【本文】
▼【乗鞍岳とは】
北アルプス南端に乗鞍岳という山があります。北の端
にも同じ名前の乗鞍岳(標高2456m)がありますが、こ
こは白馬乗鞍岳という名で区別しています。南の乗鞍岳
はよく「乗鞍二十三峰」などといいますが、乗鞍岳とは
これらの山々の連峰の総称です。最高峰は3026mの剣ヶ
峰。ここには23座のほかに七つの湖、八つの平原があり
ます。
二十三峰とは、主峰の剣ヶ峰(標高3025.7m)、大日
岳、屏風岳、薬師岳、水分(みくまり)岳、雪山岳、朝
日岳、蚕玉(こだま)岳の8座がならび、さらに北へ摩
利支天岳、不動岳、里見岳、富士見岳、恵比須岳、魔王
岳、大黒岳、ちょっと離れて大丹生(おおにゅう)岳、
烏帽子岳、四ッ岳、北西へ猫岳、大崩山とに連なってい
ます。
七つの湖とは、権現池、亀ヶ池、鶴ヶ池、不消ヶ池(き
えずが)、五ノ池、大丹生池(おおにゅう)、土樋ヶ池(つ
ちどよのいけ)のことだそうです。この中の亀ヶ池は、
わが国で初めて田中阿歌麿(あかまろ)が亀甲土(氷
河周辺地形の一種)を発見したところだそうです。
▼【展望・高山植物】
山頂からは富士山、白山の眺めがすばらしく、高山植
物も豊富で、7月初旬からキバナシャクナゲ、コケモモ、
ハクサンイチゲ、クロユリなどが咲きだします。つづい
てタカネウスユキソウ、ヨツバシオガマ、ミヤマリンド
ウ、コマクサ、アオノツガザクラ、キバナノコマノツメ、
ハクサンフウロ、ミヤマキンバイ、マイヅルソウなど。
さらに8月下旬から9月下旬にかけてはウサギギク、ミ
ヤマアキノキリンソウ、トウヤクリンドウなどが咲きま
す。
▼【山名】
乗鞍岳の山名は、古くは愛宝山(あぼうやま)、位山
(くらいやま)、朝日岳、鞍ヶ嶺、権現岳、(ただの)
岳、騎鞍岳(くろがね)、騎鞍岳(のりくらだけ)、大
山、御岳(みたけ)とか呼ばれていたようです。とくに
位山は、平安時代の中ごろ以降は、歌枕にもなっていて、
いろいろな歌人の歌が残っています。
乗鞍岳は、岐阜県高山方面から見ると、山の形がまる
で馬の背に似た形をしているところから山名がつけられ
ました。信州側でも松本付近から眺められ、最初に朝日
が当たるので「朝日岳」と呼んで親しまれ、昔から長野
県歌にも「御嶽、乗鞍、駒ヶ岳、浅間はことに活火山」
と歌い込まれているほどです。木曽義仲が自らを朝日将
軍と名乗ったのもその朝日岳から来ているといいます。
▼【山頂の祠】
最高峰剣ヶ峰の頂上には、信州側(長野県側)の村人
がまつった朝日権現社(いまは乗鞍権現社)が東を向い
て建っています。それと反対を向くように、飛騨側(岐
阜県側)の人々がまつった鞍嶺社(くらがね・昭和3年、
乗鞍神社と改名)(乗鞍本宮奥宮とも)が建っています。
いま乗鞍岳北西ろく飛騨側(岐阜県側)の岩井谷村(い
まの丹生川村)にある鞍ケ嶺神社(いまは乗鞍神社と改
名)には大日如来という仏さまがが安置されています。
この如来はかつては、剣ヶ峰山頂の信州側の人々がまつ
った朝日権現社(乗鞍大権現)のご神体としてまつられ
ていたものだそうです。
それなら、なぜ信州側の村人の朝日権現社にあったご
神体が、飛騨側の村人の神社にまつってあるのか不思議
です。それには次のような事情があるとのことです。明
治の神仏分離令による混乱がつづいた明治15年(1882)、
信州側の朝日権現社(乗鞍大権現)と飛騨側の鞍嶺(く
らがね)社(いま乗鞍神社)が合併させられて「乗鞍神
社」となりました。
そして、朝日権現社(信州側)のご神体の大日如来像
が鞍嶺社(飛騨側)に移されたのだそうです。ところが
信州側と飛騨側の村人の間で紛争が起こり、飛騨側が大
日如来さまを自分たちの岩井谷村におろしてしまったの
だそうです。そして信州側の村人のものである大日如来
さまを奉じて、山に登り祭礼を行うようになったのだと
いうことです(『名山の日本史』)。その祭りはいまも続
いています。
▼【開山】
乗鞍岳については不詳ですが、『乗鞍山縁起』という
文書に、平安時代はじめに坂上田村麻呂が飛騨評定の時
登山、乗鞍三座の神に戦勝祈願したのが開山のはじまり
といいます。平安末期になり、木曽義仲の手のもの、大
夫坊覚明が乗鞍岳奥ノ院に大日如来を安置したそうで
す。江戸前期には、鉈彫りで有名な僧円空が千体仏を彫
り、乗鞍山頂に登り大丹生(おおにゅう)池に沈め祈祷
したという。この大丹生池には魔神がすむと恐れられて
いるのを払拭したのだそうです。このとき魔王岳や摩利
支天岳を開山、命名したということです。
この山も古くは登山禁止で、長野県側、岐阜県側とも、
信徒たちはそれぞれ山ろくから遙拝のみをしたそうで
す。長野県側では、大野川の大池にある梓川神社のある
ところがその場所。岐阜県側では、大丹生(おおにゅう)
ヶ池付近で遙拝しました。その後、修験者が登頂するよ
うになって、山頂に乗鞍権現(別名朝日権現、長野県側)
と、御嶽神社(岐阜県側)がまつられるようになると次
第に庶民も登るようになっていきます(『日本歴史地名
大系20・長野県の地名』による)。
▼【土俵ヶ原伝説】
乗鞍岳も伝説の多い山です。乗鞍スカイラインの岐阜
県側の四ツ岳のふもとに「土俵ヶ原」というところがあ
り、避難小屋が建っています。ここには昔、信濃の仙人
と飛騨の仙人が山頂の主の座を争って、相撲をとったと
いう伝説があるそうです。
▼【松本大野川梓水神伝説】
また、長野県側の遙拝所だった松本市大野川の大池に
ある梓水神(あずさかわのかみ・乗鞍権現)には、竜神
伝説もあります。この池にすむ竜神は、雲を呼び雨を降
らせる神だといいます。昔ある時、年の経た熊がこの大
池に落ちて死んでしまったそうです。竜神は、池がけが
れたといって怒りました。
池には黒い雲がたちこもって、あたりはまっ暗になり、
竜神は天空に登って乗鞍岳山頂の権現池に行ってしまっ
たのです。しかし大きな竜神に対して権現池はあまりに
も小さい。竜神ははみ出してしまい、頭は権現池に、胴
体は松本市大野川の大池に、尾っぽは諏訪湖まで達して
いたということです。
▼【味噌かい橋伝説】
乗鞍岳飛騨側のふもと・沢山というところに、長吉と
いう正直な炭焼きがいました。ある晩、枕もとに仙人が
あらわれ、「高山の町に行って、味噌かい橋という橋が
あるので、その上で立っておれ。きっとよいことを聞け
るはずだ」といいました。長吉はさっそく炭を売りに高
山に行き、「味噌かい橋」の上に立っていました。
一日目には誰も来ませんし、何も起こりませんでした。
二日、三日となり五日目のこと、毎日橋の上に立ってい
る長吉に気がついた、橋のたもとの豆腐屋が不思議に思
って、わけを聞いてきました。長吉は夢の話をすると、
豆腐屋は笑いだして、「夢の話を本当にするバカがある
か。……
……わしもこの間、そんな夢を見たぞ。やはり仙人が
あらわれて、乗鞍のふもとの沢山というところに長吉と
いう者がいる。その家のそばの杉の木の根もとを掘れば、
金銀宝物が出るなんて話だった。が、そんなばかばかし
い夢、信じるかよ」。
話を聞いて長吉は驚きました。「これって自分の家の
ことではないか?」。長吉は、大急ぎで自分の家へ戻り
ました。そして、すぐに杉の根もとを掘ってみると、ナ
ント本当に金銀宝物が、ザクザクと出てきたのです。そ
れからは長吉は長者になり、村人たちから「福徳長者」
と羨ましがられたということです。
▼【天津速駒伝説】
またこんな話もあります。乗鞍岳の馬の鞍は、「天安
鞍」(あめやすくら)といい、どんな馬からでも落ちる
ことがないといわれる鞍だといいます。大昔、那須の国
造(くにのみやっこ)は、茨城・福島県境にある八溝山
の八狭大蛇(やまたのおろち)を退治しなければならな
くなりました。
そこで国造は、中央アルプス木曾駒ヶ岳にすんでいる
という天津速駒(あまつはやこま)に乗るために、ここ
乗鞍岳から天安鞍を借りることにしました。さらに槍ヶ
岳から天日矛(あめのひほこ)を、立山から天広盾(あ
めのひろたて)を借り受けて、無事に八狭大蛇を退治で
きたという伝説もあります。
▼乗鞍岳【データ】
★【所在地】
・長野県松本市と岐阜県高山市丹生川町(にゅうかわ町)
との境。三角点は岐阜県高山市。高山本線高山駅の東27
キロ。上高地線新島々駅からバス畳平停留所下車、歩い
て1時間30分で剣ヶ峰(三角点3025.7m・一等三角点名
乗鞍岳(TR15437142401)
★【位置】
・乗鞍岳剣ヶ峰:北緯36度06分23.38秒、東経137度33分
12.99秒
▼【地図】
・2万5千分の1地形図「乗鞍岳」
▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典20・長野県』市川健夫ほか編(角
川書店)1990年(平成2)
・『角川日本地名大辞典21・岐阜県』野村忠夫ほか編(角
川書店)1980年(昭和55)
・『北アルプス白馬連峰 その歴史と民俗』長沢武(郷
土出版社)1986年(昭和61)
・『信州山岳百科1』(信濃毎日新聞社編)1983年(昭
和58)
・『信州峠百科』井出孫六ほか監修(郷土出版社)1995
年(平成7)
・『信州百名山』清水栄一著(桐原書店)1990年(平成
2)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005
年(平成17)
・「旅と伝説」三元社(昭和17年4月号)「山と地形の
ことば」高橋文太郎:『民俗学資料集成・29』(岩崎美
術社)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年
(平成9)
・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎日新聞社)1997年
(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平
成16)
・『日本歴史地名大系20・長野県の地名』(平凡社)197
9年(昭和54)
・『日本歴史地名大系21・岐阜県の地名』(平凡社)198
9年(平成元)
・『名山の日本史』高橋千劔破(ちはや)(河出書房新
社)2004年(平成16)
・『山の伝説・日本アルプス編』青木純二(丁未出版)
1930年(昭和5)
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