【本文】
▼【間ノ岳とは】
間ノ岳は、南アルプスの北部にある白根(白峰)山系
白根(白峰)三山のひとつで標高は3189.5m。富士山、
北岳、奧穂高岳とならんで第3位の高さです。概観も堂
々としており、高度差が南の鞍部から山頂まで400m近
く、また北の鞍部は240mと、まるで独立峰のようです。
▼【展望】
展望も当然ながらいうことはなく、北側に北岳・甲斐
駒ヶ岳・鳳凰三山・仙丈ヶ岳などなど、南を望めば農鳥
・塩見岳から富士山など思いのままです。
▼【山名】
山名は白峰三山(北から北岳、間ノ岳、農鳥岳)の中
間にあるからといいます。農鳥山・中峯・中ノ岳などと
も呼ばれ、やはり「中」の字がつきます。
▼【高山植物】
間ノ岳山頂東直下、細沢カールは残雪が多く高山植物
の宝庫。7月ごろは、稜線にかけての一帯はシナノキン
バイ、トウヤクリンドウ、ハクサンイチゲ、シオガマ、
ミネウスユキソウ、オヤマノエンドウなどが咲き競って
います。
▼【鳥、鬼面の雪形】
間ノ岳にはふたつの雪形が出るといいます。鳥形の雪
形と、もうひとつは鬼面の雪形です。その一つ、鳥形の
雪形は5,6月ごろ東面の細沢(※細沢カールか)にあ
らわれるそうです。この雪形は、東ろく山梨県側からは、
地域によっては残雪が鳥の形に見え、農耕の時期を教え
ることから、この雪形を農の鳥(農鳥)と呼び、この山
(間ノ岳)を「農鳥山」といっていたそうです。
その場合、いま農鳥岳と呼んでいる山を当時は、別当
代(べっとうしろ)と呼びました。雪形は5,6月ごろ
東面にある細沢(細沢カールか?)にあらわれるそうで
す。
このことについて、江戸時代の甲斐国の地誌『甲斐国
志』巻之三十三に、次のように書いています。「中峯間
ノ岳或ハ中ノ岳ト称ス、此ノ峯下ニ五月ニ至リテ雪漸ク
融(トケ)テ鳥ノ形ヲナス所アリ、土人見テ農候(※農
の時節)トス、故ニ農鳥山トモ呼ブ其ノ南ヲ別当代(ベ
ッタウジロ)ト云フ、皆一脚ノ別峯ニシテスベテ白峯ナ
リ」
平たくいうと、「…中峰を間ノ岳あるいは中岳という。
この山の下に、5月になってやっと雪が溶けて、鳥の形
に見えるところがある。住民たちはそれを見て田畑の農
作業をはじめる。そんなところから「農鳥山」と呼ぶ者
もいる。この場合、その南にある山(いまでいう農鳥岳)
は別当代(べっとうしろ)と呼んでいる。これらはすべ
て白峰である」ということになります。
もうひとつの雪形は山頂の北西に面した、カールに出
る鬼面でこれはポジ型。カールの鍋の底のようなくぼ地
に出る残雪のことで、この鬼の表情は柔和な感じです。
それは西側長野県側宮田村からだけ見られるようで、前
山が落ち込んで切れたあたりに見えるというのです(『山
の紋章・雪形』)。この雪形も種まきなど農作業をはじめる
季節がわかるといいます。
▼【農鳥岳とは】
さて間ノ岳から南に歩けば、白根(白峰)三山の一番
南にある農鳥岳に至ります。農鳥岳には東農鳥岳(3025.
9m)と、西農鳥岳(3050m)の2峰あり、ふつう農鳥
岳といえば一般には東農鳥岳を指しています。西農鳥岳
の方が標高は高いですが、三角点は農鳥岳(東農鳥岳)
にあります。
▼【農鳥岳の山名】
農鳥とは、この山に出る鳥の形をした雪形が、農鳥岳
(東農鳥岳)のアスナロ沢という沢の源頭に出ることに
由来しています。この雪形が甲府盆地から見られるころ、
農作業をはじめるのに適した時期に出る「農の鳥」とし
て、その目安になっていました。ちなみに西農鳥岳は甲
府からでは見えないそうです。
明治から昭和にかけての登山家で文芸批評家の小島烏
水(うすい)も「白峰山脈の記」のなかで、農鳥岳の雪
形について次のようなことを書いています。
白峰三山の「そのなかでも農鳥山の名を忘れてはなら
ぬ、一体甲府の人たちは、春の田植や、又秋の麦まきな
どを「農をする」といっている、この二期には、山の雪
が消え残ったり、また積もりはじめるときで、…そのと
き鳥の形が、農鳥山の頂上より、真下、少しも左右に偏
することことなく、胸壁の上に印せられるので、この鳥
形が見えはじめると、農にかかるから農鳥山の名を得た
ともいう、ことに晩春から初夏へかけての鳥形は、実に
分明なものであるという。「農鳥」というのは、鶏の義
であるそうだが事実残雪は、鶏とは見えない」。
つづけて小島烏水は書いています。「無風流な農夫は、
自分に説明して、シャモの雄ン鳥が立っているようでだ
んだん雪が融けると、尾が消え、腹が?(むし)られ、
耡(すき)のような形をして、消えて了(しま)うと語
った。白い鳥は消えても、注意して見ると、岩壁厳めし
い赭(しゃ・※赤)色の農鳥は、いつ、いかなる時でも、
おそらく山が存在する限りは見えているだろう。或は農
鳥というのは、農鳥山の麓近い沢に、雪の消えた跡へ、
黒く出る岩で、卵を三つ持って現れるという、言い伝え
もあるそうだ」、なのだそうです。(『日本山岳風土記2』)。
▼【農鳥岳・雪形伝説】
一方、農鳥岳の農鳥の雪形について、山梨県韮崎市穂
坂地区にこんな話が伝わっています。奥秩父前衛の茅ヶ
岳南ろくにあたる穂坂地区一帯は、昔から水の便が悪く
日照りに苦しんでいました。夏になると水不足で、田も
畑も枯れそうになるので、村の人たちは毎年のように鳳
凰山に登って雨乞いをしていました。それを見て、山の
神はさすがに気の毒に思い、黒毛の農牛と白斑(しらふ)
の農鳥に、穂坂村に池を掘るように命じました。
神にいわれた農牛(黒牛)と農鳥(白鳥)は、夜にな
ってから穂坂村に行って、それぞれの池を掘りはじめま
した。農牛は農鳥に「夜が明けそうになったら、お前が
時を告げて鳴いてくれ。それを合図に作業を終わりにし
て帰ろう。明るくなると山へ帰れなくなってしまうぞ」。
こうしてふたり(?)は、毎晩一生懸命に池を掘り、夜
明け前に農鳥が時を告げると、それを合図にそろって仕
事をやめ、山に帰りました。
このようしてふたつの池は大分できあがってきまし
た。そんなある晩、池掘りに夢中になりすぎ、農鳥が時
を知らせるのを忘れてしまいました。シラジラと夜が明
け、「しまった」農鳥(白鳥)はサッと飛び立っていき
ました。しかし農牛(黒牛)は山へ帰れず、マゴマゴし
ているうちに進退きわまり、池のそばで石になってしま
いました。いまも牛が寝た形の石が残っており、里人は
「牛石」と呼んでいます。(※また別の説にふるさとの
鳳凰山に戻ったとの話もあります)。
こうしてどちらの池も、掘るのは途中で中止になって
しまいました。しかしこの池はいまも「牛池」と「鳥の
小池」として残っていて、どちらもどんな日照りの年で
も水が干上がることはないそうです。農鳥が飛び去った
先は、その名のように「農鳥岳」で、そこの雪形になっ
ているそうです。
農鳥岳の雪形は、季節でいろいろな形で出るといいま
す。毎年農作業がはじまるころになると、雪が白鳥が首
をのばした形に消え残って、次ぎに牛の形があらわれま
す。春になり、鳥(白鳥)の雪形が山にあらわれると、
村人は苗代(なわしろ)に籾種(もみだね)をおろし、
農牛の形が見えると、畑にダイズやアズキを蒔(ま)き
つけます。
また、農牛の雪形は秋にもあらわれることがあって、
秋の農牛が見えると、秋の農作業(麦まき)をはじめる
そうです。この農牛は鳳凰山に帰った黒牛が、農作業の
応援に来ているのでしょうか。なお、この山の残り雪は、
鋤(すき)や鍬(くわ)などの農具の形に見えることも
あるということです(『裏見寒話』『口碑伝説集』より)。
▼【農鳥岳山頂の歌碑】
さて農鳥岳(東農鳥)山頂には、明治の文人で詩人の
大町桂月の歌碑が建っています。「酒のみて高根の上に
吐く息は散りて下界の雨となるらん」。これは桂月が桂
月が1924年(大正13)の夏に農鳥岳に登り、このあたり
に野営した時詠んだ歌だそうです。
歌碑に刻んである歌のとおり桂月は、酒と旅をことさ
ら好みました。1955年(昭和30)代になり、地元の観
光協会と山岳会が石碑に歌を刻んでかつぎ上げました。
しかし私の登った1981年(昭和56)には、長年の風雪の
ため、真っ二つに割れてしまっていました。その後、建
て替えたと聞いています。
▼間ノ岳【データ】
★【所在地】
・山梨県南巨摩郡早川町と南アルプス市(旧中巨摩郡芦
安村)、静岡市との境。中央本線甲府駅の西31キロ。J
R中央本線甲府駅からバス、広河原下車、さらに歩いて
延べ10時間15分で間ノ岳。三等三角点(3189.3m)があ
る。地形図に山名と三角点の標高のみ記載。三角点より
西方向直線約850mに三峰岳がある。
★【地図】
・2万5千分の1地形図「間ノ岳(甲府)」(別の図葉名
と重ならず)。5万分の1地形図「甲府−大河原」
▼【参考文献】
・『甲斐国志』:巨麻郡西河内領(松平定能(まさ)編
集)1814(文化11年):『甲斐国志』第2巻(「大日本地
誌大系45」(雄山閣)1973年(昭和48)
・『甲斐伝説集』(甲斐民俗叢書2)土橋里木著(山梨
民俗の会)1953年(昭和28)
・『角川日本地名大辞典19・山梨県」磯貝正義ほか編(角
川書店)1984年(昭和59)
・『角川日本地名大辞典22・静岡県』小和田哲男ほか編
(角川書店)1982年(昭和57)
・『桂月全集・別巻」(下)大町桂月(桂月全集刊行会)
1929年(昭和4)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005
年(平成17)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005
年(平成17)
・『日本山岳風土記2』(宝文館)1960年(昭和35)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平
成16)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年
(平成9)
・『日本百名山』(新潮文庫)深田久弥(新潮社)1979年(昭和54)
・『日本歴史地名大系19・山梨県の地名』(平凡社)1995年(平成7)
・『日本歴史地名大系19・山梨県の地名』(平凡社)1995年(平成7)
・『山の紋章・雪形』田淵行男著(学習研究社)1981年(昭和56)
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