【本文】
▼【伊吹山】
伊吹山は滋賀県との境を南北に走る伊吹山地の主峰。標高は137
7.4mの山。山頂は滋賀県米原市にありますが、山体東側は岐阜県
の斐川町、東南ろくは不破郡関ヶ原町にもまたがっています。ま
た東ろくの笹又の登り口に、日本の国歌の「君が代」の元になっ
たとされる「さざれ石」も数個あって名勝公園になっています。
▼【山名】
山の名は伊吹山のほか、息吹山、伊夫岐山、夷服山、胆吹山、
五十葺山、伊富貴山、伊服岐山、異吹山、伊布貴山などとも書き、
どれも「いぶきやま」です。この「イブキ」は、荒ぶる山神が山
気や霊気を吐く「息吹き」の意味でもあり、生き返る「息吹き」
で、「再生の山」でもあります。また「鉄を生産する山」、「アイヌ
語」など語源説などがあります。
▼【歴史・開山】役行者、行基
この山の開山は役行者や行基だとしています。その昔伊吹山寺ヶ
岳に役行者や行基菩薩が相次いでやってきて、修行をしたといいま
す。江戸中期の『近江輿地誌略』という書籍には「相伝、役行者
入峰して呪願して、行基菩薩登山して行座す。時に南面の岳に枯
れ木あり、夜夜光耀(こうよう)す。鬼神来れるなりと曰ふ」と
いう記載もあります。
▼【山頂・高山植物】
伊吹山山頂は、高山植物のお花畑が広がり見事です。オオバギ
ボウシ、ヤグルマソウ、ニリンソウなどの群落があり、この山の
名がついた植物のイブキスミレ、イブキジャコウソウ、イブキフ
ウロ、イブキトリカブトなどなどもあります。ここは昔から薬草
の産地として知られ、医薬品としてヨモギからつくられる伊吹艾
(もぐさ)が有名です。織田信長がポルトガル人の宣教師に薬草
園をつくらせた歴史まであります。
▼【山頂・展望】
展望はすこぶるよく、遠くは富士山をはじめ、乗鞍岳、御嶽山、
近くは奧美濃の山々、湖北の山々、眼下に竹生島(ちくぶしま)、
沖の島の浮かぶ琵琶湖も見られます。
▼【神秘の山】
この山は、山気や霊気を吐き息づくという「息吹き」の山。ま
た山頂に突然紫色の怪火があらわれ、明滅したりするという不思
議さから当然、妖怪や天狗もすむといわれるなど「神秘の山」な
のです。「日本武尊伝説」、「役行者、行基伝説」、「女いち権現伝説」、
「薬草伝説」、「弥三郎伝説」、「松尾寺の七不思議」、「三修禅師伝説」、
「天狗伝説」のどなど切りがありません。その内のいくつかを下記
に紹介します。
▼【日本武尊伝説】
伊吹山には山頂に日本武尊の石像があるように、武尊と伊吹の
山神の話は除けません。『古事記・中つ巻』に、「あづまはや」と
嘆いた足柄の坂から甲斐、信濃を経て尾張に至り、日本武尊は、
往路の時に婚約した美夜受比売(みやずひめ)(宮簀姫)と結婚し
ます。
だが一夜の契りを果たす前に、伊吹山の山神の話を聞き、契り
は次の機会にということで、草薙剣(くさなぎのつるぎ)を預け、
伊吹山の神を討ちに行きました。しかし伊吹の山神の降らす氷雨
に惑わされ、やがて能煩野(のぼの)で世を去るという話です。
だいたい伊吹山には古くから先住民族がいたらしく、この山神
というのはアイヌ系の焼畑耕作をする民族だとする説もあり、滋
賀県大津市牧の「焼野」という地名はその名残だとしています。
伊吹山は秋になると山頂には、触っただけでも皮膚から吸収する
というくらい毒のあるトリカブトの花がたくさん咲きます。日本
武尊はこのトリカブトの毒矢に当たって死んだのだともいわれて
います(『山岳宗教史研究叢書16)。
▼【弥三郎伝説】
この山では弥三郎伝説も有名です。弥三郎は元来猟師でしたが、
獲物がないと農家の牛馬を奪い、さらに人をも食うようになった
ため、膽吹(いぶき)の里にはひとがすまなくなったそです。そ
のころ近江国の大野木殿という人の姫のところに夜ごと通う男が
いました。しかし男の素性が分かりません。心配した母が糸のつい
た針を男の衣に刺すよう娘の教え、翌朝其の糸をたどっていくと、
伊吹山のふもとの弥三郎の家に行きつき、身元が分かりました。
父親は、弥三郎を呼びもてなしましたが、大酒が原因で弥三郎は
死んでしまいました。弥三郎の子を身ごもっていた娘は、33ヶ月
で異様な男の子を産みました。これが後の伊吹童子だそうです(『日
本伝記伝説大事典』)。
また室町時代の『三国伝記』の巻六の六には、国主佐々木寄綱
が、怪賊弥三郎をさんざんに追いつめて、ついに討ち取りましたが、
その後も怨霊となっていろいろな害をもたらすので、高井川井ノ口
地区のの守護神としてまつったら、やっと鎮まったということを伝
えています。このような怪人ですからいろいろな話に発展します。
▼【伊吹の弥三郎伝説@】
昔伊吹山に力持ちの伊吹三郎という大男が住んでいました。大
男は鉄でもかみ砕いて食べたり、琵琶湖の水をがぶ飲みし竹生島
(ちくぶじま)と陸つづきにしたり、また飲んだ水を伊吹山に吹
きかけて大水になり出雲川をつくったりしました。
この弥三郎が暴れるので村人は手のつけようがありません。村
人は弥三郎を退治しようと相談しました。話を聞いてみると弥三
郎の嫁は、村の伊吹十三郎という人の娘の「オソデ」ということ
が分かりました。「オソデ」の話では弥三郎の弱点はわきの下だと
いうことも分かり、その時期を待つことしました。
やがて大風で出雲川が反乱したので土手に杭を打って大水を防
ぐことになり、大きな杭を作り、「オソデ」の父親の十三郎が、弥
三郎に打ってくれるよう頼みました。弥三郎が掛矢(かけや・大
型の木槌)を振り上げた時、父親は弥三郎のわきの下に矢を放ち
ました。弥三郎は死に、それを見た「オソデ」もあとを追って川
に飛び込みました。それをあわれんだ村人は、弥三郎とオソデを
村のお宮にまつったということです。
▼【伊吹の弥三郎伝説A】
またこんな話もあります。大昔のこと、神さまたちが集まって
日本の国造りについて相談し、大きな山と湖をつくることに決ま
りました。ちょうどそのころ、伊吹弥三郎という大男がこの話を
聞いて、神たちより先に一夜で造ってやろうと、大きな箕(み)
で土を運びだしました。
そして掘ったところが琵琶湖になり、土を盛ったところが伊吹
山になっていきます。もう一息で思い通りの山と湖ができるとい
う時、東の空が明けてきてしまいました。弥三郎は舌打ちし、最
後の一畚(もっこ)の土をその場に捨てて東の山へ行ってしまいま
した。この時捨てられた土の山がいまの一簣山(いっきやま)だ
ということです。
▼【竹生島伝説】
さて、伊吹山から眼下に琵琶湖が眺められます。その琵琶湖に浮
かぶ竹生島(ちくぶじま)にも伝説があります。昔、夷服岳(伊吹
山のこと)の男神である多々美比古命(たたみひこのみこと)と、
長浜市湖北町伊部にある浅井岳(あざいだけ・別名小谷山)(494.6m)
の女神の浅井比当ス(あざいひめのみこと)が背競(せいくら)べ
をしたといいます。
その時のこと、一晩のうちに浅井岳が高さを増やしてしまったた
め、夷服岳(伊吹山)が怒ってしまい、浅井岳の頭を斬り落として
しまったのです。ころころと転がった頭は琵琶湖に落ちて沈んで島
になったといいます。その首が「とふとふ」と音を立てて湖に沈ん
だというので「都布夫島」(とふふじま)の名がつきました。また
この島に最初に竹が生えたので「竹生島」ともいわれるようになり
ました。(『近江国風土記逸文』、「竹生島縁起」)。
▼【飛行上人伝説】
この山には天狗伝説のあります。それもそのあたりに出てくる
小わっぱ天狗ではなく、名前まであるレッキとした大天狗。その
昔、伊吹山には「三朱沙門(さんしゅさもん)飛行上人」と呼ば
れる仙人か天狗かといいわれる怪人がいました。
飛行上人はこの山で数百年もの間、苦行を重ねてすんでいたと
の記録があります。そして山のあちこちの峰に、お寺や仏塔など
仏跡を残したといいます。室町時代の『三国伝記』巻六の六に次
のようなことが載っています。
三朱沙門上人というのは、体重がわずかに3朱(しゅ)だった
という。1朱は1匁(もんめ)の4分の1なので、3朱は4分の
3匁になるわけです。それだけ身が軽かったという。ちなみに1
匁は3.75グラムです。三朱沙門は、修行を積んで山や谷はちろん、
岩壁であろうと平気で飛び越えることができるようになりました。
そのため「飛行上人」と呼ばれていました。三朱沙門は、修行の
かたわら、伊吹山中に長尾、弥高、遍満などの3つの寺を開いた
と伝えます。
当時、都の宮廷では皇后が重い病気にかかっていました。帝(み
かど)は、皇后のために神仏に病気を治すよう祈願する「加持祈
祷(かじきとう)」を依頼するため、上人のもとへ使いを出しまし
た。帝の使いの勅使(ちょくし)が険しい伊吹山の山道を山頂ま
で登ってくると、飛行上人は屏風のような大岩に足を組んですわ
っていました。
話を聞いた上人は、一本歯の高下駄をはいたかと思うと、天皇
の使いを小脇に抱えて空に飛び上がり、琵琶湖を飛び越え都の御
所の庭に降り立ちました。休む間もなく祈祷に入り、しばらくす
ると皇后の病気はたちまちのうちに治ってしまったという話が残
っています。
▼【三修禅師伝説】
またこの山は『今昔物語集』(巻第二十)にも出てきます。「今
(は)昔、美濃国ニ伊吹ノ山ト云フ山アリ。其ノ山ニ久(ひさし
く)(修行を)行フ聖人有リ。心ニ悟リ無シテ、法文ヲ不学(まな
ば)ズ、只(ただ)弥陀ノ念仏ヲ唱(となふる)ヨリ外ノ事不知
(しらず)。名ハ三修禅師トゾ云ケリ。他(ほかの)念(おもひ)
無ク念仏ヲ唱(となへえ)テ、多(おほく)ノ年ヲ経(へ)ニケ
リ。……」。
伊吹山の三修禅師は、学行を放り出し、念仏の功徳だけで往生
を遂げようと念仏三昧にふけっていたといいます。それを憎んだ
伊吹の天狗が如来の迎えが来たといって禅師をだまし、裏山の大
きな杉のてっぺんに裸で縛りつけておきました。それでも木の上
でまだ念仏を続けている三修禅師を弟子たちが見つけ、助け下ろ
しましたが「仏さまが迎えに来るというのになぜ助けて往生のじ
ゃまをするのだ。ブツブツ」と恨み言をいいながら、3日後に死
んでしまったということです。
先の話に出てくる飛行上人には、名越、松尾、敏満という三童
子の弟子がいたそうです。この弟子たちも、天狗に劣らぬ神通を
そなえた神童で、山中やふもとの住民にいたずらをして困らせて
いたといいます。念仏ばかり唱えている三修禅師をだまして、大
木のてっぺんに縛ったりしたいたずら天狗は、これらの飛行上人
の弟子の童子ではないかと研究者はいっています。
▼【生き仏播隆さん伝説】
伊吹山には、北アルプスの笠ヶ岳や、槍ヶ岳を開山にした播隆
(ばんりゅう)上人の話もあります。昔、伊吹山の平等(行導)
岩で鉦鼓(しょうこ)を鳴らして修行をしている行者がいました。
これが播隆上人で、火を使って料理したものや、塩気のあるもの
は一切とらず、ただそば粉を水でかいて食べていました。ある夏、
大雨が降り続き、だれいうとなく播隆さんが雨を呼ぶのだという
噂が立ちました。村人は上人に、しばらく修行するのを休むよう
頼んだのだそうです。
播隆上人は修行を休み、山を降りはじめると雨が急に激しくなり
ましたが、蓑笠もつけていない上人の衣は少しも濡れていません。
それを見た村人は、地面に手をついて上人に謝ったのでした。修行
を積んだ播隆さんは、笹又(ささまた)の南長尾の草庵に住んで
いましたが、どんな真っ暗な夜でも明かりを使わず、どこへ行く
にも念仏を唱えていたそうです(『山岳宗教史研究叢書16)。
▼伊吹山【データ】
★【所在地】
・滋賀県米原市(旧坂田郡伊吹町)と岐阜県揖斐郡揖斐川町(旧
揖斐郡春日村)との境。東海道本線近江長岡駅の北東7キロ。J
R東海道本線関ヶ原駅からバスで伊吹山頂(1377m)。
★【位置】国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索
・三角点:北緯35度25分4.23秒、東経136度24分22.83秒)
★【地図】
・2万5千分の1地形図「関ヶ原(岐阜)」or「美束(岐阜)」(2図
葉名と重なる)
★【山行】
・某年8月28日(日曜日・くもり)
▼【参考文献】1189号
・『鬼の風土記』服部邦夫(青弓社)1989年(平成元)
・『角川日本地名大辞典21・岐阜県』野村忠夫ほか編(角川書店)
1980年(昭和55)
・『古事記・中つ巻』:新潮日本古典集成「古事記・中つ巻」景行
天皇(倭建命、伊吹山で困惑する)西宮一臣校注(新潮社)2005
年(平成17)
・『今昔物語集』平安時代末期成立。作者不明:日本古典文学全集
24『今昔物語集』(3)馬淵和夫ほか校注・訳(小学館)1995年(平
成7)
・『山岳宗教史研究叢書11・近畿霊山と修験道』五来重(ごらいし
げる)編 (名著出版)1978年(昭和53年)
・『山岳宗教史研究叢書16・修験道の伝承文化』五来重(ごらいし
げる)編(名著出版)1981年(昭和56)
・『山岳宗教史研究叢書18』「修験道史料集(2)西日本篇」五来
重編(名著出版)1984年(昭和59)
・『三国伝記』玄棟(天台僧カ)著、室町時代に成立。:『大日本佛
教全書』(第92巻)(仏書刊行会)デジタルコレクション
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『図聚天狗列伝・西日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和52)
・『続神々の系図』川口謙二(東京美術)1980年(昭和55)
・『天狗と天皇』大和岩雄(白水社)1997年(平成9)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・『日本架空伝説人名事典」大隅和雄ほか(平凡社)1992年(平成
4)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎日新聞社)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本書紀』:岩波文庫『日本書紀』(二)坂本太郎ほか校注(岩
波書店)1996年(平成8)
・『日本神話伝説総覧」歴史読本特別増刊 新人物往来社 1992年
(平成4)
・『日本伝奇伝説大事典』乾克己ほか編(角川書店)1990年(平成
2)
・『日本伝説大系7・中部』(長野・静岡・愛知・岐阜)岡部由文ほ
か(みずうみ書房)1982年(昭和57)
・『日本伝説大系8・北近畿』(滋賀・京都・兵庫)福田晃ほか(み
ずうみ書房)1988年(昭和63)
・『日本の民俗25・滋賀』橋本鉄男(第一法規)1976年(昭和51)
・『日本歴史地名大系21・岐阜県の地名』(平凡社)1989年(平成
元)
・『名山の日本史』高橋千劔破(ちはや)(河出書房新社)2004年
(平成16)
・『柳田国男全集・4』柳田国男(ちくま文庫)1989年(昭和64・
平成1)
・『和漢三才図会』寺島良安。:東洋文庫447『和漢三才図会11』島
田勇雄ほか(平凡社)1988年(昭和63)
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