山旅通信【伝承と神話の百名山】とよだ 時

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▼1152号(百伝052)黒岳(水晶岳)「水晶と露天風呂と鉱山」

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▼1152号(百伝052)黒岳(水晶岳)「水晶と露天風呂と鉱山」

【本文】

★【水晶岳とは】
 富山県の黒部川は、上流の黒部ダム・黒部湖の上流の奥黒部ヒュ
ッテあたりから黒部川は二つに分れています。その西側本流は「上
ノ廊下」と呼ばれる渓谷をつくり源流の鷲羽岳へ、東側支流は東沢
谷になり水晶岳へ突き上げています。また、中央の山稜は赤牛岳・
水晶岳へとつづく「読売新道」です。

 水晶岳は、まさに北アルプス最奥部の、このあたりの山群の最高
峰。富山市の最高地点でもあるそうです。そこから西へ流れ出すそ
の名も沢水が温泉の「温泉沢」になり、下流に高天原温泉があり、
露天風呂もあって訪れる人は自由に入れます。

★【展望】
 水晶岳からの展望はすばらしく、立山から後立山連峰、槍ヶ岳、
そして穂高岳などのほか、雲ノ平から黒四ダムまで一望できます。
大正から昭和期の歌人の大悟法利雄(だいごぼうとしお)は、南方
にそびえる槍ヶ岳の頂上からこの山を望み、「黒部薬師・黒部水晶
・立山と教へられつつ心は燃ゆる」と詠んだほどだそうです(『富
山県の地名』)。

★【山名の由来】
 水晶岳の名は、ここから水晶がとれることに由来するといいま
す。ここは、かつては良質な水晶が採れた山だったそうです。近年
でも、黒部源流と、源流から分かれた岩苔小谷の岩苔乗越で、長さ40
センチもの大きな水晶が見つけたといいます。いまでも山頂のあた
りに小さな水晶をみつけることができます。

 この水晶については、明治42年(1909)に、ここの登った辻村
伊助という人が、自身の山行記『飛騨山脈の縦走』の中で、「この
辺は履(ふ)みくづす砂利の中から、石榴石と水晶が多量に表れる、
結晶は一般に小さく、形の明瞭なものは二十四面体が多く、菱形十
二面体のものはやや大きいけれど不完全である。黒岳の頂上には巨
岩が圧し重なって、イハブスマが透き間も附着してゐる」などと当
時の模様を記しています。

★【異名】
 水晶は、六角結晶体になっているところから、六方石(ろっぽう
せき)の異名もあります。そんなことから、昔はこの山を「六方石
山」と呼んでいたらしく、地元の図書館に残る江戸時代の絵図には、
その名で載っているといいます。また、水晶岳は黒々とした色をし
ているため、信州側(長野県側)では黒岳といっていたようです。

 また、中嶽・中嶽剣とか中剱岳とも呼んだそうです。やはり江戸
時代の別の絵図に「中嶽」と記載。中嶽とは、立山・後立山両山脈
の中間にそびえ立つ山塊の意であり、「中嶽剱」「中剱岳」とは、中
嶽山塊中の剱のように険しい山の意ではないかともいわれていま
す。

★【水晶池】
 水晶岳の西ろくには、この山の地すべりで岩苔小谷がせき止めら
れてできた堰止湖の水晶池があります。この池は、水面に水晶岳が
逆さに映ることで知られています。水晶池は幅が数十m、長さ百数
十mで、ルートから外れているために、あまり寄り道する機会があ
りません。

 樹林に囲まれた神秘的な池で、水面からはいつも靄(もや)が立
ちこめていて、妖気がただよい昔の猟師たちは、そこに大蛇がすん
でいるといっていたそうです。私もある夏、鷲羽岳西ろくにある
黒部源流の細い流れをさかのぼり、岩苔乗越を越えて、北側へ下
り、水晶池に行ってみました。

 高天原への途中「眠りノ平」手前で道から分かれ、細い道の草
を分けながら、いい加減進んだころ水晶池があらわれました。水
が干上がり池の底がヒビ割れています。これじゃ竜も干からびて
しまうのではと心配します。しかし辺りにはガスがかかり、世間
からかけ離れた幽閉さに満足したものでした。

★【高天原】
 水晶池から「眠りノ平」を経て30分も北へ下って行くと、高天
原(岩苔平)という湿原で、シーズンには高山植物が咲き乱れてい
ます。やはり昔の猟師たちは、「本当の高天原はここだったのだが、
あまり奧で不便なので、高千穂峰に飛び返した」などといっていた
ところです。さらに行くと水晶岳から流れ出す温泉沢に出会います。
その沢すじには露天風呂があって、訪れる人の疲れをいやしてくれ
ます。

★【ヌスト谷と三吉谷】
 さて、この黒部奥山は、昔から加賀藩の領地でした。このあたり
には、材木によい木が茂っていたため、村人たちがよく伐採にきた
そうです。その中には、信州(長野)の木こりたちも国境を越えて
きて木を盗んでいく者もいました。そのため加賀藩は、山林の見は
り役人(奧山廻役)を配置し、厳重に見はらせていました。とくに
水晶岳に近い谷の木は、いつも盗まれて、ヌスト谷と呼ばれていた
ほどでした。

 ある時、信州の木こりで三吉という男が、木を盗んでいるところ
を役人が見つけ捕えられ、大騒ぎになるじけんがありました。それ
からというもの、三吉が伐採した谷を「三吉谷」(東沢支谷)、小屋
がけをしていた場所(烏帽子岳付近)を「三吉小屋場」。そして木
を盗みに入ったルートを「三吉道(どう)」と呼んだということで
す。また赤牛岳も、「赤牛三吉」ともいったそうです。

★【大銅鉱山】
 こんな話もあります。高天原の水晶側の斜面には、いくつもの穴
ががあり、坑道の跡のようでもあります。かつて水晶岳には、金
の大鉱脈が埋蔵されているという噂があったそうで、かつては「大
銅鉱山事務所」の建物もあったそうです。これは星勇九郎という
人の持ち物だったということです。

 勇九郎という人物は、仙台で官吏をしていましたが、神さまの
お告げとかで、金の鉱脈があるというこの場所を掘ることにしま
した。富山で案内人をさがして、黒部川上流の薬師沢を下り、立
石の岩小屋に入りましたが、道が分からなくなり、おまけに天候ま
で荒れてきて、進退きわまりました。そこへひとりの不思議な老人
が、イワナを釣りながら現れて、高天原への道を教えてくれたとい
うのです。

 その後「私は言語の絶する苦心の末、鉱石を持ち帰ることが出来
ました。それを学者に見せたところ大した金鉱であり、埋蔵量は無
尽蔵とのこと。水晶岳と三ツ岳(2845m)にトンネルを掘り、長
野県大町市まで金鉱運搬の鉄道を引くつもりです。最初は、その
資金を充当させる程度の金を掘り出すことですが目標です」と、
息まいていたといいます。「あと25m掘れば鉱脈にぶつかる。もう
一息だ」と作業員に発破をかけます。

 その金鉱の調査などを依頼された学者が、実際にやってきて三俣
小屋へ泊まったこともありました。学者は「金鉱はまだ出るか分か
らない。出たとしても企業として成り立つかどうかは、含有量が問
題だ」といっていたそうです。心許ない返事ですが、ただ、モリブ
デンというものの良質なものが出て、人が背負って大町へ出してい
たこともあったそうです。

 こんな話に乗った、ある資本家がスポンサーになり、大勢の人
夫を雇い、いくつもの坑道を掘削、大々的に事業を展開しました。
しかし結局金鉱は出ずじまいだったそうです。その間、何人もの
資本家が食い物にされたということです。これはまだ戦後のどさ
くさが治まらない、1949(昭和24)年ごろのおはなしだそうです。

★【読売新道】
 さて水晶岳から赤牛岳、さらに北へ黒部湖「平ノ渡シ」にかけ
て「読売新道」というルートがあります。この登山道は、1961年
(昭和36)に開かれた道で、13キロにも及んでいるという。これ
は、その名のように読売新聞社が、富山県高岡市に北陸支社を開
設したのを記念してつくった登山道。支社開設記念に乗っかり、
登山教室など登山に関連した「立山大集会」を開催。その集会の
一環として地元のガイドたちの協力で、5年間を費やして完成さ
せたそうです。

 「読売新道」は、登り10時間20分、下り8時間20分で、途中
に避難小屋もないハードなルートです。キャンプ地の奥黒部ヒュッ
テを朝5時前に出発。深い樹林帯の中、暗い蒸し暑く長い登りがつ
づきます。ピーク2578mの草地に着いたのが9:30分。赤牛岳を経
て水晶岳には15:30分なってしまいました。それから雲ノ平のテン
ト場には18時過ぎ。テント場は満員で場所がなく、仕方なく水溜
まりの上にテントを張りました。


▼水晶岳【データ】
★【山名・地名】
・水晶岳(すいしょうだけ)
・【異名、由来】:水晶岳。黒岳。南峰(標高点)と北峰(三角点)
がある。

★【所在地】
・富山県富山市旧大山町各地区名(旧上新川郡大山町)。大糸線信
濃大町の南西24キロ。JR大糸線信濃大町駅からタクシー、高瀬
ダムから歩いて延べ11時間半で水晶岳南峰、さらに5分で北峰。
南峰には写真測量による標高点(2986m)があり、北峰には三等
三角点(2977.7m)がある。南峰(標高点)の方が北峰(三角点)
より高い。南峰から北91mに北峰がある。

★【地図】
・2万5千分の1地形図「薬師岳(高山)」

★【山行】
・某年8月19日(土・晴れ)

▼【参考文献】1152号
・『角川日本地名大辞典16・富山県』(角川書店)1991年(平成3)
・『黒部の山賊・北アルプスの怪』伊藤正一(実業之日本社)1995
年(平成7)
・「黒部の昔話」(立山黒部貫光)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・「立山の昔話」立山黒部貫光
・『富山県山名録』橋本廣ほか(桂書房)2001年(平成13)
・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎日新聞社)1997年(平成9)
・『日本歴史地名大系16・富山県の地名』(平凡社)1994年(平成
6)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)
・『日本百名山』(新潮文庫)深田久弥(新潮社)1979年(昭和54)
・『日本山岳風土記1・北アルプス』(宝文館)1960年(昭和35)

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画文
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 (主に画文著作で活動)
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