【本文】
▼【霧ヶ峰とは】
いつだったか、南アルプス前衛入笠山の牧場内を案内
されたとき、管理人さんが霧ヶ峰を指し、「毎年この時
期になると、ニッコウキスゲで黄色に染まるんだ」。見
るとこんなところからでも山全体が黄色に見えます。な
るほど霧ヶ峰はニッコウキスゲの名所に違いありませ
ん。あの『日本百名山』では62番目に取り上げられて
います。
霧ヶ峰は中央本線上諏訪駅の北東10キロほどにある
最高峰車山(1925m)を中心とする、標高1600から1800
mのだだっ広い草原です。霧ヶ峰は名前のように霧が多
く、1963年(昭和38)のように、1年間に293日も霧
が発生した年もあるといいます。山ろくには、白樺湖と
美ヶ原を結ぶビーナスラインが通っています。冬はスキ
ーのゲレンデとして賑わい、またグライダーの練習場と
して、日本のグライダー発祥の地だとされています。
霧ヶ峰最高峰の車山は、南西の諏訪湖方面からみると
大八車の形に見えるのが山名の由来とか。山頂は展望が
よく、蓼科山から八ヶ岳、富士山、また南アルプスや中
央アルプス、北アルプス、美ヶ原、さらに戸隠、妙高、
上信越の山々、菅平までが見えます。
▼【歴史】
記録の上での「霧ヶ峰」の名は、江戸後期の「信濃国
一円并(ならびに)筑摩郡五千石之絵図」という絵図に
すでに載っているといいます。ここは、草地が約3千ヘ
クタールと広大なため、ふもとの村々は、ぜひわが領地
にしたいと、昔から境界論争・入会権論争が絶えません
でした。
なかでも元禄6年(1693・江戸時代)から3年間の上
桑原村(現諏訪市)と、北大塩村(現茅野市)との論争
は激しいものだったそうです。論争はなかなか解決せず、
その間の費用も多くかかります。村々はその費用を捻出
するため、縄をなって草履をつくって売ってまでこれに
当てたという話も残っています。
この高原には、八島ヶ原や踊場、それと車山との3つ
の高層湿原があって、その湿原植物群落は国の天然記念
物になっています。この湿原のうち、最も大きいのは八
島ヶ原湿原。湿原の泥炭層の厚さが8mもあるところが
あります。この湿原ができるのには約1万年もかかるら
しいといいます。その八島ヶ原湿原のなかに八島ヶ池、
鬼泉水、鎌ヶ池などの池があります。さらに八島ヶ池に
はいくつもの浮島があり、「七島八島」ともいうそうで
す。
▼【高山植物】
植物群落として国の天然記念物になっているほどの湿
原地帯には、数百種もの草木が生えているといわれ、と
くにニッコウキスゲの大群落は名物になっています。そ
のほか、レンゲツツジ、マツムシソウ、ミヤマリンドウ、
イブキトラノオ、ワタスゲヤナギランなど5月から10
月ごろにかけて咲き乱れます。
▼【山火事】
こんな草原でも山火事があったといいます。2013年
(平成25)の春、下草、雑木などを焼く野焼きの火が
燃え移り、延焼して154ヘクタールを焼失しました。ま
た2023年(令和5)の5月には、車山南方のガボッチ
ョ山山頂付近から出火。ビーナスラインを越えて霧ヶ峰
高原に燃え広がり9万平方m以上も消失したといいま
す。こんなこともあるんですねえ。
▼【旧御射山の黒曜石】
さて霧ヶ峰の旧跡として、ビーナスライン観音橋付近
には旧御射山(もとみさやま)遺跡があり、近くに諏訪
大社があります。ここは諏訪大社下社の祭祀(さいし)
の跡。平安時代から江戸時代まで、御射山神事が行われ
たところで、江戸時代の元禄年間(1688〜1704)に富
部村(とんべ・現下諏訪町)の北方に御射山祭場を移す
まで、大社の祭典を行ったところです。
山の斜面には、観覧席とおぼしき階段のような桟敷跡
まで残されています。県指定の史跡になっています。こ
の地域から出る黒曜石は、石器の原料として東北地方へ、
また南は近畿地方まで運ばれていたといいます。
▼【薪をねじ切る天狗伝説】
霧ヶ峰にはこんな伝説があります。上諏訪岡村の太郎
兵衛という家の婆さんが、ある日、霧ヶ峰の山すそに薪
取りに行き、薪を切っていると、背の高い天狗のような
人があらわれました。また天狗かと思うかも知れません
が、山と天狗は切り離せないのでご容赦を。天狗はこの
手紙を向こうの山の天狗に届けてくれといいます。アワ
ワ、婆さんは口も利けずにただふるえていると、「薪は
おれが集めておく。そして目をつむれば向こうの山へち
ょいと行けるようにしてやる」。
婆さんがいわれた通り目をつむると、スーッと体が軽
くなり、空中に舞い上がったように感じました。やがて
足が地面についたので目を開けてみると、目の前に向こ
うの山の天狗が立っているではありませんか。「ご苦
労!」と天狗は婆さんから手紙を受け取り読んでいます。
そしてまた同じように目をつむるようにいわれ、もとの
所へ戻されました。そこにはさっきの薪が、ねじ切られ
て山になって積み上げられてありました。天狗は薪を斬
るのに鉈を使わず、素手でねじ切っていたのです。すご
いッ!
そしてもとの天狗があらわれ、妙ことを婆さんにいい
ました。「さっきの手紙は、お前の家のある上諏訪の町
を焼いて火の海にするから、向山の天狗に見物に来いと
書いたんだ。だが、婆さんの家はよけてやったから安心
しな。嘘かどうか、家に帰ってみてみろ」。婆さんがあ
わてて帰ってみて婆さんは腰を抜かしました。天狗がい
ったとおり村は丸焼けで、婆さんの家だけが残っていま
す。婆さんの家には、いまでも天狗がねじり切って束ね
たような薪が、そっくり残されているということです。
▼【車山の天狗になった仁兵】
これは車山の天狗伝説です。岡谷(いまの岡谷市)に
「仁兵」という若い木こりが住んでいました。仁兵は囲
碁が好きで、弁当にも碁石に見たて、白黒の豆をおかず
にするほどでした。ある日、カラスが大好きな白黒豆の
弁当を盗み車山の方に逃げて行きました。仁兵があわて
て追いかけ、息を切らして車山まで来ると、そこにはカ
ラスと天狗が、弁当に入っていた白黒の豆で碁を打って
います。
仁兵は碁を見るとつい夢中になって、順番での仲間に
加わり時間を忘れてしまいました。そしていつのまにか、
現世では3年もの月日が流れてしまいました。さて、仁
兵の実家では、仁兵を行方不明者として扱い葬式を出す
ことになりました。かねてから婚約者だった「おかね」
も隣の村に嫁入りが決まりました。
婚礼の当日になり、それに気づいた仁兵は大慌てで村
に戻りました。戻ってきた仁兵の姿を見て村人はびっく
り仰天、みんな恐れおののいています。なんと、仁兵は
天狗になっていたのでした。天狗の仁兵は、いきなり赤
い布を花嫁のおかねが乗る駕篭にかけると、空へ舞い上
がり山の方へ飛び去りました。仁兵天狗が姿を消したの
でホットした村人が、花嫁駕篭を開けてみると、そこに
は白黒の豆が数粒残っていただけでした(『中部地方の
炉辺伝説』)。
▼【鬼泉水伝説】
八島ヶ原湿原のなかにある池に、「鬼泉水」というの
があります。昔、この湿原の西の東俣(下諏訪町)に、
それはそれは美しい、「かきつばた」という少女がいま
した。また、池のはるか南側の尾根に、りりしい若者「山
彦」が住んでいたそうです。ある日のこと、このふたり
がおのおの湿原の池に散歩に出かけました。すると池の
まわりに白くたち込めていた霧が突然晴れ、ふたりはバ
ッタリ出会ったのです。少女「かきつばた」は、若者の
たくましい姿にポーッとし、若者「山彦」は、天女のよ
うな美しい少女に一目惚れしてしまいました。
しかし、ふたりともいままで自分の本当の姿を見たこ
とがありませんでした。ちょうどそばに池があります。
山彦が池をそっとのぞきました。ちょうどその時、車山
の方から風が吹いてきて、池の水面にさざ波がたちまし
た。波で水面がゆがみ、醜く恐ろしい鬼のような姿が映
っていました。びっくりし落ち込んだ山彦は、車山の谷
の岩かげにかくれてしまいました。次ぎに、かきつばた
がのぞきました。
そこには自分でもほれぼれするような美しい姿が映っ
ています。その時風はソヨリともしていなかったのです。
自分で自分の姿に見とれてしまったかきつばた。そのま
ま池のほとりで、紫の花をつけるカキツバタになってし
まいました。この時からこの池で谷の方に向かい「オー
イ」と呼ぶと、山彦が「オーイ」と返事はしますが、山彦
は姿を隠したままになってしまいました。この小さな池
は、その後「鬼泉水」と名づけられ、いまでも変わらずに
透き通るような水をたたえています。
▼【川の増水を知らせてくれた天狗】
また川の増水を知らせてくれた天狗話もあります。柏
原(いまの茅野市柏原地区)の百姓「茂衛門」とう人は、
無口で働き者でした。ある時茂衛門は、長梅雨で増水し
ていた音無川(車山東ろくから白樺湖につながる川)・
車沢川(車山スキー場へ突き上げている沢か)を渡った
先の車山で、馬のための草刈りをしていました。すると
だれかが自分の名前を呼んでいるようです。そして声は
だんだん大きくなってきます。茂衛門は、薄気味悪くな
って家に帰ることにしました。
車沢川に戻ると、川の水がいつになく激しく流れてい
て、茂衛門がその車沢川を渡った瞬間、橋が流されてし
まうほどでした。川を渡るのがもう少し遅かったら……。
茂衛門はゾッとしました。彼は川の増水から助けてくれ
たあの声は、天狗さまに違いないと確信したそうです。
柏原には、天狗をまつった祠がたくさんあり、車沢の上
流にもそのひとつがまつってあるということです。
▼【そのほかの天狗ばなし】
そのほか、天狗にさらわれた少女「おはん」の話があ
ります。さらに高島藩の牛山壮士という侍が、鬼泉水の
となりの鎌ヶ池に鴨猟にでかけ、小屋の中で天井から部
屋いっぱいになるような、でっかい天狗の足が垂れ下が
ってきた話や、横川山の坊主岩付近で、平野村(いまの
岡谷市)の中兵衛らが草刈りに行って、天狗の匂いのし
みた草を馬にやったら、馬がぜんぜん食わなかったなど
という、天狗ばなしもあります。
▼【車山神社】
霧ヶ峰最高峰の車山には車山神社という小さな社があ
り、ふもとの諏訪大社の御柱祭の年の9月には、ここで
も小宮御柱祭が開催されるそうです。まつられる神は大
山津見神と建御名方神。大山津見神(オオヤマツミノカ
ミ)はコノハナサクヤヒメのお父さん。建御名方神(タ
ケミナカタノカミ)は『古事記』に出てくる神。国譲り
の時タケミカヅチノカミと戦った神で、ふもとの諏訪大
社にまつられています。
▼【日本のグライダー発祥の地】
また霧ヶ峰IC南西グライダー滑空場近くにも薙鎌(な
ぎがま)神社という社があります。これは霧ヶ峰にスキ
ー場ができ、また日本のグライダー発祥の地となったの
を記念して、1933年(昭和8)発起人の「霧ヶ峰文化
の会」が建立したものとか。祭神は車山神社と同じ建御
名方神と大山?大神(オオヤマツミノカミ・『日本書紀』
の表現)、それに、八岐大蛇伝説に登場するクシナダヒ
メ(奇稲田姫命)の親の夫婦神のアシナヅチ・テナヅチ
(脚摩乳・手摩乳)だということです。
▼霧ヶ峰最高峰車山【データ】
★【所在地】
・長野県諏訪市と同県茅野市、同県諏訪郡下諏訪町下諏
訪町との境。中央本線上諏訪駅の北東10キロ。JR中
央本線上諏訪駅からバス霧ヶ峰最高峰車山。二等三角点
(停止【再設】)(1925.0m)がある。
★【位置】国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」
から検索
・三角点:北緯36度06分10.78秒、東経138度11分
47.76秒
★【地図】
・2万5千分の1地形図「霧ヶ峰(長野)」
▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典20・長野県の地名』市川健夫ほ
か編(角川書店)1990年(平成2)
・『山岳宗教史研究叢書9』(富士・御嶽と中部霊山)
鈴木昭英編(名著出版)1978年(昭和53年)
・『山岳宗教史研究叢書16』(修験道の伝承文化)五記
重編 (名著出版)1981年(昭和56)
・『白樺湖―白樺湖のあゆみ―』白樺湖編集委員会編(甲
陽書房)1973年(昭和48)
・『信州山岳百科2』(信濃毎日新聞社)1983年(昭和58)
・『信州の民話伝説集成
南信編』宮下和男(一草舎出
版)2005年(平成17)
・『新編山と渓谷』田部重治著・近藤信行編(岩波文庫)
1979年(昭和54)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005
年(平成17)
・『図聚天狗列伝・東日本編』知切光歳著(三樹書房)1977
年(昭和52)
・『中部地方の炉辺伝説 巻の六
車山の天狗』(豆本)
柴田ヤ之助(みちかた工房)1971年(昭和46年)
・『日本架空伝承人名事典』大隅和雄ほか(平凡社)1992
年(平成4)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年
(平成9)
・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎日新聞社)1997年
(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平
成16)
・『日本伝奇伝説大事典』乾克己ほか編(角川書店)1990
年(平成2)
・『日本歴史地名大系20・長野県の地名』(平凡社)1979
年(昭和54)
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