【本文】
▼【塩見岳とは】
塩見岳は南アルプスのまん中あたりにあり、長野県伊
那市と静岡県静岡市との境にある山。東峰(3052m)
と西峰(3047m)のふたつに分かれ、東峰が少し高い
ですが頂上は西峰で、二等三角点があります。またこの
山は大井川(静岡県)と天竜川(長野県)の源流になっ
ています。
▼【山名】
山名は塩見岳のほか、赤石間ノ岳、荒川岳、椎ノ岳(静
岡県側)、鹿塩の岳などとも呼ばれました。なかでも赤
石間ノ岳は、明治時代、登山家で文芸批評家の小島烏水
(こじまうすい)が、ずっと南方にある荒川岳、赤石岳
を縦走し、遠くに見える塩見岳を「間ノ岳」と発表しま
した。しかし白峰三山にも「間ノ岳」があります。
そこで赤石岳方面から見た間ノ岳を「赤石山脈の間ノ
岳」(赤石間ノ岳)、白峰三山の間ノ岳を「白峰山脈の
間ノ岳」と呼び区別したといいます。ところが長野県側
から見ると塩見岳は、地元の伊那市を流れる三峰川(み
ぶがわ)の支流荒川の源頭にあり、「荒川岳」と呼んで
いました。
荒川岳といえば荒川三山の東岳(荒川岳)があります。
これでまたまたこんがらがってしまいます。こりゃダメ
だというので、大正初年(1912)、荒川岳と呼ぶのをや
めて、「塩見岳」と呼ぶことにしました。それ以降やっ
と人々に塩見岳の名が浸透したということです。いまで
も塩見岳の北に「北荒川岳」という名があるのはその時
代の名残とのことです。
▼【山名由来】
塩見岳の名の由来にはいくつもあるようです。(1:
山ろくに製塩所があった。西ろくの鹿塩集落には塩鹿(し
おじし)、塩原、大塩、塩中、塩沢など塩のつく地区が
多くあるように、これらの集落の地下水には塩分が含ま
れ、古くから塩の産地でした。明治時代には本格的な製
塩施設がつくられ、鹿塩産の塩が各地に出荷されるほど
盛んでした。そんなことからこの山の山頂から製塩所が
望めたのが山名の由来といいます。
その(2は、塩見岳山頂から太平洋が見えるため、汐
の見える山という意味とか。『日本百名山』には海が見
えないとありますが「冬の空気の澄んだ日、山頂から確
かに見た」という人もいます。また村人が塩がなくて困
っているとき、弘法大師がこの山に登り、頂上から海を
見て、塩を谷に呼んだという説もああります。また弘法
大師が、杖にしていた銀杏の枝で土を掘ると、そこから
塩水が吹き出したとも伝えられています。
その(3の伝説は、大黒さまともいわれる大己貴命(お
おなむちのみこと)の子供で諏訪湖諏訪大社にまつられ
ている建御名方命(たけみなかたのみこと・諏訪明神)
という神さまがいます。この神が塩見岳のふもとの鹿塩
地区の谷で塩を見つけたのだそうです。その谷の源にあ
る山なので、塩見岳と名づけたというのに由来していま
す。
この明神(建御名方命)は、『古事記』上つ記・国譲
りの項で、建御雷(たけみかづち)の神に追いかけられ、
諏訪湖まで逃げてきましたが、ついに降参した神。この
神が大鹿村にやってきて、鹿塩の谷で塩を見つけたのだ
といいます(『角川日本地名大辞典20・長野県』)。しか
しその山は、三伏峠と塩見岳の中間にある本谷山のこと
らしく、塩見岳は塩川の谷からは見えないというから困
ります。
それとはちょっと違う話があります。昔、伊那谷の人
々は塩が不足して苦しんでいました。それを見た諏訪明
神(建御名方命)は不憫に思い、ある日間ノ岳(塩見岳
のこと)に登って、塩の出そうなところを探してふもと
を見渡していると、伊那里村(いなさとむら・いまの伊
那市長谷)と、大鹿(おおじか)村のあたりに、塩がふ
き出ているところがあるのに目がとまりました。明神は
そのことを村人に教えたので、塩水が汲み上げられまし
た
それからは間ノ岳と呼んでいた山を「塩見岳」と改め、
伊那里村には「鹿平」が、大鹿村には「岩塩泉」(いわ
しおいずみ)と呼ばれる地名がができました。建御名方
命は大鹿村にしばらく足をとめていましたが、ある日裏
山で大鹿を一頭しとめてきました。それを汲み上げた塩
で調理し、ふるまったので里人は大喜び、この地を鹿塩
(しかしお)と呼ぶようになりました。
鹿塩の住民はそのお礼に、神をまつってある諏訪湖の
諏訪明神に塩漬けした鹿の頭を献上しました。実際、最
近まで鹿塩の住民は、長野県上諏訪にある諏訪明神の祭
典には、塩漬けにした鹿の頭を献上していたということ
です。
▼【標高かさ上げ伝説】
塩見岳にはこんな話もあります。いつのころだったか、
2,3人の外国人が、強力とともに塩見岳に登りました。
そして「この山は1万尺に3尺足りない。なんとか一万
尺にしてやろう」と、一緒にいた強力と力を合わせて、
土や岩石をかき集め3尺盛り上げ一万尺にしたといいま
す。いま塩見岳の標高は3047.3mですが、そのころの
測量では1万尺(3,030m)に3尺足りない、9997尺(3
029,091m)だったのでしょうか。(『山の伝説・日本ア
ルプス編』)。
▼【宗良親王伝説】
また大鹿村の大河原地区は、南北朝時代、南朝の親王
だった宗良(むねなが)親王が、臣下たちと南朝再興を
願って30年間隠れ住んでいたところでもあります。親
王は時々赤石岳山頂に登り、南朝の再興を祈ったといい
ます。小赤石岳の北にある「大小寺平」という地名は、
宗良親王にちなんだものだそうです。大鹿村には親王の
「御所平」という地名もあり、そこには宗良親王御所跡
の史跡もあります。
▼【虚空蔵山伝説】
こちらは妖怪伝説です。塩見岳の山すその虚空蔵山城
は、戦国時代武田信玄の家来・多田三八(三八郎)とい
う武士が守っていたそうです。三八はたいした怪力で、
西方上杉の陣に備えていました。ある風雨のはげしい夜、
あたりが騒々しく何となく敵の気配がするため、物見台
に登ろうとしました。すると突然、闇の中から三八の髪
の毛をつかんで空中に引き上げようとするものがいま
す。
多田三八はとっさに腰の刀を抜くと同時に、くせ者の
手を切り落としました。すると風雨で荒れていた雲が不
思議に切れ、月が顔を出しました。三八が月明かりであ
たりを見渡すと、庭先に鷲の足のような手が、血に染ま
ったまま虚空をつかんで落ちていました。このことを伝
え聞いた上杉方の陣では、「三八が鬼を切った」と、そ
の武勇を褒めそやしたということです。三八が退治した
怪物は「クハジャ」というものだそうです。
この「クハジャ」とは火車のことで、地元の地誌『甲
斐国志』にも地獄の妖怪・火車鬼の名で登場しています。
一説に葬式や墓場から遺体を奪う妖怪で、年老いた猫が
変化した猫又(ねこまた)が正体という人もいるそうで
す。
▼【雪の夜の女伝説】
もうひとつ。塩見岳山ろくに鹿塩山(しかしおやま)
という所があるそうです。この付近には雪が積もった深
夜、山道に女があらわれるといいます。白い手ぬぐいを
かぶり、雪より白い肌、真紅な唇、つぶらな瞳、紫の着
物を着た美女。人が歩いてくると、女はその先になって
歩いて行くというのです。
村が近くなり家の灯りが見えはじめると、女は立ち止
まってふり返り、にこっと笑いかけると姿を消します。
里人たちははじめのうちは恐ろしがっていましたが、次
第に馴れて、女の姿見えないと寂しくなってくるように
なりました。ある激しい吹雪の朝、村の若者が風雪にた
たかれながら歩いていると、雪の積もった中に妙なもの
が転がっていました。大きな狐でした。その時から雪の
夜に出現するあの美しい女は見えなくなってしまったと
いうことです。
▼【阿部清明の祈祷柱伝説】
塩見岳の山ろくには、昔、阿部清明も訪れていたよう
です。大鹿村鹿塩大字沢井地区の(宮下の)家には、「阿
部清明の火除け柱」というものがあります。かつて清明
がこの地を通行した時、激しいオコリに悩まされ、付近
の農家が手厚く看護をしてくれました。清明は感謝のお
礼に、普請中のこの屋の柱へ「火難除けの祈祷」を封じ
込みました。それ以来この家は絶対に火事にあわないと
いいます。近郊の人々は思い思いにこの柱を切り分けて
もらい、火難除けのお守りにしているそうです。
▼【鹿塩の七不思議】
大鹿村鹿塩には「七不思議」もあります。・(1【夜
泣き松】南北朝時代、鹿塩の駿木城主児島高春の息女美
祢姫(みねひめ)が、宗良親王に仕えて一女を生みまし
た。実家の駿木城に帰って育てていましたが、夜泣きが
ひどく姫もほとほと困っていました。それを聞いた村人
が、むらの観音堂に祈ると観音さまが夢枕に立ち、観音
堂の前にある松の小枝を赤子の枕元に供えよとのお告げ
がありました。これが効験あらたかなことから、いごこ
の松は「夜泣き松」と呼ばれるようなりました。この松
は、赤松で樹高15m、周囲4.6m、樹齢約700年のも
のだそうです。
・(2【八っ鹿】その昔、猟師が山中に8頭の鹿の群
れを見つけました。猟師はその中の1頭をしとめ、家に
帰りました。翌日猟師がまたそのあたりに行くと、やは
り鹿が8頭で群れています。また翌日そこへ行くと、ま
た鹿が8頭で群れています。その翌日またその翌日と、
いつ行ってもその鹿の群れは8頭で、いくら仕留めても
数が減らなかったということです。
・(3【大池の膳椀】鹿塩の篠山地区にある大池には
「椀貸し伝説」があるということです。村で客寄せの時、
前夜必要な数の膳や椀を頼んでおくと、次の朝、行って
みると池のほとりに、朱塗りの膳碗がちゃんと揃ってな
らんでいるといいます。用が済むと礼をいって元のとこ
ろへ返します。村人は冠婚葬祭の時などにはこれを利用
していました。
ある時、借りたお椀をひとつ誤って壊してしまいまし
た。数が足らなくなり、池に返すこともできず、そのま
まにしてしまった時がありました。それからというもの、
いくら頼んでも大池は、膳や椀を貸してはくれなくなっ
てしまったということです。
・(4【塩の湯】:有名な塩の湯は諏訪明神(建御名
方神)や、弘法大師の発見が元になっているとことにな
っています。いまも塩の泉は尽きることなく、こんこん
と湧き出ているそうです。・(5【逆さ銀杏】:同じく鹿
塩大字沢井入地区に「逆さ銀杏」という乳の出がよくな
るという古木があります。昔弘法大師がまだ若いころこ
の地に来て、塩の出るところを見つけ、持っていた銀杏
の杖で塩の井戸を掘りました。その杖が地面に刺したと
ころ抜けなくなり根づいてしまいました。
大きくなった銀杏の木は、幹や枝にいくつもの乳房の
ようなものが垂れ下がり、その皮を煎じて飲んだ女性は
乳の出がよくなるといわれ、乳の出が悪い婦人は争うよ
うにこの皮を持って帰るそうです。その銀杏の木は、樹
高12m、周囲8.3m、樹齢約900mで、昭和50年(1975)
に大鹿村の天然記念物に指定されています。
・(6【灰汁なしわらび】:このあたりに生えるワラ
ビは灰汁(あく)を抜かず、そのまま似て食べられると
いう不思議。・F【猫のノミ】:この谷の猫にはノミが
いないといいます。ここで生まれた猫の子は、どこへ貰
われて行ってもノミがつかないといいます。ただノミが
つかないのは、貰われて行ったその猫一代というから不
思議です。
▼【三伏峠の三正坊伝説】
塩見岳から荒川岳、赤石岳方面へ縦走するには、一旦
三伏峠に下らなければなりません。ここは日本で最も標
高の高い峠。このふもと大鹿村御所平の南方、釜沢温泉
付近にある「三正坊」という祠があり、つむじ曲がりの
山神の伝説があります。この祠には「鼻高天狗」、「口
高天狗」のふたつのお面が飾られていました。これでわ
かるように三正坊の正体は天狗だといいます。
この天狗は不浄を嫌う気むずかしい性格でした。ある
年、三正坊の祠の屋根を葺き替えた時、三正坊天狗を仮
り宮に移し、屋根のふきかえも終わったので、三正坊を
元の祠へ戻っていただこうと、神主が祝詞(のりと)を
あげました。しかし祝詞がなかなか終わりません。
しびれを切らした村の若者たちが祝詞がまだ終わらな
いうちに、落成祝いの打ち上げ花火に点火しようとしま
した。しかし、一向に火がつきません。ところが祝詞が
終わったとたん、突然花火に点火し打ち上がり、山深い
里に轟音が響きました。これは硝煙が嫌いな三正坊が祝
詞が終わるまで花火を上げさせなかったのだと、いまで
も里人たちは信じているそうです。
こんなありさまですから、三正坊天狗は硝煙を使う猟
師の鉄砲も大嫌いです。猟師たちは鉄砲を担いだ時は、
決して祠の前を通りません。まして獲物の獣をしとめた
時などすぐにわが家に帰ることなど許されませんdし
た。
猟師たちは屋外で湯を沸かし、口すすぎなど身を浄め
てから家の中に入ったのだそうです。そのほか女性の生
理日には、釜沢地区の婦人は一間に入って、別の火で炊
事をしたということです。この習慣は明治30年(1897)
ごろまでつづいたということです。
▼塩見岳【データ】
★【所在地】
・静岡県静岡市と長野県伊那市(旧上伊那郡長谷村)と
の境。JR飯田線伊那大島駅からバス、塩川から歩いて
8時間で塩見岳。二等三角点(3046.9m)がある。地形
図に山名と三角点の標高の記載あり。北西の肩に塩見小
屋があり2766mの標高点がある。
★【位置】(電子国土ポータル)
・三角点:北緯35度34分25.79秒、東経138度10分58.97
秒
★【地図】
・2万5千分の1地形図「塩見岳(甲府)」
▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典20・長野県』市川健夫ほか編(角
川書店)1990年(平成2)
・『角川日本地名大辞典22・静岡県』小和田哲男ほか編
(角川書店)1982年(昭和57)
・『古事記』:新潮日本古典集成・27『古事記』校注・
西宮一民(新潮社版)2005年(平成17)
・『信州山岳百科2』(信濃毎日新聞社編)1983年(昭
和58)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005
年(平成17)
・『日本山岳風土記2・中央・南アルプス』(宝文館)1960
年(昭和35)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平
成16)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年
(平成9)
・『日本三百名山」毎日新聞社編(毎日新聞社)1997年
(平成9)
・『日本百名山』深田久弥(新潮社)1970年(昭和45)
・『日本歴史地名大系22・静岡県の地名』若林淳之ほか
(平凡社)2000年(平成12)
・『山の伝説・日本アルプス編』(青木純二)(丁未出版)
1930年(昭和5)
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