山旅通信【伝承と神話の百名山】とよだ 時

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▼1146号(百伝46)五龍岳「武田菱と遠見尾根の風切り地蔵」

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【本文】

▼【五竜岳】
 北アルプス五龍岳は標高2814m。後立山連峰を縦走するとき必
ずこの山を通ります。5匹の竜とはおっかない名前です。「やまた
のおろち」や「八大竜王」ではあるまいし、五竜とはなんだ。きり
立った崖の山は、そのまま呼べば「崖岳」です。ガケ岳がなまって
ガキになり、「餓鬼」の字を当てます。あちこちの餓鬼の字のつく
所は、たいていそんな場所。

 五竜岳もゴツゴツ岩壁でおおわれ、まさに餓鬼岳。昔は餓鬼岳と
いっていたそうで、江戸時代の享保9(1724年)、松本藩内の総合
書『信府統記』(しんぷとうき)にも餓鬼岳と載っています。でも
同じおっかない名でもこちらは「餓鬼」。ではリュウとは何だ?。
昔は立山と書いて「りゅうざん」とも読んだそうです。

▼【立山の後ろの山】
 この山は加賀藩 (石川県・富山県)側からみると、アリガタイ信
仰の山「立山」の後ろにあります。つまり後立山(ごりゅうざん)
ということになります。そんなわけから、江戸時代の古絵図に「後
立山」と書き込まれた山があり、これこそ五龍岳のことだといわれ
たことがありました。

 しかし、明治時代の登山家・木暮理太郎が、「後立山は鹿島槍ヶ
岳に非ざる乎(あらざるや)」と、自身所属の山岳会の会報で否定、
いまでは、後立山は鹿島槍ヶ岳のことをさすのが定説になっている
そうです。

▼【御菱山】
 また、尖った稜角のある山を「菱(ひし)」といいます。そこか
ら冬、雪もつかないような岩壁をヒシともいいます。この山の山
頂東面には鹿島槍ヶ岳方面へかけてG0からG7と呼ばれる岩峰群
があり、そのG2の大きな岩峰の崖には、X字形の割れ目がありま
す。ここのヒシはX字形に割れ目があるので「割りビシ」です。
その山頂は「割りビシの頭」と呼ばれていました。

 その「割りビシ」のまわりに雪が積もったりすると、菱の岩肌
だけが黒く残って目立ちます。またX字の割れ目にも雪が着くと、
「四つ割り菱」の雪形に見えます。戦国時代、ここ五龍の山ろく
も武田家の勢力下。領主サマ・武田信玄の紋章がたまたま同じ「菱」
を使った武田菱です。その上よくみると、おらが「割りビシ」も武
田菱に似た形。菱はリョウとも読み、村民のなかでは「御菱(ご
りょう)」と呼んだりしました。

▼【ゴリョウは五龍か】
 明治41年(1908)になり、三枝威之介一行が白馬岳から縦走し
てきました。この山にさしかかり、山の名を案内人に聞きました。
すると「ゴリョウ」という答えです。当時の案内人には、漢字な
ど分かりません。そこで威之介は「五龍としておこう」と記録。
三枝威之介は東京に帰り、雑誌に発表する時「五龍」と記載しま
す。

 1931年(昭和6)5月、政府が発行した5万分の1の地形図に
も「五龍岳」と載せてしまいました。しかし、地元では依然とし
て地図にある文字とは違う「餓鬼」の名を使っていました。それで
は困ります。仕方なく考え出したのが別の山に餓鬼の名前をつける
方法。それが唐松岳西方にある2128mの峰、餓鬼山だということ
です。そのほか、「五鯉鮒山」説もあるそうです。

 五龍岳には遠見尾根から登ります。大正末期ごろから白馬山麓
にスキー場がつくられはじめ、1930年(昭和5)には遠見尾根山
麓「鷹が入」にスキー場とスキー小屋が造られました(いまの白
馬五竜スキー場)。同年、国鉄大糸線が神城まで開通して、スキー
客が年々増えはじめ、次第に遠見尾根が全国に知られるようにな
ったといいます。

▼【風除け地蔵】
 遠見尾根は「タワミ」がなまったのだとも、眺めがすばらしい
ので「遠見」というのだそうです。この遠見尾根地蔵ノ頭にはケル
ンがありその中に地蔵が一体おわします。これを風切地蔵というそ
うです。このあたりは5月の田植えのころ、しばしば大風が吹いて
多くの家が被害を受け、屋根の修理に追われ田植えができなくて困
っていました。

 そのため1867年(慶応3)に、ふもとの長谷院(いまの白馬村
神城飯森にある長谷寺)の19世逸乗和尚が、風除けのために勧進
した地蔵だという。風除け地蔵ともいい、古くから山麓の住民に
親しまれ、毎年5月の大風の記念日には、飯田地区では村中農休
みにして各戸から一人ずつ登山し、この地蔵さまに詣でて、大風か
ら村を守ってもらうことを祈ったそうです。

 また小遠見山から南東の下る尾根・天狗尾根上にも天狗風切地蔵
があります。その他この周辺には風切地蔵が多く、なかでも「八方
尾根の八方池」や唐松岳北方の「天狗平天狗池ほとり」の風切地蔵
はすべて地蔵の頭にある風切地蔵と同じ1867年(慶応3)建立の
延命地蔵。その上そろって造り方や寸法です。

 また材質や手法も同じなのだそうです。「これは謎で、このこと
について語り継がれたり、記録に残っているものは何もない」と『北
アルプス白馬連峰』の著者長沢武氏は述べています。五龍岳の北側
にある白岳(しらたけ・2541m)の名は、着雪が多く山が白く見え
るところからきています。岩壁でゴツゴツした五龍岳とはなんとも
対照的です。


▼五龍岳【データ】
★【所在地】
・長野県大町市と富山県黒部市宇奈月町旧地区(旧下新川郡宇奈
月町)との境。大糸線神城駅の西8キロ。JR大糸線神城駅から
テレキャビンを利用歩いて8時間で五龍岳。写真測量による標高
点(2814m)と三等三角点(停止【亡失】)(基準点成果等閲覧サ
ービスであらわれる)がある。地形図に五龍岳の山名との標高点
の標高の記載あり。付近に何も記載なし。

★【位置】国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索
・標高点:北緯36度39分30.28秒、東経137度45分9.58秒

★【地図】
・2万5千分の1地形図「神城(高山)」と「十字峡(高山)」(2図葉
名と重なる)。


▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典20・長野県」(角川書店)1991年(平成3)
・『角川日本地名大辞典16・富山』(角川書店)1991年(平成3)
・『北アルプス白馬連峰 その歴史と民俗』長沢武(郷土出版社)1986
年(昭和61)
・『信州山岳百科1』(信濃毎日新聞社編)1983年(昭和58)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『旅と伝説」三元社(昭和17年2月号・p10)「山と地形のことば」
高橋文太郎:「民俗学資料集成29」(岩崎美術社)
・『富山県山名録』橋本廣ほか(桂書房)2001年(平成13)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎日新聞社)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)
・『日本歴史地名大系16・富山県の地名』(平凡社)1994年(平成
6)
・『山の紋章・雪形』田淵行男著(学習研究社)1981年(昭和56)
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 (主に画文著作で活動)
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