山旅通信【伝承と神話の百名山】とよだ 時

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▼1169-(百伝069)瑞牆山「謎の文字と増富温泉の伝説」

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【本文】

▼【瑞牆山とは】
 奥秩父の岩峰の山、瑞牆山(みずがきやま)は、奥秩
父の西部・山梨県北杜市にあって、全山寄岩怪石といわ
れる岩が、よりあつまっているといっていいほどの岩山
です。岩峰群の一つひとつに名前がついていて、鋸岩と
か大ヤスリ岩、小ヤスリ岩、小面岩、また洞ノ岩、十一
面岩などの名があります。

▼【山名】
 「みずがき」の字に「瑞牆」の字を使い始めたのは明
治時代、当時山梨県知事だった武田千代三郎という人だ
ったそうです。「みずがき」とは、神域を囲む垣根とい
う意味だそうです。つまり神社のまわりの垣根のような
ものでしょうか。

 そもそも「ミズガキ」の文字は、江戸時代の甲斐の国
の「地誌」にも登場しています。その地誌『甲斐国志』
(かいこくし)の金峰山の項(巻之二十、山川部第一)
に、「一金峰山………臆乗ニ曰ク、古図ニ金峰ヲ玉塁ト
ス、多麻賀畿(タマガキ)ト訓ズベシ、今小尾(おび)
村・比志(ひし)村等ノ里人、此ノ山麓ヲ指シテ瑞塁(み
ずがき)ト呼ブ、蓋シ古名ノ偶に存シタルナラント」と
あります。

 つまり、「古い地図には金峰山の山名を、玉塁と書い
て「タマガキ」と読ませていた。それに対してふもとの
小尾(おび)村や、比志(ひし)村の人たちは、この山
のふもとを瑞塁(みずがき)と呼んでいた」。この「瑞
塁」が「瑞牆」の文字になったというのです。

 これでは、金峰山は「タマガキ」という山名で、その
ふもとは「ミズガキ」といい、そのミズガキがいまの瑞
牆山になったことになります。しかし金峰山と瑞牆山は
同じ山ではありません。瑞牆山と金峰山は、全然別の独
立峰であり、ちょっとこの見方は無理でないかとの説も
あります。

 山名については、さらに別の説があります。この付近
では、山稜が3つに分かれる所を「三繋(つな)ぎ」と
いっていたそうです。その「みつなぎ」が神への敬いか
ら、みやびな呼び方で瑞牆(みずがき)になったのでは、
との説もあります。さらにさらにこの山が崖だらけであ
り地形の特徴から、みずがきの「がき」は崖のことだと
いう意見もあるようです。

▼【山頂】
 山頂は東西、ふたつの峰に分かれていて、東峰に三角
点と祠があり、西峰は弘法岩と呼ばれています。頂上か
らは、南東には金峰山、南に御坂山塊、その上に富士山、
南西に目を移せば南アルプス、中央アルプス、北アルプ
スと絶景の展望です。また初夏のころにはアズマシャク
ナゲ、ミツバツツジの大群落が咲き乱れています。

▼【古代文字伝説】
 ところで瑞牆山の南側南側には、西に流れるアマドリ
沢があります。その上流の岩壁には、弘法大師のものだ
とする文字と、古代文字だとする2つの文字が彫ってあ
るそうです。大正から昭和初期の登山家の大島亮吉が、
雑誌『山岳』に寄せた一文「瑞牆山・小倉山」に次のよう
なことが書いてあります。

 「…瑞牆山名所として弘法大師文字および古代文字な
るものあり。ともにアマドリ沢の上流に在りて、大いな
る岩壁に刻せる文字なり。古くより「ヤマシ」(山師?)
の間に知られたるものなりと言うも、近時山麓増富村青
年団の道を開き、道標を打ちてその名所の喧伝に努めお
れり。同文字は二ヶ所にありて弘法大師が遊びに来て刻
めりと伝うるものは、アマドリザワ左岸の金峰山図幅に
はなき小岩峰に二字二行に刻まれたものなりと言うも、
小生は訪ねんとして道を発見し得ざりしため訪わず。……

 ……ただ古代文字と称せらるるものを訪いたり。同地
点は金峰山図幅瑞牆山頂二二三〇・二米より正西に五峰
の岩峰連続せる内最西より第二番目の岩峰の西側の壮大
なる岩壁面にあるものにて同地点まで微かなる道あり。
文字は約一丈程の長さにて、平均二尺四方程の大きさの
文字五六字を花崗岩に刻めり。風化してほとんど字形を
止めず。最初はこれは人工のものに非ずと思いたるも余
りに不自然に字形をなし居ると、同附近岩面にこれに似
たる皺襞(しゅうへき)を全然認めず、……

 ……且、同岩壁の上方殆ど垂直にして十数丈程高き岩
壁に縦に細長き長正方形の岩窟らしきものありて、同地
点までの岩登りは余程困難なれども、かつて岩茸採りが
好奇心に駆られて登りみたるに同岩窟内に剣一振り奉納
しありたりと聞きたるをもってこれと考えあわせて、古
く修験者の同岩窟に修行して、その際にても刻みたるに
は非ずやと判断して、同古代文字のやはり人工のものな
らんと小生も信じたる次第なり。……

 ……しかれど到底大なる足場にても造り為さざる時は
人工にては不可能なる個所に刻まれあるをもって、よく
一人の修験者にして如何に時間と労力とを厭わざる者な
りといえども仲々になし遂げ難きを思いて未だ完全に疑
念晴れず、同文字より岩窟までの岩壁はほとんど垂直に
して五六丈の高さなり。文字の凹みを登れば足場と手懸
かりは相当あれど、小生はロープなくしては下降不可能
と思いて躊躇したり。右方に垂直のチムニイあり。……

 ……それより登ることを得んも一ヶ所下方より望みて
悪場あり。同文字は垂直にして滑らかなるチムニイ左方
の岩面にありて、岩窟に到る唯一の絶好の足場と手懸か
りをなし居れり。察するに上方の岩窟に到りて修行せん
と来たれる謀修験舎の文字を刻みて足場と手懸かりを造
りつつ、該岩窟に攀じるたるものには非ずやととも考え
たり。…」とあります(『日本山岳風土記3』所収)。
長々とスミマセン。

▼【弘法大師梵字伝説】
 弘法大師の文字といわれるものは、やはりアマドリ沢上
流の洞ヶ岩の洞くつにあるといいます。その洞窟の奧に梵字
(ぼんじ)らしく彫られた凹凸があり、それは「カマンポロ
ン」と読めるといいます。意味は「大日如来不動明王」
で、これが弘法大師が彫ったものだそうです。同じ洞窟
の中には行者が修行をした跡もあるといいます。

 ちなみに梵字とは、梵語を書くのに使う文字で、弘法
大師空海や伝教大師最澄が日本に伝えた密教と密接な結
びつきがあるそうです。そういえば平安初期、空海が霊
場を求めてこの山に来たとの伝説もあります。

▼【空海霊場伝説】
 平安時代弘法大師空海が、和歌山県の高野山のような
霊場をもとめて、全国をめぐっていましたが、ここ瑞牆
山にもやってきて霊場としてふさわしい場所として、修
行していました。しかし、このあたりには霊場をつくる
のに必要な「八百八谷」がないことが分かり、あきらめ
たと伝えます。

 その後、大師は条件に合う場所を探しながら、はるば
る和歌山県まで行き、やっと高野山をみつけたという。
文字はほんとうに平安時代のものでしょうか。それにし
てもまかり間違えば、ここが「高野山」だったかも知れ
なかったわけではあります。

▼【神の湯伝説】
 瑞牆山のふもとには増富温泉があり、下山後ゆったり
と湯船につかり、疲れを癒す登山者も多く見かけます。
ここにはこんな伝説があります。増冨温泉は、昔はお湯
が一ヶ所から湧きだしていて、村人は神の湯として崇め、
神聖な場所として不浄なことをいさめていました。

 ところがある時、若い猟師たちが山からイノシシを獲
ってきて、皮を剥ぎはじめました。そして血まみれの刃
物や汚れた手、足をこの神聖な湯で洗っていました。す
ると神の湯をけがしたことに怒った神が、白髯(ひげ)
の仙人になってあらわれ、両手でその湯をすくい、西北
に飛び去ってしまいました。

 それからというもの神の湯のわき出す量が減り、その
温度も下がってしまったといいます。その後、仙人がお
湯をすくって運ぶときに、両手のすき間からお湯がした
たり落ちたところに、新しい温泉が湧きだしたというの
です。いま、50数ヶ所もの湧出地があるのはその時の
ものだそうです。

 また、瑞牆山登山口里見平から、増富方面へ少し南下
した金山集落は、昔、武田信玄の金山採掘の場所。その
人夫数千人を送り込ませたため大にぎわい、「金山千軒」
といわれるほど人家が繁昌したそうです。金山は廃坑に
なっていますが、金鉱を砕いた石臼がいまも残っている
そうです。



▼瑞牆山【データ】
★【所在地】
・山梨県北杜市須玉町(旧北巨摩郡須玉町)。中央本線
韮崎駅の北東24キロ。中央本線韮崎駅からバスで増富温
泉、歩いて5時間30分で瑞牆山。三等三角点(停止【亡
失】)と写真測量による標高点(2230m)がある。地形
図に山名瑞牆(みずがき)山と標高点の標高の記載あり。

★【位置】(標高点、三角点)(電子国土ポータル)
・標高点:北緯35度53分36.45秒、東経138度35分31.55


★【地図】
・2万5千分の1地形図「瑞牆山(甲府)」

★【山行】
・某年1月16日(日・晴れ)東京野歩路会例会


▼【参考文献】
・『奥秩父・大菩薩連嶺』(アルパインガイド35)羽賀
正太郎(山と溪谷)1979年(昭和54)
・『甲斐国志』松平定能(まさ)編集。1814(文化11年)
:大日本地誌大系45『甲斐国志』(第二巻)佐藤八郎ほ
か校訂(雄山閣)1982年(昭和57)
・『甲州の伝説』(日本の伝説10)土橋里木・土橋治重
(角川書店)1976年(昭和51)
・『角川日本地名大辞典・山梨県』(角川書店)1991年
(平成3)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005
年(平成17)
・『日本山岳風土記3』田部重治、辻村太郎監修(宝文
館)1960(昭35)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年
(平成9)
・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎日新聞社)1997年
(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平
成16)
・『日本歴史地名大系19・山梨県の地名』(平凡社)1995年
(平成7)

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画文
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 (主に画文著作で活動)
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