山旅通信【伝承と神話の百名山】とよだ 時

…………………………

▼1166(百伝066)雲取山「秩父三峰山奥の院と幻の天狗小石祠」

…………………………

【本文】

▼【雲取山とは】
 東京都の最高峰の雲取山(2017m)は、奥秩父にも奥
多摩にも属す東京都・埼玉県・山梨県境の山。ここは東
京都の水源涵養林で、巡視路をかねているせいかよく整
備されており、展望もよく四季を通して登山者に人気が
あります。首都圏の山好き人なら一度は登ったことがあ
るはずです。この山には古い時代から人が入っていたら
しく、山頂付近で縄文時代中期の打製石斧が発見されて
いるそうです。

▼【山名】
 ここを雲取山というのは、このあたりで最も高い山な
ので雲に隠れやすいためとか、サルオガセ(針葉樹など
の枝から糸状に垂れ下がっている植物できつねのもとゆ
いともいう)などのついた「幽幻」な森林があるからな
どの説があります。これはどういう意味か分かりません
が、「幽玄」さが雲を掴むようだというのでしょうか。

 また、江戸時代後期の文政11(1810)年、江戸幕府が
編纂した地誌『新編武蔵風土記稿』には「ただ雲をも手
に取るばかりの山なればとてかく号せり」とあり、やは
り高さを強調しています。明治中期に河田羆(たけし)
が著した『武蔵通誌』(山岳編)には大雲取山の名が出
ており、これは熊野の大雲取山からとった名前だとあり
ます。その他雲取ヶ岳・雲採山などの名があるといいま
す。

 また、「平地に波瀾を起こした幾多の小山脈が、彼方
からも此方からもアミーバーの偽足のようにからみ合っ
て、いつとなく五、六本の太い脈に総合され、それがさ
らに統一されてここに初めて二千メートル以上の高峰と
なったものが雲取山である。甲信武甲の国境を東走して
きた秩父山脈は、どの道この辺でこの位な高度の山を掉
尾(とうび)にふるい起こして、武蔵野に君臨せしめね
ばならないはずだ」と、明治から昭和にかけての登山者、
木暮理太郎は『山の憶い出』(秩父の奥山・雲取山)の
なかで述べています。

▼【山頂】
 山頂には避難小屋もあり、一等三角点のほか、1882年
(明治15)に内務省地理局が設けた「原三角測點」の標
石もあります。雲取山頂から雲取山荘方面に下ると、『山
と溪谷』などの著書がある田部重治と、雲取山荘の主人
だった富田治三郎の顕彰碑もあります。

 ちなみに、その雲取山荘は1928年(昭和3)、最初武
州雲取小屋という名で建てられたもの。それをきっかけ
に雲取山への登山者は一段と多くなったということで
す。山頂は、富士山や筑波山・男体山・浅間山から房総
の海まで360度見放題です。また山頂直下にはお花畑が
広がり、夏にはギボウシやヤナギランなどが咲いていま
す。

▼【歴史】
 雲取山は、昔は埼玉県の三峰山山頂にある三峰神社の
奥の院として多くの参詣者を集めていました。『新編武
蔵風土記稿』によれば、大滝山御林の項にそびえる山で
あったとされます。本来、三峰というのは、妙法ヶ岳、
白岩山、雲取山の総称でありました。江戸時代には信仰
登山が盛んに行われ、山頂の宿坊がにぎわったそうです。
伝説では日本武尊の父景行天皇が、武尊の東征のあとを
たずねてこの地を訪れ、三山を眺めて三峰の名をつけた
という話も残っています。

 山岳修験道が盛んだったころ雲取山は、秩父三峰山の
奥の院の奥の院。三ツ峰・白岩山・雲取山の三ツ峰三山
は行者たちの回峰した山々でした。雲取山は昔は御休山
で、当時は庶民の入山は御法度でしたが、回峰行者は特
別に許されていたといいます。ここから縦走路を奥秩父
の金峰山まで回峰する行者もいたらしい。

 ▼【雲取山の天狗】
 そんな山なら天狗の一人や二人いないわけありませ
ん。ここでいう天狗とは、そこら辺でいう天狗ばなしに
出てくる小天狗や小ワッ派天狗とはちがい、大天狗の中
でも名前のある天狗中の天狗。妖怪の域を飛び出しても
う権現や神に近い存在の天狗のことです。

 例の『新編武蔵風土記稿』の三峰山の項にも、「奥院
 雲採・白岩・妙法嶽の三峯高く峙(そばたっ)てある
を以て、山號となせり、雲採は本社の巽(※たつみ・南
東の方位)向七里半程、御林山の内にあり、爰(ここ)
に石権現を祭り、小石祠を立つ」とあります。この「石
権現を祭り、小石祠を立つ」のところが問題で、天狗研
究者の知切光歳氏も『図聚天狗列伝・東日本』雲取山の
項にこんなことを書いています。

 「雲取山に祭られている石権現の小祠は、天狗に縁由
をもつらしく、東京側のふもとの山村、丹波、日原、奥
多摩、小河内、檜原などの辺陬(へんすう)から、青梅、
五日市などの田園部の住民は、雲取山の天狗のことをよ
く口にし、石権現に因縁づけている」そうです。しかし
山ろくの村人の口に上る天狗や、小石祠は、あちこち探
し歩いても分からず、地元の機関に問い合わせても、分
からずじまいの幻なのであります。


▼雲取山【データ】
★【所在地】
・東京都西多摩郡奥多摩町と埼玉県秩父市、山梨県北都
留郡丹波山村との境。青梅線奥多摩駅の北西15キロ。J
R青梅線奥多摩駅三峰駅からバスで鴨沢下車、さらに歩
いて5時間で雲取山。一等三角点(2017m)と原三角測
点と、避難小屋、トイレがある。地形図上には山名と三
角点と三角点の標高のみ記載あり。三角点より南方向直
線約10mに避難小屋、三角点より北方向直線約600mに
雲取山荘、三角点より南方向直線約1600mに奥多摩小屋
がある。

★【位置】(国土地理院「電子国土ポータルWebシステ
ム」から検索)
・三角点:北緯35度51分19.86秒、東経138度56分37.94


★【地図】
・2万5千分の1地形図「雲取山(甲府)」

★【山行】
・某年4月18日(日)



▼【参考文献】
・『奥多摩』宮内敏雄(百水社)1992年(平成4)
・『角川日本地名大辞典13・東京都』北原進(角川書店)
1978年(昭和53年)
・『山名の不思議』谷有二(平凡社)2003年(平成15)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005
年(平成17)
・『新編武蔵風土記稿』第六巻『大日本地誌大系12』蘆
田伊人校訂(雄山閣)1970年(昭和45)
・『新編武蔵風土記稿』第十二巻:『大日本地誌大系18』
蘆田伊人校訂(雄山閣)1981年(昭和56)
・『図聚天狗列伝・東日本』知切光歳著(三樹書房)1977
年(昭和52)
・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎日新聞社)1997年
(平成9)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年
(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平
成4)
・『日本歴史地名大系19・山梨県の地名』(平凡社)1995
年(平成7)
・『日本歴史地名大系13・東京都の地名』児玉幸多ほか
(平凡社)2002年(平成14)
・『武蔵通志』(山岳篇):日本山岳会「山岳」第11年1
号(大正5年(1916)10月刊)
・『山の憶い出』木暮理太郎:『日本山岳名著全集2』(あ
かね書房)1962年(昭和37)

……………………………………………………………………………

山旅通信【ひとり画ッ展】題名一覧へ戻る
……………………………………………………
「峠と花と地蔵さんと…」HPトップページ
へ【戻る

 

…………………………………………………

【とよだ 時】 山と田園風物漫画文
……………………………………
 (主に画文著作で活動)
時【U-moあ-と】画文制作室