【本文】
▼【白山とは】
北陸の名山白山は御前峰(ごぜんみね)(2702m)、大汝峰(お
おなんじみね)(2684m)、剣ヶ峰(2677m)の三つの峰の総称で、
これらの主峰の南方、少し離れて別山(2399m)という峰があり
ます。日本海に面しているために積雪が多く、文字どおり「白い山」
です。雪で白く輝くこの峰々の美しさは、古くから世に知られ、万
葉の時代から「越のしらみね」と詠われました。
海の上からも一目でそれと分かり、格好の航路の目標になって
います。この山は川を分ける水分の山にもなっており、石川県の「手
取川」、福井県の福井平野を流れる「九頭竜川」、岐阜・愛知県の濃
尾平野に流入する「長良川」などみなこの山から発する大河です。
このように白山は、山ろくに水をもたらす農業の神でもあります。
この神は「白山比盗_」(しらやまひめがみ)という名で平安時代
の『延喜式』神名帳にも記載され、仏教渡来以前から信仰を集めて
いたようです。
さらに白山は富士山、立山とならんで「日本三名山」にも数えら
れています。民謡「おわら節」のはやし文句にも「♪越中で立山、
加賀では白山、駿河の富士山、三国一だよ」と歌われています。山
名は豪雪地の山のため、いつまでも白く雪が残るので白山の名前
があるといいます。
▼【歴史・開山】
この山は奈良時代の養老元(717)年、越ノ大徳とも呼ばれる泰
澄上人が、弟子の臥(ふし)行者と浄定(じょうじょう)行者を連
れて開山したといいます。山頂に登った泰澄上人は白山妙理権現と
いう神を感得し、十一面観音ともなり、日天子や巨門星に変化しな
がら、眷属(けんぞく)配下といわれる禅師王子、児宮童子、一万
眷属、十万金剛童子、五万八千采女、天狗などをまとめる身になり
ました。(ただ白山妙理権現は泰澄大徳そのもという説もありま
す)。
▼【御前峰・泰澄上人】白峰大僧正
さらに泰澄上人は、白峰大僧正という天狗になって白山全体を守
護しているといいます。ただ平安時代末期の日本の仙人をあげた本
『本朝神仙伝』には、泰澄は7番目の仙人として数えられています。
▼【泰澄上人・生い立ち】
泰澄上人は、福井県の越知山(おちさん・612.5m)のふもとの
麻生津(あそうず・いまの福井県福井市)の豪族である三神安角(み
かみのやすずみ)という人の二男として生まれました。彼はこども
時代から後ろにそびえる越知山を自分の庭のようにし、自然と一体
になり自由に駆けまわっていました。
もともとずば抜けた才能があったらしく、当時全国を行脚してい
た偉いお坊さんの道昭上人が泰澄を見て、「これ神童なり、善く保
愛を加えよ」と誉めたたえたといいます。泰澄は次第に山に入った
まま帰らない日が増え、ついに出家して山の洞窟に籠もって、松葉
を食べ藤の皮を身にまとい修行に明け暮れる毎日。ついに神通力を
得る身になっていったのです。
▼【大汝峰・臥行者】(天狗にはなっていない)。
さて泰澄上人の二人の弟子のひとり、臥(ふし)行者は泰澄と一
緒に白山に登った後、奥ノ院に当たる大汝峰にとどまり、越南地権
現(おうなんじごんげん)に現じ、大己貴命(おおなむとにみこと)
や阿弥陀さまや、阿弥陀さまにも変化するようになったということ
です。この行者は天狗にはなっていないようです。この行者の生い
立ちは後述します。
▼【別山・浄定行者】白山正法坊天狗(別山大行事)。
もうひとりの弟子の浄定行者は、白山からちょっと離れた「別山」
に落ち着き、小白山大行事や聖観音、天忍穂命という神に現じ、白
山正法坊天狗になって、泰澄上人の修行と白山全体の守りを助けて
いるとされています。
▼【別山・山頂】
その別山は、山頂近くにある大岩石に青海波の波紋が残っている
ことから「四海浪岳」(「後風土記」)の名もあるそうです。その山
頂直下には別山白山神社があって、白山の地主神・大山祇神(おお
やまずみ・山の神)をまつってあります。大山祇神は聖観音の垂迹
神(すいじゃくしん・仏様の代わりに現れた神)だといわれていま
す。白山比盗_社蔵の「白山之記(しらやまのき)」という文書に
は、「白山の本来の地主神は、本来すんでいた御前峰を、白山権現
(白山妙理大菩薩)に譲っていまは別山の方に鎮まっている」とさ
れているそうです。
▼【別山山名・由来】
別山とは別の国の山のことですがここでは富士山が望める山の意
味だそうです。なるほど、山なみの向こうに富士山らしき山陰が小
さく見えます。しかし、いつもの堂々とした富士山と違って彼方の
彼方で霞みがち。なんだか遠慮しているような感じに見える山の姿
でした。それもそのはずで、南アルプスの北岳だと文献にありまし
た。
【▼登山道・禅定道】
さて、白山山頂に至る登山道を、禅定道(ぜんじょうどう)とい
い、登山口を馬場というそうです。馬場には、「加賀馬場」、「越前
馬場」、「美濃馬場」の3口があり、それぞれ独自に発展した白山信
仰の拠点になっています。
「加賀馬場」は、白山寺・白山本宮(いまの石川県鶴来町)、「越
前馬場」は、平泉寺(へいせんじ)・白山中宮(いまの福井県勝山
市)、「美濃馬場」は、長滝寺(ちょうりゅうじ)・白山本地中宮(い
まの岐阜県白鳥町)で、白山への信仰登山は、この三つの登山口か
ら登って行ったそうです。いま全国にある「白山社」はこれらの馬
場を通じて勧請されたもの。
▼【臥行者伝説】
泰澄上人の二人の弟子のうち、大汝峰にとどまっている臥行者に
はこんな伝説があります。ある日泰澄上人のもとへ少年が入門して
きました。少年は上人のそばを片時も離れず世話をし家事などにい
そしんでいましたが、そのほかはいつも、屋外の雪の上でも臥(ふ)
して寝ていたといいます。
あきれた上人は少年に「臥行者」と名をつけたといいます。家事
食料調達が仕事だった臥行者には特技がありました。海岸に立って
沖を航行している船に向かって、「鉄鉢」を飛んで行かせます。船
人は心得たもので鉄鉢に米を入れて喜捨をします。すると鉢がまた
空を飛んで戻ってくるというのです。
奈良時代の和銅5年(712)というから、まるっきりでたらめで
はなさそうです。秋のある日、臥行者はいつものように、沖を行く
船をめがけて鉄鉢を飛ばしました。しかしその船は、出羽の国(山
形・秋田県あたり)から朝廷の米を上納する途中の運搬船でした。
▼【浄定上人伝説】
船主の神部浄定(かんべのきよさだ)は、「この米は官米である。
少量たりとも渡すことはできぬ」と布施するのを拒みました。する
と船に積んであった米俵がふわりと舞い上がり、あとからあとから
列をなし、臥行者のいる越智山(おちさん613m)(※『越後野志』
(江戸時代の越後の地誌)では米山993mになっている)めがけて
飛び去っていきます。
船主は大慌てで米俵を追って行くと、泰澄上人の住まいの前に俵
が高く積まれています。船主の神部浄定は泰澄に米を返すよう頼み
ました。すると「あれは臥行者の仕業、すぐ返すよういっておく」。
浄定が船に帰ってみると、すでに米俵は戻っていました。
船主の神部浄定は、この不思議な光景を見て、米運搬の役目を果
たすと、そのまま泰澄上人のもとに駆けつけ弟子入りしました。こ
うして浄定は炊事、洗濯、家事一切を取り仕切りながら師匠や兄弟
子・臥行者の身の回りの世話をし、修行に励み行を重ねて浄定行者
(略して浄行者)といわれるまでになりました。
浄定行者は、先輩の臥行者をさしおいて別山で「白山正法坊天
狗」になっています。それは浄定行者は寝てばかりいる臥行者と
違って、忠実励行・浄心篤実な性格から来ているので、妥当な配
置ではないかと天狗研究者の知切光歳氏はいっています。
▼【富士山と背比べ伝説】
この白山にも富士山と背比べをしたという話があります。どち
らが高いか高さくらべをした際、2つの山に樋(とい)を渡して水
を流したところ、白山の方に水が流れてきました。自分の方が低い
ことが分かった白山は、あわてて履(は)いていたわらじを脱いで、
樋の下にあてがい、ごまかしたというのです。
それからというものこの山に登った人は、履いているわらじを脱
いで、山に置いてくるようになったというのです。一説にわらじを
ぬいでくるのは、白山は霊山であり、その土がわらじについて俗界
に持ち込まれることを白山の神が嫌がるからだという人もいます。
▼【千蛇ヶ池伝説】
白山の山頂には、千蛇ヶ池という気味の悪い池があります。こ
こには妖蛇伝説も残っています。奈良時代、白泰澄上人が白山を
開山した当時、この山には三千匹もの妖蛇がすみ、ふもとの村人
を悩ましていたといいます。泰澄上人は蛇たちを呼び集めて、因
果をふくめ、凶悪な一千匹を切って塚に埋めました。これが白山
の観光新道が阿弥陀ヶ原に入る所にある「蛇塚」だというのです。
次の一千匹は千蛇ヶ池に封じ込めてしまい、雪でふたをして再
び世に出れないようにしました。もし雪が消えるような時には、
池のすぐ上の御宝庫がくずれ落ち、池を埋めてしまうといわれて
います。
残る一千匹を白山南方三ノ峰の南西麓にある原ノ平の「刈込池」
に封じ込めてあるということです(「白峰村史」による)。なお、
同名の「千蛇ヶ池は」北アルプスの立山にもあって同じような伝
説が残っています。
▼白山全体【データ】
★【所在地】
石川県白山市と岐阜県大野郡白川村との境 最短:JR金
沢駅からバス別当出合下車、歩いて3:20分で御前峰。一等
三角点(2702.2mm)と白山比刀iしらやまひめ)神社奥宮が
ある。
★【ご利益】
白山比刀iしらやまひめ)神社奥宮:大漁・海上安全の神
★【位置】国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索
・御前峰三角点:北緯36度09分18.49秒、東経136度46分17.12秒
★【地図】
・2万5千分の1地形図「白山(金沢)」
★【山行】
・某年9月4日(土・くもりのち雨)
▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典17・石川県』浅香年木ほか編(角川書店)
1981年(昭和56)
・『角川日本地名大辞典21・岐阜県』野村忠夫ほか編(角川書店)
1980年(昭和55):
・『元亨釈書』(げんこうしゃくしょ)虎関師錬著。:国立国会図書
館電子デジタル。日本の歴史書。鎌倉時代に漢文体で記した日本初
の仏教通史。著者は臨済宗の僧、虎関師錬(1278−1346年)。
・『古代山岳信仰遺跡の研究』大和久震平著(名著出版)
・『山岳宗教史研究叢書10』(白山・立山と北陸修験道)高瀬重雄
編
・『山岳宗教史研究叢書17』「修験道史料集1・東日本編」五来重
編(名著出版)1983年(昭和58)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『図聚天狗列伝・東日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和52)
・『仙人の研究』知切光歳(大陸書房)1989年(平成元)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本伝奇伝説大事典』編者・乾勝己ほか(角川書店)1990年(平
成2)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本歴史地名大系21・岐阜県の地名』(平凡社)1989年(平成
元)
・『日本歴史地名大系17・石川県の地名』(平凡社)1991年(平成
3)
・『平家物語ほか』(日本文学全集7)井伏鱒二訳(河出書房新社)1960
年(昭和35)
・『本朝神仙伝』大江匡房(平安後期の)(日本古典全書「古本説話
集・本朝神仙伝」川口久雄校注 朝日新聞社)
・『名山の日本史』高橋千劔破(ちはや)(河出書房新社)2004年
(平成16)
・『柳田國男全集25』柳田國男(ちくま文庫)1990年(平成2)
……………………………………………………………………………
山旅通信【ひとり画ッ展】題名一覧へ【戻る】
……………………………………………………
「峠と花と地蔵さんと…」HPトップページへ【戻る】
|