【本文】
▼【御岳とは】
木曾のなかのりサンで有名な木曾の「御岳山」は、正
式には「御嶽」。最高峰の剣ヶ峰(長野県側)のほか、
摩利支天山(まりしてんやま・岐阜県側)、継母岳(ま
まははだけ・長野、岐阜県境)、継子岳(ままこだけ・
長野、岐阜県境)、三浦山(長野県側)、三笠山(長野
県側)、三間山(岐阜県側)、法仙峰(岐阜県側)、若栃
山(岐阜県側)などがあります。
▼【山頂】
2014年(平成26)年秋の噴火は、紅葉の真っ盛りで
登山者も多く「戦後最悪」といわれる程の災害になって
しまいました。同じ山に登るものとして言葉がありませ
んでした。その数年前の同じ季節、山小屋は閉じ、登山
者とも会わない中、剣ヶ峰から池めぐり、三ノ池避難小
屋にいたこともあり、テレビニュースの画面から飛び出
る程の噴煙と噴石を見てゾッとしました。
▼【山名】
さて御嶽山は、はじめ「王岳」、「王の御嶽」と呼ば
れ、平安時代の貴族も御嶽詣で、御嶽精進などを行う風
習があったといいます。それが中世、「王岳」が「おの
たけ」になり、室町中期にはさらに転訛して「おんたけ」
となったとのこと。最初は、山そのもを崇拝した時代か
ら修験道の山になって、御嶽(みたけ)の名がつく奈良
吉野の金峰山(きんぷせん・金の御嶽)から役ノ行者が
感得した蔵王権現(ざおうごんげん)を勧請(かんじょ
う)し、「王御嶽(おうのみたけ)蔵王権現」へと変わ
っていきました。
この金峰山(きんぷせん・金の御嶽)の流れをくむ山
は各地にあり、すべて「ミタケ」といい、本元の金峰山
に対して国峰(国御嶽・くにのみたけ)といっているそ
うです。ここ御嶽山もそのひとつですが、ここの御嶽だ
けが「オンタケ」と呼んでいるのだそうです。
▼【展望】
山頂からの展望は独立峰だけあって360度、御嶽の山
々はもちろん、乗鞍岳・北アルプスや中央アルプス、南
アルプスの稜線が広がっています。
▼【歴史・開山・信仰・神社】
さて、ここ御嶽も修験道の祖・役ノ行者小角(おづぬ)
が開山したのにはじまったといいます。その後、飛鳥時
代の大宝2年(702)、信濃国の国司・高根道基という人
が、頂上奥社を創建したとのこと。平安時代後期の治承
〜寿永年間(1177〜1184)には、木曽義仲も平氏打倒を
祈願するためにここに登ったともいわれています。
御岳は、昔から御嶽は修験者たちの修行が盛んな場で
したが、江戸時代になると、御嶽の木曽側全域は、尾張
徳川家の支配地になりました。そこで尾張藩はヒノキの
密伐、密売を防ぐため、一般の入山を禁止、不法入山者
を厳しく取り締まりをはじめます。
一方、西ろくの飛騨側も元禄5年(1692)以降、幕府
領になり、御林山として厳しく管理されていきます。そ
の上、御嶽権現の管理者・武居家が既得権と権威を高め
るために、御嶽に登るには、長期間の精進潔斎と多額の
費用がかかるようにしてしまいます。
これを知った尾張の国(いまの愛知県西部)に住む覚
明(かくみょう)という行者が、「これではいかん」と
立ち上りました。天明5年(1785・江戸後期)、黒沢口
から水行だけを行う軽い精進で登ってみせ、一般信者も
気軽に登れるきっかけをつくりました。それにつづいで
王滝口の登山道が開かれます。こうして気軽に御嶽登山
ができる糸口をつくったということです。
▼【お百草とコマクサ】
さて御嶽山で有名なものに霊薬「お百草」があります。
これは胃腸の不調や痛みなどに効く、昔から民衆に愛さ
れ続けてきた家庭の常備薬。この薬は、御嶽に生えるコ
マクサからつくる薬でしたが、乱獲気味になり、いまは
「キハダ」を代用としているそうです。高山植物のコマ
クサは、標高の高い風当たりの強い砂れき地にポツンと
生えるため、高山植物の女王といわれています。
コマクサは7〜8月が花の盛りです。花茎は5センチ
から大きくてもせいぜい15センチ。花の長さが2セン
チというかわいさです。ピンクで細長く花弁は4個で外
側の2個は先がふくらみ、本当に馬の鼻面のようです。
やがて外側の花弁の先はそり返りますが、内側の2個は
先がくっついたまま。
葉はパセリのように細かく裂け、全体に粉がふいたよ
うに白っぽく、すべて地面から生える根生葉。北海道、
本州の中部、北部の高山に分布しています。白い花を咲
かせる「シロバナコマクサ」というのもあります。・ケ
シ科コマクサ属の多年草です。
▼【お百草伝説】
さて霊薬とされるお百草にはこんな伝説があります。
むかし、修行中の行者が御嶽山に登っていました。その
時行者が突然、腹痛がおこしました。こんなところで!
激しい痛みに困った行者は、一心に「般若経」を唱えま
した。すると一羽のライチョウがあらわれました。ライ
チョウは、行者を案内するような身振り歩いていきます。
田の原という登山口付近まで来たとき、ライチョウが
大きな木の枝に羽を休めました。ふと行者の目にとまっ
たコマクサの花。その花を口にした行者は、激しい腹痛
がやんでいるのに気がつきました。「このような効き目
あらたかな薬草は、世の中に知らせるべきだ」。行者は
そう思いました。
こうして霊薬「お百草」は白衣の行者たちによって世
に知られていったということです。コマクサの花はピン
クで下向きに咲き、細長い形は「駒草」の名前の由来ど
おりの馬ヅラです。高山植物ながら高い山ならどこにで
もというわけではなく、南アルプス、中央アルプスには
ないといいます。北アルプスでも槍ケ岳や穂高連峰には
なく、生える山でも個体数が少ないのでそれだけに見つ
けた登山者の間に歓声があがります。
コマクサには、ジセントリンやプロトビンなどのアル
カロイドが含まれていて、実際に健胃効果、鎮痛効果が
あるといいます。しかし、乱獲のせいか、いまは絶域寸
前。「お百草」も現在では代用品の「キハダ」にとって
かわっているそうです。
▼【コマクサ伝説】
こんな伝説もあります。その昔、いまの長野県小諸市
の近くの村に「おこま」と「おいち」という母娘が、つ
つましく住んでいました。ある冬、娘の「おいち」が原
因不明の病気にかかってしまい、どんな医者の診せても、
どんな薬を飲ませても日に日に病は重くなるばかりで
す。
心配になった「おこま母さん」は木曽の御嶽神社に行
って願をかけました。その満願の日、母親は夢の中で小
さな草に咲く美しいピンクの花を見ました。通りがかり
の行者に話すと、その花は御嶽の頂上に咲いているとの
こと。これは神のお告げに違いない。喜んだ母親は、元
気を取り戻し御嶽山に登り、夢で見た草をやっと探し当
て、飛ぶように下りました。
家に帰り、早速「おいち」に花の汁を飲ませたところ、
娘の頬はみるみる赤みがさして、難病も次第によくなっ
て、ついに全快したといいます。それを聞いた村人たち
は、それからはその草を「おこま草」と呼ぶようになっ
たということです。
▼【阿古多丸伝説】
御嶽山の開山にからむものに阿古多丸(あこたまる)
の伝説があります。延長年間(923〜931)というから平
安時代前半期、京都の北白川の宿衛(しゅうくえい・宿
直して護衛する)少将重頼(しょうじょうしげより)は
40歳を過ぎても子どもいませんでした。そこでなんとか
子供が授かるようにと、御嶽神社に祈願しました。する
と、その甲斐があったのか、玉のような男女の子が生ま
れました。
重頼は、男の子を阿古多丸、女の子を利生御前(りし
ょうごぜん)と名づけ、大事に育てていました。しかし、
姫が6歳の時、夫人が死んでしまったといいます。乳飲
み子を残された重頼は、公家の徳大寺大将の姫・北の方
を後妻にめとりました。が、継母は阿古多丸を憎み、家
庭内に不和が続きます。
利口な阿古多丸は10歳の時、母とのいさかいを避けて
家出。御嶽山に登り、父母が祈願を込めた御嶽神社に参
詣しました。しかし帰路、木曽の板敷野(いたじきの)
まで行った時、長旅の疲れで死亡したということです。
延長6年(928・平安時代前半期)6月13日だったとい
います(このことから御嶽神社の里宮創祀はこの日とさ
れている)。
それを知った少将重頼は、阿古多丸の遺跡をとむらお
うと、姉の利生御前とともに旅立ちました。黒沢口御嶽
山七合目まで来た時、利生御前が腹痛を起こし病死して
しまいます。重頼は悲嘆にくれますが、ライチョウの案
内でやっと頂上奥社に参拝できました。最近まで、女人
が七合目までしか登れなかったのはそのためだといいま
す。しかし黒沢口八合目に金剛堂(女人堂)があります。
これでは八合目まで女性が登っていたことになりま
す。困っていたところ、あるホームページに、女人堂は
登山者相手の遊郭だったとの話を聞いたとあるのを見つ
けました。ホントカイナ。納得できるような、できない
ような…。また御嶽の中腹にある名勝「扇ヶ森」は重頼
が登った時、扇を落としたところであり、ふもとの白河
(川)権現は重頼と利生御前をまつったものといいます。
また木曽福島町(いまは木曽町)と上松町との境の板敷
野には阿古多丸の塚(JR中央本線わき)もあります。
▼【御嶽の天狗伝説】
この山は、古くから山岳修験の活躍した山。ここにも
修験と関係がある天狗が、ウジャウジャいることになっ
ています。天狗といっても大、中、小からカラス天狗、
木の葉天狗、水天狗、朝日天狗など様々な天狗がいます。
同じ大天狗のなかでも名無し天狗と名前のある天狗では
大違いの存在です。
この山には名前のある大天狗だけでも、前山にすむ三
笠山刀利天坊(とうりてんぼう)、同じく前山の八海山
大頭羅坊(だいずらぼう)、主峰の剣ケ峰の一峰、摩利
支天(まりしてん)山近く阿留摩耶山(あるまやさん)
にはアルマヤ坊と4狗がいます。このほか名前のない小
天狗、カラス天狗、ナントカ天狗、カントカ天狗などウ
ジャウジャ。それを取り仕切るのが御嶽権現の化身とい
われる御嶽山六尺坊という別格天狗なのだそうです。
この天狗はもう神さまです。主峰の剣ケ峰から辺りを
へイゲイしているといいます。アルマヤ坊は、サイノ河
原東方のピークから三ノ池を見下ろしているはずです。
大頭羅坊のすむ八海山は王滝口五合目にありますが、い
までは御嶽山に登るのも五合目はバスで素通りするだけ
です。そして刀利天坊は、六合目・田の原にある三笠山
に鎮座。
交通が便利になった今でこそ、これらの山々は見むき
もされませんが、王滝村から歩いた昔はそうとうな険阻
な山であったはず。山頂をめざすにはそれなりに神秘を
感じていたにちがいありません。刀利天坊は五ノ池近く
にある飛騨項上にも像があります。この山の首領である
六尺坊は、小天狗やカラス天狗をはじめ、やっと成り立
ての天狗などうごめく天狗どもを取り仕切っているのだ
そうです。
▼【天狗のお経・天狗経】
天狗には御嶽行者が唱える天狗経があります。行者が
唱える祝詞(のりと)、『御嶽勤行集』(おんたけごんぎ
ょうしゅう)という唱文の「神迎勤請祝詞」にこんな文
が出てきます。
その全文は、「恐れ乍ら之の座に勧請し奉るは、謹請
(きんじょう)は七代十柱の御神、謹請は十一柱の御神、
大元耳神、天地開闢国常立神、謹請は日天子、月天子、
大己貴神、少彦名神、御嶽山三社大権現、白河山大権現、
八海山大頭羅神王、三笠山刀利天飛竜大権現、阿留摩耶
山大権現、蔵王山大権現、諏訪上下大明神、三島三明神、
武尊大権現、大与曽大権現、戸曽大権現、大江大権現、
三宝大荒神。磐戸大明神、弁財天、奥の院には、天照皇
大神宮謹請、八幡大菩薩、謹請は春日大明神、月読命大
明神、摩利支天大神、西ノ宮大神、飛竜山大日大聖不動
明王、コンガラ童子、セイタカ童子、南無三十六童子、
南無八大童子、総じて大日本国中天神地祇、八百萬の御
神、之の座に降臨あって家内安全、息災延命、当病平癒、
所願成就なさしめ賜へと畏こみ畏こみ白す。畏れ乍ら総
社には建御方の命、諏訪大明神、登美の神社、当社の鎮
守は□□□(註□□□は祈祷する土地の鎮守神を挿入す
る)、日光山には東照大権現、日本には総社津島牛頭
天王、富士浅間大神宮、像頭山金比羅大権現、立山三社
大権現、湯殿三社大権現、熊野三社大権現、戸隠三社大
権現、並に九頭竜大権現、三峰山大権現、秋葉山大権現、
大山石尊大権現、大天狗小天狗、近江多賀大明神、鹿島
大明神、稲荷五社大明神、住吉大明神、道了大権現、無
上同宝神加持、当家守本尊」という長ったらしいもの。
ここに出てくる神々や仏たちは、御嶽の山々や谷にま
つられていたのではなく、多くは客神(まろうどがみ・
客位の神)として信奉者たちに崇められたものらしいと
いいます。この唱文にもあるように、「三笠山刀利天飛
竜大権現=三笠山刀利天坊。八海山大頭羅神王=八海山
大頭羅坊。阿留摩耶山大権現=御嶽山阿留摩耶坊」と、
同じ御嶽剣ヶ峰にすみ、御嶽権現の化身といわれる御嶽
山六尺坊という別格天狗をまもっていることになってい
ます。刀利天狗は飛竜大権現なのですね。
▼木曽御嶽剣ヶ峰【データ】
★【所在地】
・長野県木曽郡王滝村と木曽町(旧木曽郡三岳村)との
境。中央本線木曽福島駅の北西20キロ。JR中央本線木
曽福島駅からバス、田の原から歩いて4時間20分で木曽
御嶽剣ヶ峰。一等三角点(3063.4m)とすぐ西隣に写真
測量による標高点(3067m・標石はない)がある。御嶽
神社の奥社がある。山頂北直下に一の池がある。地形図
に山名と三角点の標高、標高点の標高と神社(鳥居)記
号の記載あり。
★【位置】(国土地理院「電子国土ポータルWebシステ
ム」から検索)
・標高点:北緯35度53分34.74秒、東経137度28分49.55
秒
・三角点:北緯35度53分35.06秒、東経137度28分50.3
秒
★【地図】
・2万5千分の1地形図「御嶽山(飯田)」
▼【参考文献】
・『アルパインガイド・中央アルプス御岳恵那山』(山
と渓谷社)1980年(昭和55)
・『奥秩父の伝説と史話』太田巌著(さきたま出版会)1983
年(昭和58)
・「御嶽信仰の成立と遠江(とおとうみ)の霊山」:『山
岳宗教史研究叢書9』(富士・御嶽と中部霊山)鈴木昭
英編(名著出版)1978年(昭和53年)
・『角川日本地名大辞典20・長野』(角川書店)1991年
(平成3)
・「高山植物・花の伝説」稲田由衣(株式会社ナカザワ)
・『コンサイス日本山名辞典』(三省堂)1979年(昭和5
4)
・『山岳宗教史研究叢書9』(富士・御嶽と中部霊山)
鈴木昭英編(名著出版)1978年(昭和53年)
・『山岳宗教史研究叢書17』(修験道史料集1・東日本
編)五来重編(名著出版)1983年(昭和58)
・『植物と神話・続』近藤米吉編著(雪華社)
・『神社辞典』白井永治ほか編(東京堂出版)1986年(昭
和61)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005
年(平成17)
・『図聚天狗列伝・東日本編』知切光歳(三樹書房)19
77年(昭和52)
・『日本登山史・新稿』山崎安治著(白水社)1986年(昭
和61)
・「旅と伝説」7号(三元社)1938年(昭和13)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年
(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平
成16)
・『日本歴史地名大系・長野県」(平凡社)1990年(平
成2)
・『名山の日本史』高橋千劔破(ちはや)(河出書房新
社)2004年(平成16)
・『山の伝説・日本アルプス編』青木純二(丁未出版)
1930年(昭和5)
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