【本文】
▼【仙丈ヶ岳とは】
南アルプスの雄峰甲斐駒ヶ岳は、岩がゴツゴツした男
っぽい山です。一方その南西、北沢峠の先に優美でゆっ
たりとした姿の仙丈ヶ岳(標高3032.6m)があります。
甲斐駒ヶ岳に対して、ここ仙丈ヶ岳は、その姿から「南
アルプスの女王」とまでいわれています。仙丈ヶ岳は、
長大な尾根を四方に延ばし、藪沢、大仙丈、小仙丈の3
つのカールを抱いています。カールとは、氷河の浸食で
円形に削られた地形のことです。
3つのカールの中でもとくに藪沢カール(仙丈岳カー
ル)は、立山の山崎カール、穂高岳の涸沢カールといっ
しょに「日本三大カール」に数えられ、「仙丈のお釜」
とも呼ばれているそうです。藪沢カールの下にある水場
は、南アルプスの最も高所の水場で、流れ出る冷たい水
は登山者をいやしてくれています。
仙丈ヶ岳からの展望は素晴らしく、中央アルプスの峰
々、北アルプスから南アルプスの甲斐駒ヶ岳、鳳凰三山、
白根三山、塩見岳などが思いのままです。高山植物も多
く、クロユリ・シナノキンバイ・キバナシャクナゲ・チ
ングルマ・ミヤマキンポウゲ・ウサギギク・タカネグン
ナイフウロ・ヨツバシオガマ・オヤマノエンドウなどな
どのお花畑が広がっています。
▼【山名】
仙丈ヶ岳(せんじょうがたけ)は、仙丈岳とか千丈岳、
前岳、前山、御鉢岳、小河内岳などとも呼ばれていまし
た。「仙丈」というのは藪沢カールの底が広々としてい
て、中央アルプスの宝剣岳の千畳敷と同じように、広さ
が「千畳」もあるような、また奥秩父の奥千丈ヶ岳など
と同じように山の高さが「千丈」もあるような、「広い」
「非常に高い」とかの意味を持つのだとか。
また別名の「前山」、「前岳」とは、伊那地方の村人
から見ると、信仰登山でにぎわっていた甲斐駒ヶ岳(東
駒ヶ岳)に対して、仙丈ヶ岳はその前にある山だからと
しています。さらに「小河内岳」というのは、黒川の支
流で戸台付近から仙丈ヶ岳へ突き上げる谷(いまの尾勝
谷)の谷頭にある山からきているそうです。一方山梨県
側からは、こんな高い山でもここ仙丈ヶ岳を望むことは、
ほとんどできないとのことですから、やっぱり奥深い山
です。
▼【歴史・記録】
この山についての最も古い山行記録は、明治時代の登
山家河田黙の登山記だそうです。河田黙は1909年(明
治42年)に仙丈ヶ岳に登頂。そのころは山頂に前岳三
柱大神、明岳大神、国常立尊(くにとこたちのみこと)、
国狭槌尊(くにのさつちのみこと)と彫った石碑があっ
たといいますが、いまは跡形もありません。
▼【南アルプススーパー林道】
かつては南アルプスといえば南アルプススーパー林道
が話題になりました。昭和42(1967)年に着工しました
が、自然保護運動の高まりの中、賛否で論争されてつい
に昭和48(1973)年、北沢峠部分についての工事が凍結
したこともありました。その後、1978年(昭和53)に工
事が再開。
そして1981年(昭和56)長野県伊那市長谷(旧上伊那
郡長谷村)〜北沢峠と、山梨県南アルプス市芦安(旧山
梨県中巨摩郡芦安村)〜北沢峠間のバスが運行、全線が
開通しました。開通後の林道は、山梨県側が山梨県営南
アルプス林道、長野県側が伊那市営林道南アルプス線と
して管理されているそうです。
▼【平家落人伝説】
長野県側山ろくには伝説地も多いです。伊那市長谷の
浦地区には平家の落人伝説があります。その昔、源平合
戦に敗れた平維盛(これもり)が、紀州(和歌山県)か
ら落ちのびてきて、ここ三峰川の上流の浦村の台地に住
みつきました。その時維盛は本妻と白拍子(巫女)を連
れてきました。しかし、ここの台地はせまく生活がなり
たたず、この地に住みついてからの維盛は、都の日常と
違って、つつましくくらしています。
白拍子は考えました。これでは本妻に対して申し訳が
ない。維盛にとって自分はもはや不用であり、自分で身
を引くのがいちばんの方法だと悟りました。白拍子は長
谷の浦地区から三峰川をさかのぼり、どんどん南下、い
まの塩見岳への「塩見新道」の三峰川林道わきの「巫女
淵」に、念仏を唱えながら身を投げました。そこは青く
渦巻く深い淵で、いま林道わきには「巫女淵の霊水」と
いう水場があり、聖岳をめざす登山者の水補給の場にな
っています。
白拍子が身を投げたことを知った平維盛は、涙を流し
てあわれみました。そしてその淵に張り出している岩の
上に祠を建て、彼女が残していった鈴をまつり、その霊
を慰めました。その淵はいつしか「巫女淵」と呼ばれる
ようになったということです。このように長谷の浦村は、
いにしえから平家の落人部落として知られています。春
の彼岸にはいまも、平家のシンボル赤旗をたてておまつ
りが行われているそうです。
この話のもとになっているのが、1936年(昭和11)の
『長野県町村誌』(第三巻・中南信篇)です。そこには、
「昔時平惟盛(本当は糸偏の維)潜伏の地と云。依て往
古は此の地を壇の浦と云。亦曰(またいわく)、大永享
禄の年間に、平重盛十九代の孫、小松左京大夫重森、此
地に来り爰(ここ)居す共云。其孫雪三郎重清、天正の
年間に武田晴信に属し、爰(ここ)に居す。夫より武田
?(こう)の領地たり。以下記事上に同じ故に略之(2
行:今浦村の農民は皆小松氏なり)」と載っています。
▼【孝行猿伝説】
仙丈ヶ岳の山ろくの伝説といえば有名な「孝行猿」が
あります。仙丈ヶ岳の北には馬の背の尾根が延び、西に
は地蔵岳があって信仰登山に使われたという地蔵尾根が
あります。その地蔵尾根コースの登山口にある長野県長
谷の柏木地区の説話です。
ある年の冬に、猟師が山に入りましたがきょうは獲物
が捕れません。仕方なく家に帰る途中、思いがけず一匹
の大猿をしとめました。山小屋に帰った猟師は、その猿
の手足を縛って小屋の中につり下げました。夜、寒くな
ってきて、獲物が凍りついてはと思い、いろりに炭火を
おこして温かくして床に入りました。
すると夜中、物音に目をさますと、子猿が3匹、つり
下げた親猿の手を温めています。見ていると、子猿たち
は。いろりに手をあぶり、交代で死んだ大猿の傷口を温
めています。大猿は子猿たちの母親だったのです。猟師
は、畜生とはいえ親子の情愛を見て心を打たれ、殺生の
罪深さを悟り、母猿を手厚く葬り、女房にいとまをもら
い、頭をそって念仏者になって諸国行脚に出たというこ
とです(江戸時代の説話集『新著聞集』から)。
この話は話題になり、1936年(昭和11)の小学校の教
科書「尋常小学修身書 巻一」などにも載せられたそう
です。これの関連して、長野県長谷村市ノ瀬から柏木集
落を過ぎ地蔵尾根を30分程登ると、「孝行猿の遺跡」が
あるといいます。
▼【猿の愛情伝説】
これも同じ『新著聞集』(第二慈愛篇)に載っている
話です。信州下伊那郡殿島(いまの伊那市東春近字殿島
の渡場)の農夫が猿を飼っていました。ある時、妻が洗
濯しようと桶いっぱいに熱湯を入れておいたところ、子
猿がそこの落ち死んでしまいました。親猿はそれを見て
嘆き悲しみました。
夫が帰ってくると、親猿が桶の蓋(ふた)を持ってき
て、こうすれば熱湯に落ちなくてすんだのにというよう
に、桶に蓋をして見せています。農夫はこれを見て、あ
まりにあわれなので「もう自由にしていい。山に帰りな
さい」といいました。母猿は死んだ子猿を抱きかかえ、
外へ出ていきました。
不憫に思って後ろから見送っていると、母猿は山へは
行かないで、「殿島河原」の方へ行き橋の上から子猿と
いっしょに、身を投げて死んでしまいました。「畜類と
して、かく迄子を慕ふ道に迷ひけるとて、猿のぬしをは
じめ聞人ごとに、袖をぬらさざるはなかりし」と、『新
著聞集』は結んでいます。
▼仙丈ヶ岳【データ】
★【所在地】
・長野県伊那市長谷(旧上伊那郡長谷村)と山梨県南ア
ルプス市芦安(旧山梨県中巨摩郡芦安村)との境。JR
飯田線伊那北駅から戸台、さらに歩いて8時間で仙丈ヶ
岳。(標高3032.6m)。二等三角点、方位盤がある。
★【位置】(電子国土ポータル)
・三角点:北緯35度43分12.31秒、東経138度11分00.88
秒
★【地図】
・2万5千分の1地形図「仙丈ヶ岳(甲府)」
▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典20・長野県』市川健夫ほか編(角
川書店)1990年(平成2)
・『角川日本地名大辞典19・山梨県』磯貝正義ほか編(角
川書店)1984年(昭和59)
・『信州山岳百科2』(信濃毎日新聞社)1983年(昭和5
8)
・『新著聞集(しんちょもんじゅう)』(神谷養勇軒)17
49年(寛延(かんえん)2):「日本随筆大成第二期第
5巻」日本随筆大成編輯部編(吉川弘文館)1994年(平
成6)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005
年(平成17)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005
年(平成17)
・『長野県町村誌』(第三巻・中南信篇)編集・長野県
(発行・長野県町村誌刊行会)1936年(昭和11)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年
(平成9)
・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎日新聞社)1997年
(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平
成4)
・『日本山名総覧』竹内正(白山書房)1999年(平成11)
・『日本歴史地名大系20・長野県の地名』(平凡社)197
9年(昭和54)
・『名山の民俗史』高橋千劔破(河出書房新社)2009年
(平成21)
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