山旅通信【伝承と神話の百名山】とよだ 時

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▼1161-(百伝061)美ヶ原「巨人の鼻と御嶽山信仰」

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【本文】

▼【美ヶ原とは】
 その言葉の響きからも観光客が訪れる美ヶ原高原。美
ヶ原は、長野県松本市と武石(たけし)村、長和町(旧
和田村)にまたがる溶岩地。標高1800〜2000mのゆるや
かな起伏を連ねる20平方キロuの高原です。最高地点
の王ヶ頭(おうがとう・2034m)を中心に、王ヶ鼻(お
うがはな・2008m)、焼山(1907m)、鹿伏山(1976m)、
牛伏山(1989m)、物見石山(1985m)、茶臼山(2006
m)などからなっています。

 高原のほぼ中央に「美しの塔」が建っており、ほかに
三城(さんじろ)牧場や、美ヶ原高原美術館などもあり
ます。「美しの塔」は、高さ6.6mの梯子形の塔で、上
部にある鐘は霧の日に鳴らされて、登山者たちの道しる
べになっています。塔の北側には、美ヶ原を開発した山
本俊一翁の顔のレリーフ(松本の彫塑家、上條俊介の作)
が埋め込まれています。南面にはここを愛した自然詩人
・尾崎喜八の「美ヶ原溶岩台地」の銅板詩碑があり、毎
年5月第3日曜日には塔の前で開山祭が行われていま
す。

 山本俊一という人は、大正14(1925)年の夏、武石
村から美しヶ原に入り、王ヶ頭から見る大自然に感動し、
美ヶ原開発を決意したといいます。1930(昭和5)年、
山小屋(山本小屋)を建てて登山道を開き、10年かか
って10の登山道に2000本の道標を建てたといいます。

 一方、尾崎喜八はその詩「美ヶ原溶岩台地」の中で、
「登リツイテ不意ニ開ケタ眼前ノ風景ニ、シバラクハ世
界ノ天井ガ抜ケタカト思ウ。ヤガテ一歩ヲ踏ミコンデ岩
ニマタガリナガラ、コノ高サニオケルコノ広ガリノ把握
ニナオモクルシム」と歌っています。なだらかなこの高
原は最初、溶岩台地だとされていましたが、いまではく
ぼ地に堆積した火山性の凝灰岩や礫岩が隆起し、その後
浸食されてできたものとされているそうです。

▼【山頂・展望】
 美ヶ原の山頂は、360度の展望で東には噴煙を上げる
浅間山、霧ヶ峰の高原、その近くに八ヶ岳の山々、はる
かかなたに雄大な富士山。そして南には中央アルプス、
南アルプスの仙丈ヶ岳と北岳。西には北アルプスの鹿島
槍ヶ岳、白馬岳、常念岳、槍ヶ岳、穂高の山々と乗鞍岳、
そして御嶽山。北には志賀高原、飯縄山、戸隠山までが
目を楽しませてくれます。

▼【山名】
 王ヶ頭から西に張り出す尾根の断崖の頂が王ヶ鼻で
す。そこに露出する磁気を帯びた安山岩は、板状節理を
示しています。西麓の松本平から王ヶ鼻を望むとまるで
巨人の鼻か、またはビーナスが伏せっているように見え
ます。そのため王(巨人)ヶ鼻の名前があるそうです。
その上にあるのが巨人の頭になるわけです。

▼【信仰】
 王ヶ鼻には石仏がたくさん建っています。これは200
年以上も昔からあるそうで、そこのある祠は、王ヶ鼻神
社と呼ばれます。地元の御嶽山信仰の人々が、ここまで
登ってきて、はるかにそびえる御嶽に手を合わせながら、
厳しい修行に励んだのだといいます。

▼【歴史】
 美ヶ原という名前が初めて文献に出てくるのは江戸時
代中期、1724年(享保9)の松本藩の官撰地誌『信府
統記』(しんぷとうき)だそうで、「東ノ方、岡田山ニ
続キテ、うつくしが原ト云アリ此原ハ山ノ上ノ平ニテ凡
ソ2・3里ニ及ベリ」とあります。さらに1834年(天
保5)の文書『信濃奇勝録』(井出道貞著)には、硬質
の「美ヶ原の片石(へげいし)」が、瓦に勝るものとし
て紹介されています。

 美ヶ原という名が一般的に知られるようになったのは
昭和の初期ごろだったとか。そこでの牛馬の放牧は、平
安時代からしいですが、本格的に牧場が開かれたのは明
治になってからとのこと。ここは1899年(明治32)、放
牧場として開かれ、1914年(大正3)には松筑産牛馬畜
産組合がこの下に三城牧場をはじめています。その後国
有林の開放によっていまの美ヶ原牧場に発展していった
ということです。

 そもそも美ヶ原は、シラビソ、オオシラビソなどの亜
高山針葉樹林だったといいます。終戦翌年の1946年(昭
和21)ごろ、早くも美ヶ原を開拓しようと、王ヶ頭の
南の三城に30人もの人が入植したそうです。彼らはカ
ラマツ林を切り開き、ダイズやソバ、ジャガイモなどを
作りはじめました。人々は苦難の末、いまではキャベツ、
ハクサイなど高原野菜を名古屋、東京方面に出荷するま
でになったといいます。

▼【高山植物】
 美ヶ原には、低山帯と亜高山帯の植物が入り交じって、
ハクサンフウロ、ウメバチソウ、マツムシソウ、ヤナギ
ランなどの群落やレンゲツツジ、スズラン、キスゲ、テ
ガタチドリ、シャジクソウ、ヒメシャジンなど種類が多
く生えています。ここの植物は氷河気候に襲われたころ
の遺存植物ともいわれています。

▼【高山蝶】
 ここはチョウの楽園で、山腹のから標高1700m一帯
は、初春のヒメギフチョウをはじめ、ミヤマカラスアゲ
ハ、アサギマダラ、コムラサキ、キベリタテハが生息し
ています。また高山蝶といわれるミヤマシロチョウ、コ
ヒオドシなど長野県産約140種のうち、120種ほどが見
られるという。

▼【ビーナスライン】
 昭和39(1964)年、八ヶ岳中信高原国定公園に指定。
蓼科・霧ヶ峰方面から続く有料道路ビーナスラインは、
その建設をめぐって自然保護か観光開発かで論議を呼ん
だこともありました。そしていまでは、王ヶ頭には10本
以上のテレビ、ラジオ、無線などの中継塔が林立し、茶
店やみやげ物店が軒を連ねる俗化ぶりです。

▼【温泉】
 さて王ヶ鼻の西麓(松本市側)に美ヶ原温泉郷があり
ます。以前は白糸の湯、山辺の湯、束間の湯という名称
で呼ばれていました。美ヶ原温泉になったのは昭和30
年代に入ってから。この温泉は、天武(てんむ)天皇の
時代(飛鳥時代)からあったというから古い。当時は筑
摩(つかま)の御湯(みゆ)と呼ばれていたという。

▼【観音沐浴伝説】
 その温泉に不思議な話が伝わっています。13世紀前
半の『宇治拾遺物語』(うじじゅういものがたり)(巻
第六・第七話・八九)「信濃国筑摩の湯に観音、沐浴の
事」に、「今は昔、信濃国につかま湯という所によろず
の人のあみける、薬の湯あり……」という話です。ある
とき、近くに住む者が夢うつつに「明日、観音さまが湯
浴みにお越しになる」とお告げを受けました。

 「観音さまは30歳くらいで口髭を生やし、編み笠を
かぶり、節黒の矢筒と革巻きした弓を持っている。葦毛
の馬に乗乗っている」とのこと。話を聞いた人々が大勢
集ってきて、湯治場の掃除をしたり、注連縄を張ったり
して待ちました。ようやく昼過ぎになり夢の通りの人が
やって来ました。全員が一斉に立ち上がり、男の足もと
へ額をこすりつけました。

 驚いたのはその人。大勢の中にいた僧侶に尋ねました。
僧侶が理由を話すと男は「狩りの途中、落馬して腕を折
ったので治そうと思って来ただけなのに」といってオロ
オロするばかり。しかし、人々は後にゾロゾロとついて
来て拝み続けます。困り果てた男はついに「さてはわし
は観音だったのか、ならば法師になるほかあるまい」と、
弓矢や刀を捨てて法師になりました。

 その姿を見て人々はさらに感動します。その時、その
人と知り合いという人が出てきて「やあ、上野の国の馬
頭主(ばとうぬし)さんじゃないか」と声をかけました。
それを聞いた人々は、今度は馬頭観音さまと呼ぶしまつ。
どうしようもなくなった男は、比叡山にのぼり覚超僧都
という偉いお坊さんの弟子になったといいます。その後
その男は、土佐国(高知県)に向って旅立ったというこ
とです。ちなみに馬頭主とは昔の役職馬寮(めりょう・
うまのつかさ)のことでしょうか。

▼【入山辺ノ湯伝説】
 いまの松本市入山辺地区に伝わる話にこんなのがあり
ます。ここは王ヶ鼻と鉢伏との山あいの湯。その昔、こ
の温泉場に湯治に来ていた老いた武士と美しい娘がいま
した。娘はいつしかこの地の炭焼の若者と親しい間柄に
なりました。武士の娘と炭焼の男の噂は、たちまち狭い
温泉場に広がりました。この噂は間もなく娘の父親の耳
に入りました。

 武士の家系でありながら、なんというはしたないこと
を……、父親は娘を折檻しました。しかし娘の心は変わ
りませんでした。ある夜、父親が寝息を立てるのを待っ
て、そっと家を抜け出しました。娘は村はずれの谷川の
ほとりで若者と待ち合わせをしていたのです。ふたりは
寄り添ってしみじみと、涙まじりに語り合っています。

 が、先ほどから娘のあとをつけてきた影がありました。
娘に近づきざまに刀で斬りつけました。声も立てる間も
なく倒れる娘。その影は父親だったのです。老いた武士
である父親は、きびしい武家の習わしから、泣く泣くわ
が娘を手にかけたのです。父親の刀からとっさに逃れた
炭焼の若者は、自分の炭焼のかまどに身を投げてしまい
ました。

 その後、この温泉場には奇怪なことが起こりました。
温泉の煙突から死体を焼くような臭気が漂い、湯船には
血潮のような真っ赤な湯がほとばしりました。人々は不
気味に思い、恐怖におののきました。そしてあの幸薄い
娘と若者の呪いのせいだと噂しあいました。


▼美ヶ原【データ】
★【所在地】
・長野県松本市と武石(たけし)村、長和町(旧和田村)
にまたがる。北陸新幹線上田駅からバス、山本小屋。歩
いて1時間でで王ヶ頭。三等三角点がある。さらに30
分で王ヶ鼻。

★【位置】(国土地理院「地図閲覧サービス」から検索)
・王ヶ頭三角点:北緯36度13分33.42秒、東経138度6
分26.71秒
・王ヶ鼻標高点:北緯36度13分38.59秒、東経138度5
分51.06秒

★【地図】
・2万5千分の1地形図:「山辺」「和田」

・某年8月6日(日曜・晴れ)


▼【参考文献】
・『宇治拾遺物語』:国立国会図書館デジタルコレクシ
ョン(https://dl.ndl.go.jp/pid/877395/1/16)
・『角川日本地名大辞典20・長野県』市川健夫ほか編(角
川書店)1990年(平成2)
・『コンサイス日本山名辞典』徳久珠雄編(三省堂)1979
年(昭和54)
・『信州山岳百科・1』(信濃毎日新聞社編)1983年(昭
和58)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005
年(平成17)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年
(平成9)
・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎日新聞社)1997年
(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平
成4)
・『日本大百科全書3』(小学館)1985年(昭和60)
・『日本の山1000』(山と渓谷社)1992年(平成4)
・『日本歴史地名大系20・長野県の地名』(平凡社)1979
年(昭和54)
・『山の伝説・日本アルプス編』青木純二(丁未出版)1930
年(昭和5)

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