山の【ひとり画ってん】
『日本百名山の伝説と神話』
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▼1157号(百伝057)笠ヶ岳のはなし
「播隆上人の登山と弘法大師伝説」

(長文です。ご興味ある部分を拾
い読みしてください)
▼【本文の目次】
・雪形
・初登山・道泉和尚
・円空の登山
・南裔(なんねい)の登山
・釈子窟(くつ)
・播隆・一回目登山
・播隆・2回目登山
・槍への登頂決意
・一里ごとの石仏
・三奇石伝説
・杖石伝説

▼【本文】
★【笠ヶ岳とは】
 北アルプス岐阜県高山市上宝町
(旧同県吉城郡上宝村)に笠ヶ岳
(2897.5m)という山があります。
各地に「笠」の形をした山は結構
多いですが、この笠ヶ岳ほどどこか
ら見ても、同じ形をした山はない
そうです。

 江戸時代は山頂から少し下にあ
る山小屋あたりが、人の肩に似て
いるというので「肩ヶ岳」とか、
お釈迦様の「迦」を意識したのか
「迦多ヶ岳」といっていたそうで
す。山岳修行でおなじみの念仏僧
・播隆上人がここに登り東の空に
浮かぶ天をつくような槍ヶ岳を見
て、初登頂を決意した話は有名で
す。

★【展望】
 笠ヶ岳の山頂からの展望は、バ
ツグンで槍・穂高連峰などが、大
パノラマを展開しています。

★【高山植物】
 夏には高山植物も群生し、テン
ト場下の「播隆平」や、抜戸岳へ
の稜線下の「杓子平」などのカー
ルには、ツガザクラ、ガンコウラ
ン、チングルマ、コイワカガミな
どのお花畑が展開します。

★【雪形】
 この山には駒の雪形が出て、5
月下旬には飛騨地方側のふもとの
上宝村地区や神岡町の人々に、苗
代や田植の準備開始の時期を教え
てくれました。この雪形は、山頂
すぐ下に正面を向く白馬の形で、
ふたつの耳があり、胴体から尻は、
馬の頭の左側に横になって出ま
す。

 雪形は、6月の梅雨のシーズン
まで、里から見ることができるそ
うです。雪形の残雪は、日がたつ
につれ、次第に胴体の下に足が見
えてくるといいます。

★【初登山・道泉和尚】
 笠ヶ岳の初登山は、遠く鎌倉時
代中期の文永年間(1264〜75)
からだというから古い。登頂した
のは、地元の高原郷(いまの高山
市上宝村)本覚禅寺の道泉という
和尚との説があります。ただ大昔
のこととてどうもはっきりはしま
せんが……。

★【円空の登山】
 時は下り、江戸時代の元禄年間、
仏像を鉈一丁で刻むことで有名
な、円空が登ったともいわれてい
ます。ご存知円空は、12万体の
仏像を彫ることを発願した江戸初
期の密教布教僧です。1683(天和
3)年、飛騨に入り、のち1689
(元禄3)年、いまの上宝村長倉
の桂峰寺で、今上皇帝像を刻みま
した。

 その時まで、ここ飛騨ですでに
1万体、各地のを合わせると10
万体彫っていたというからスゴイ
記録です。笠ヶ岳に登ったのはこ
のころで、山頂に大日如来を安置
したといいます。同村には円空作
の仏像がほかに数点残っているそ
うです。

★【南裔(なんねい)の登山】
 次に登ったのは、高山市宗猷寺
町にある宗猷寺(そうゆうじ)と
いうお寺の何裔(なんねい)上人。
1782(天明2)年のことだとそう
です。寺名が町名になっている程
なんですから、大きなお寺なので
しょうね。南裔上人は、南裔楚雄
(なんねいそゆう)という禅師で
す。

 南裔禅師は、同じ寺の北州禅師
や、上宝町本郷の本覚寺の嶺州禅
師、さらに高山の役人などととも
に、今見右衛門という人の案内で
笠ヶ岳に登山。山頂に、阿弥陀如
来などの五尊と、鉄札2枚を安置
したといいます。

 南裔楚雄は、享保15年(1730)
旧丹生川村の三ノ瀬山下喜右エ門
という家で生まれました。9歳の
とき、叔父さんにあたる高山宗猷
寺の桃瑞和尚に預けられ、やがて
同寺の10世になったそうです。
江戸で三井親和(みついしんな・
江戸中期の書家で武術家)に、
篆書(てんしょ)や篆刻を学んで、
人に知られる文化人になったとい
うことです。

 さて時は過ぎ、江戸も後期にな
った文政4年(1821)のころだと
いいます。のちに槍ヶ岳開山した
ことで有名になった播隆という上
人が、この近くを修行の旅をして
いました。上人は飛騨高山から恵
比寿峠(丹生川村大萱と折敷地区
の間)を越えて、高原郷(いまの
高山市上宝町(旧同県吉城郡上宝
村))にやってきました。そして
本郷地区の本覚寺に行き、椿宗(ち
んじゅう)和尚和尚をたずねたの
でした。

★【本覚寺】
 ちなみに本覚寺は、高山市上宝
村本郷地区にある臨済宗妙心寺派
のお寺で、正式名称は高原山本覚
寺といいます。ここの郷の領主絵
馬氏の二代目の子が出家し、開い
た寺だということです。このお寺
は、笠ヶ岳開山の本家になります。

★【釈子窟(くつ)】
 播隆上人は本覚寺で、岩井戸村
に釈子窟(くつ)といわれる岩屋
があることを聞き、その岩屋で念
仏修行をはじめました。そこはか
ねてから村人たちが集まって、念
仏を唱えるところでもありまし
た。

 岩屋は、山肌に杓子(しゃくし)
形にえぐられており、高さ10m、
入り口の幅は3mもあるところで
した。そこで、一心不乱に念仏を
唱える上人の姿に村人は尊敬の念
をいだき、次第に集まってきて一
緒に念仏を唱えはじめるようにな
りました。

★【播隆・一回目登山】
 さて釈子窟で2年間修行した播
隆上人は、文政6年(1823)年6
月、村人の案内でいまの笹島地区
から笠谷をさかのぼり、偵察登山
を試みました。しかし、南裔禅師
が登山してから、すでに40年も
過ぎていて、道は荒れ果てていま
す。かすかにうっすらと残る道ら
しき踏み跡を探しながら、やっと
の思いで頂上へ出ることができま
した。

 播隆上人は、「これは人々が登
るのは容易ではない。民衆がもっ
と簡単に登れるよう登山道を整備
しよう」と、村人に呼びかけまし
た。こうして山道造りをはじめて
から50日もかかって、登山口の
笹島から笠ヶ岳山頂まで、37キ
ロもの登山道が完成したのでし
た。

★【播隆・2回目登山】
 その年の8月5日、播隆上人は
笠ヶ岳再興を祝って、村人18人
を連れて再び登頂します。一行が
霧がかかった笠ヶ岳山頂で念仏を
唱えていた午後4時ごろ、雲の中
から七色にかがやくご来光があら
われました。その中心に如来像が
くっきりと浮かんでいます。「仏
さまの出現だ」と、山頂にいた全
員が感きわまって、その場にひれ
伏しました。いまでいうブロッケ
ン現象です。

★【槍への登頂決意】
 この時、山頂から四方を眺めた
播隆上人は、東の空に浮かぶ荒々
しい穂高連峰の岩峰の中に、ひと
きわ天を突くようにそびえる槍ヶ
岳が見えました。感激した上人は
「あの山こそ、絶好の修行の場所
だ」。上人はそう確信し、槍ヶ岳
に登ることを決意したといいま
す。ただ、この決意をしたのは初
登頂の時だとの説(『山岳宗教史
研究叢書10』)もあります。

★【一里ごとの石仏】
 ま、それはさておいて、播隆上
人は翌年、笠ヶ岳への登山道の1
里(4キロ)ごとに、8体の石仏
を路傍の碑を建てたのです。さら
にまた笠ヶ岳山頂には、阿弥陀仏
像をまつったといいます。

 この時のことを書いた播隆上人
の『迦多賀岳再興記』や『迦多賀
岳の記』が本覚寺にいまもあるそ
うです。そして現在でも、笹島地
区の観音堂から笠ヶ岳まで、旧登
拝道のふみあとがあり、一里塚は
村の文化財になっているといいま
す。山頂にはなごりの祠も残って
います。

★【播隆祭】
 この播隆上人の偉業をたたえ、
毎年5月の11日に地元観光協会
が、登山者や観光客の安全を祈り、
北アルプス飛騨側の開山式「播隆
祭」を行っています。

★【笠新道】
 いまもっともふつうに利用され
ているのは「笠新道」という登山
道。新穂高温泉から、左俣林道の
ワサビ平手前から左に道を分け、
登りはじめる笠ヶ岳への近道で
す。この登山道は、1965年(昭
和40)、国民体育大会山岳競技が、
笠ヶ岳、双六岳、槍ヶ岳、穂高岳
で行われたとき造られたものだそ
うです。

★【三奇石伝説】
 さて、飛騨山脈ジオパーク構想
と銘打ったエリア内には、数々の
伝説が残されています。その中に
高原川の「三奇石」と呼ばれるも
のがあります。笠石、蓑石、杖石
の三つです。「三奇石」伝説は、
どれも弘法大師の置き忘れの伝説
だそうです。ちなみに、飛騨山脈
ジオパーク構想とは、飛騨山脈の
高山市エリア(丹生川町・上宝町
・奥飛騨温泉郷)の見どころのこ
とだそうです。

★【杖石伝説】
 弘法大師にちなんだ「三奇石」
伝説のなかでも「杖石」は、高原
川沿いの細越地区にそびえる巨大
な岩で、その姿は柱のようにそび
えた岩。この岩柱は、高さ 70m、
周囲 250mもあり、頂上には弁
天さまがまつられています。下流
側からは頂上まで登れるようにな
っており、弁天さまに参拝すると
参拝すると良縁が授かるといわれ
ています。

★【弘法大師伝説】
 弘法大師の伝説です。その昔、
弘法大師さまが越中の国から、仏
の道を説き人々に安らぎを与える
ため、高原川をさかのぼり細越地
区にやってきました。その日は雨
でもあり、大師さまはアップダウ
ンの山道に苦労していました。が、
細越地区まで来ると道は平らにな
り、あたりも美しい景色になって
いました。

 弘法大師は景色に見とれ、しば
らく立ちすくんでいましたが、や
がて持っている杖をしみじみ眺
め、「長い間世話になったが、わ
しには、もうこの杖はいらなくな
った。あとから来る困った人にあ
げよう」と、杖を地面に突き立て
て立ち去りました。すると地面に
突き刺さった杖が、見る見る大き
くなって、次第にいま高原川沿い
にある「杖石」のような大岩にな
っていったということです。


▼笠ヶ岳【データ】
★【所在地】
・岐阜県高山市上宝町(旧岐阜県
吉城郡上宝村)。高山本線高山駅
の北東34キロ。JR高山本線高
山駅からバス、新穂高温泉から歩
いて7時間で笠ヶ岳(標高2897.5
m)二等三角点がある。地形図に
山名と三角点の標高あり。三角点
より北方294mに笠ヶ岳山荘があ
る。

★【位置】国土地理院「電子国土
ポータルWebシステム」
・三角点:北緯36度18分55.72
秒、東経137度33分01.43秒

★【地図】
・2万5千分の1地形図「笠ヶ岳
(高山)」



▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典21・岐阜
県』野村忠夫ほか編(角川書店)
1980年(昭和55)
・『山岳宗教史研究叢書10・白山
・立山と北陸修験道』高瀬重雄(た
かせしげお)編(名著出版)1977
年(昭和52)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナ
カニシヤ出版)2005年(平成17)
・「旅と伝説」(全193号)三元社
:『旅と伝説・民俗学資料集成』
(岩崎美術社)
・『日本三百名山』毎日新聞社編
(毎日新聞社)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか
(三省堂)2004年(平成16)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石
利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本百名山』深田久弥(新潮
社)1970年(昭和45)
・『秘録・北アルプス物語』朝日
新聞松本支局(郷土出版)1982
年(昭和57)
・『山の紋章・雪形』田淵行男著
(学習研究社)1981年(昭和56)


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