岳伝説・大浪池】
韓国岳山頂直下には「大浪池」という深い藍色の湖水があり、ミ
ヤマキリシマの花の季節になると、赤い色を湖面映す風景は見事で
す。この池にはこんな伝説が残っています。昔、麓に住む庄屋夫婦
には子供がいなく、子ができるよう夫婦は山に願をかけました。そ
してようやく女の子を授かり、お浪と名づけました。美しい娘に育
ったお浪は次から次へと持ち込まれる縁談を断りつづけ、その気苦
労で、とうとう病に伏すようになりました。
ある日、娘に「山に連れて行って」と頼まれました。庄屋夫婦は
お浪を連れて大浪池まで来た時のこと、お浪の目がいきなり輝きだ
し、サッと池に飛び込んでしまいました。尽くす手もなかった庄屋
夫婦は、ただ嘆き悲しむばかり。しかしその後、娘は池にすむ竜王
の化身と分かったのでした。
それからというもの、その池を「大浪池」と呼ぶようになったと
いうことです。韓国岳は、中腹より上は草木がなく「白石焦土頽
(くず)れ垂(れ)て」いるので、遠くからは雪が積もっている
ように見えるという。展望は霧島の全体、鹿児島県側の錦江湾(き
んこうわん)、桜島、開聞岳(かいもんだけ)、熊本県側の阿蘇山
にもおよびます。
【▼高千穂峰山名】
さて一般に霧島山といえばこの山といわれるように、霧島山の代
名詞になっているのが高千穂峰(たかちほのみね)。高千穂峰は、
西にいまも噴気活動を続けている御鉢(おはち)、東に二つ石(二
子石、二つ岩などともいう)の側火山を従えています。古くは矛
(ほこ・鉾)の峰、東(ひがし)峰ともいい、御鉢(おはち)を
火常(ひけふの)峰(西峰)、合わせて二上峰(ふたかみのみね)
とも呼んでいたといいます(三国名勝図会)。左右に均衡のとれた
秀麗さから本嶽(ほんだけ)とも呼んだようです。
【▼高千穂峰・山名由来】
山名は「高いところにある千の火」つまり多くの噴火口があると
いう説と、「高く積み上げられた穂」という説があります。なぜ稲
かというと、かつてこの山中には自然に陸稲(おかぼ・水田ではな
く畑などで栽培する稲)が生えてきたといいます。これは霧島の七
不思議のひとつになっています。
高千穂峰の山頂には銅でできたの天ノ逆鉾(あめのさかほこ)
が突き刺さるように立っています。国ツ神である猿田彦命が天孫
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を途中まで出迎えた話はよく知られ
ていますよね。ちなみに、国ツ神は土着の神(地神)をいい、天
照大神などがいる高天原の神を天ツ神というようです。
【▼高千穂峰・神話・天孫降臨】
その天孫降臨の時、天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)がこの逆
鉾を立てたというのです(三国名勝図会)。天孫降臨の話は、『古
事記』や『日本書紀』に出てくる話で、『古事記』では天津日子番
能邇邇芸(あまつひこほのににぎ)の命が高天原(たかまがはら)
から降臨した地が「日向高千穂久士布流多気」(くじふるたけ)だ
としています。また『日本書紀』に出てくる「日向襲之高千穂峰」
(ひむかのそのたかちほのたけ)はここの高千穂峰だとしていま
す。
『古事記』(上つ巻・天孫降臨の段)に、「かれしかして、天津
日子番能邇邇芸(あまつひこほのににぎ)の命に詔(の)らして、
天(あめ)の石位(いわくら)離(はな)ち、天の八重たな雲を押
し分けて、いつのちわきちわきて、天の浮橋に、うきじまり、そり
たたして、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の高千穂の久士布流
多気(くじふるたけ)に天降りまさしめたまひき」とあります(新
潮社版『古事記』校注・西宮一民による)。
一方『日本書紀』には「…皇孫(すめみま)、乃ち天磐座(あま
のいわくら)を離(おしはな)ち、旦(また)天八重雲を排分(お
しわ)けて稜威(いつ)の地別(ちわ)に地別(ちわ)きて、日向
襲の高千穂峰(ひむかのそのたかちほのたけ)に天降ります。既に
して皇孫の遊行(いでま)す状(かたち)は、?日(くしひ)の二
上(ふたがみ)の天浮橋(あまのうきはし)より、浮渚在平処(う
きじまりたいら)に立たして…」(浮島が在って、その平らなとこ
ろに立って)とあります。
また、同(巻第二)「一書(あるふみ)[第六]には「故、この神
を称(まう)して、天国饒石彦火瓊瓊杵尊(あめくににぎしひこほ
のににぎのみこと)と曰(まう)す。時に、降到(あまくだ)りま
しし処(ところ)をば、呼(い)ひて日向襲之高千穂(ひむかのそ
のたかちほのたけ)の添山峰(そほりのやまのたけ)と曰(い)ふ」
(岩波文庫『日本書紀』校注・坂本太郎による)とあり、高千穂峰
だとしています。
【▼高千穂峰・神話・天孫降臨】
しかし、この高千穂の地については昔からここ「霧島山・高千穂
峰説」と、「宮城県西臼杵郡高千穂町」の2説があってはっきりし
ていないというのです。高千穂峰の山頂に立っている天の逆鉾は、
いつ誰が立てたかは分からないといいますが、少なくとも中世(平
安時代末から鎌倉・室町時代)にはすでにあったらしいとのことで
す。
それがいつのころか分かりませんが、この山の噴火で逆鉾が焼
き折れてしまいました。その鉾の一部を見つけ、文禄元年(1592)
に東南ろくにある「荒岳権現」に安置し、同社のご神体にしたとい
います。同『三国名勝図会』には山頂に残って立っている幹の部
分は、「其(の)長さ六尺(約1.8m)、囲り1尺許(ばかり)、鋒
刃に近き所、長鼻大眼の面像を左右に起し成す(中略)其状古奇
にして、実に神代の遺宝なり」とあり、貴重な宝だとしています。
また天明2年(1782・江戸後期)ころ、伊勢久居藩の儒医橘南
谿(たちばななんけい)という人が日向国を訪れ、先達の案内で
霧島山へ登山をしました。南谿は、先達が馬の背越から上へ登る
のを無視して単独で登山。「もし馬の背より下り来たらば、生涯の
いこんなるべからんものを、よくも絶頂を極めたりぬ」と自分の
著書『西遊記』に書いています。
そして、「絶頂は尖(とが)りて、纔(わず)かの地面に天の逆
鉾あり…さかさまに地中にたち、その石突の端の所に鬼面のごとき
もの見ゆ」。つづけて「是も風霜にさらされたれば、鼻目しかとは
見えがたし。土中には入りたる先の方は、何ほど深く入りたるや知
るべからず。只(ただ)絶頂にこの鉾一本のみにて、外に堂宇等の
ごときもの一つもなし」とその様子を述べています。
【▼高千穂峰・伝説・坂本龍馬】
またこんな話もあります。幕末の1866年(慶応2)に、坂本龍
馬と妻の竜女・お龍(おりょう)が、新婚旅行で霧島を訪れまし
た。その時薩摩の田中吉兵衛と一緒だったのですが、一行は女人
禁制を破って高千穂野峰に登頂したことがあったというのです。
その時のことを書いた、「書簡」(龍馬が姉乙女に送ったもの)に
よると、御鉢から山頂を描いた図といっしょに「此サカホコハ少
シうごかして見たれバよくうごくものなり」などと説明、お龍と
一緒に逆鉾を引き抜き、また元通りにしたなどと書いているそう
です。
【▼高千穂峰・神社・霧島神】
さて、この山の神である霧島神をまつる神社は、山麓に限らず
各地にあります。なかでも名社として知られるのが高千穂峰の東南
麓、鹿児島県姶良郡(あいらぐん)霧島町の霧島神宮だそうです。
霧島神宮は、欽明天皇の時代(539〜571・飛鳥時代)、高千穂山頂
に慶胤(けいいん)という僧が小祠を建てたのにはじまります。
霧島神はもともと、霧島六所大権現として信仰されてきました。
この神が天孫降臨神話に基づいたニニギノミコトに変えられたのは
「皇国国家」となった明治になってからだというからやはりという
感じです。
【▼霧島山中・七不思議伝説】
霧島を中心とした地域に、「七不思議」の伝説があります。まず
・1「蒔かずの種」。これは高千穂峰の山名由来に関係があり、か
つて霧島の山中や竹やぶに、タネを蒔きもしないのに自然に陸稲(お
かぼ)が生えることがあるといいます。これを「蒔かずの種」とい
うそうです。これは天孫降臨の時、神々が高天原から持ってきたタ
ネが残っていて、山の中で自然に育ったものだと言い伝えられてい
ます。
・2に「文字岩」。高千穂峰山ろく高千穂河原の霧島神宮から西
の方に2キロmほど離れた山の中に「文字岩」という岩があります。
この岩は、大きさ10立方mくらいで、まん中から割れていて、10
センチくらいのすき間ができています。その中をのぞくと、暗い中
に梵字(ぼんじ・仏様を表現した漢字)が彫られているのが見えま
す。こんな大きな岩の、しかも手を入らない狭いすき間に、どうし
て刻んだのか不思議です。
・3「亀石」。霧島神宮の旧参道の中間くらいに、亀にそっくり
な自然石があります。ここにある坂を「亀石坂」と呼ぶそうです。
・4「風穴」。霧島神宮の旧参道にある岩の穴から、ごく微弱なが
らいつも風が吹き出ていたそうです。以前までこの岩の上には観音
さまが安置されていたそうです。
・5「御手洗川」。これも霧島神宮の西、250mのところの岩の
穴から小川が湧き出ています。この川はふだん枯れているにもかか
わらず、5月ごろから大量な水がすごい勢いで湧き出ます。きれい
な水で、この水には天孫降臨の時、高天原から神さまが持ってきた
真名井の水が混じっているといいます。時々、魚もいっしょに出て
くるそうです。
・6「両度川」。霧島神宮の西方300mの所にある川で、毎年6
月ごろから水が流れ出して8月から9月ごろには枯れてしまいま
す。その間10日くらい、水が流れたと思うとすぐ乾いてしまいま
す。そして、しばらく経つとまた流れ出します。
その川は短く小さなものですが、水はきれいで水量も多いといい
ます。下流は滝になって霧島川に落ち込んでいます。毎年同じ時期
に2度、決まって流れるので「両度川」と名づけられました。
・7:「夜中の神楽」。神楽(かぐら)とは神前で行う音楽のこと。
昔、霧島神宮がいまのところに移転してきた時、深夜社殿の奥で神
楽が鳴り響いたといいます。その時、一緒にいた神官や僧侶、その
ほか一般の人たちまでが確かに聞いたといっていたといいます。い
までも時々深夜に、かすかに神楽のような音が聞こえるということ
です。
この中の1に関連して、霧島山登山の途中に雲や霧が出てきて
道に迷った時、稲穂を周辺にまくとたちまち雲霧が消えるといい
ます。先述したように、この山中には稲や霧島糯(もち)という
陸稲が自生していたといいます(三国名勝図会)。このような「播
かずの田」の伝承は、臼杵郡高千穂地方にもあるそうです。そん
なことにも関係があるのか、「高千穂」の山名は、たくさんの稲穂
を高く積み上げること、あるいは積み上げられた所という意味だそ
うです。
▼霧島山(高千穂峰・韓国岳)【データ】
★【所在地】
・(1)高千穂峰:宮崎県都城市(みやこのじょうし)と西諸県郡
(にしもろかたぐん)高原町(たかはるちょう)の境。JR吉都
(きつと)線(えびの高原線)高原駅(たかはるえき)の西南西
9キロ。JR日豊本線霧島神宮駅からバス、高千穂河原停留所下
車、さらに歩いて2時間20で高千穂峰。2等三角点(1573.55m)
と、天の逆鉾がある。
・(2)韓国岳:宮崎県えびの市・小林市と、鹿児島県霧島町・牧
園町の境。JR吉都(きつと)線(えびの高原線)小林駅の南西1
2キロ。JR吉都(きつと)線(えびの高原線)えびの駅からバス、
えびの高原下車、さらに歩いて2時間で韓国岳。1等三角点(169
9.8m)がある。
★【位置】国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から
・(1)高千穂峰2等三角点:北緯31度53分10秒.5237、東経130
度55分08秒.1803
・(2)韓国岳:1等三角点:北緯:31度56分03秒.0137、東経:
130度51分41秒.6760
★【地図】
・(1)高千穂峰:旧2万5千分1地形図名:高千穂峰
・(2)韓国岳:旧2万5千分1地形図名:韓国岳
▼【参考文献】1198号
・『角川日本地名大辞典45・宮崎県』(角川書店)1991年(平成3)
・『角川日本地名大辞典46・鹿児島県』(角川書店)1991年(平成
3)
・『古事記』(上つ巻・天孫降臨の段):新潮日本古典集成・27『古
事記』校注・西宮一民(新潮社版)2005年(平成17)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎日新聞社)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本書紀(一)』(神代下かみのよのしものまき):『日本書紀
(一)』(岩波文庫)校注・坂本太郎ほか(岩波書店)1995年(平
成7)
・『日本の山1000』(山と渓谷社)1992年(平成4)
・『日本百名山地図帳』(山と渓谷社)2005年(平成17)
・『名山の日本史』高橋千劔破(ちはや)(河出書房新社)2004年
(平成16)
・『日本歴史地名大系46・宮崎県の地名』野口逸三郎(平凡社)1997
年(平成9)
・『日本歴史地名大系47・鹿児島県の地名』(平凡社)1998年(平
成10)
・『本朝神仙記伝・下の巻』宮地厳夫著(本朝神仙記伝発行所)19
29年(昭和4)国会図書館」デジタルコレクション
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