とよだ 時の山旅通信
【伝承と神話の百名山】
…………………………

▼1142号(百伝42)
四阿山「鳥居峠と猿飛佐助」

▼【本文】

▼【四阿山】
 冬のスキー、夏のラグビーのメ
ッカとして若者に人気の長野県の
菅平高原。「日本ダボス」と呼ば
れているその高原の東方、群馬県
との境に四阿山(あずまやさん)
という山があります。

 四阿山は、長野県側の根子岳か
ら四阿山、浦倉山、奇妙山などの
峰がほぼ円状に連なる四阿火山の
外輪山のひとつ。

 外輪山の内側には、直径約3.5
キロのカルデラがあり、深さ400
〜500mにも達しているといいま
す。

 カルデラ内部には硫黄鉱床があ
りますが、いまは採掘されていま
せん。四阿山は、別名を吾妻(あ
がつま)山・吾嬬山・阿豆満山・
東屋山などと書かれます。

▼【山頂のふたつの祠】
 山頂には東側を向いた上州(群
馬県)の祠(ほこら)と、南側を
向いた信州(長野県)の祠の2つ
の石祠が建っています。

 江戸時代の信州の地誌『信濃奇
勝録』(しなのきしょうろく・井
出道貞著)にも「……夫より絶頂
に至る、二祠あり」とある祠。

 上州祠は、群馬県側山ろくの今
井村(いまの嬬恋村今井)にあっ
た里宮の今宮白山権現の奥宮。一
方、信州祠は長野県側山ろくの真
田町の里宮・山家神社の奥宮で
す。

 この山家神社は、平安時代の「延
喜式」(えんぎしき)神名帳(し
んめいちょう)にも記載されてい
るというから古い。

 この山家神社は、信濃国の豪族
真田氏の信仰が厚かったといいま
す。上州の祠、信州の祠のどちら
も、北陸の白山信仰に基づく神仏
習合だったということです。

▼【祭神】
 上州祠の今宮白山権現にまつら
れる神は、日本武尊、弟橘姫(お
とたちばなひめ)、菊理姫(きく
りひめ)だそうです。

 一方、信州祠の山家神社にまつ
られる神は伊弉冉尊(いざなみの
みこと)、大己貴命(おおなむち
のみこと)、菊理姫命(きくりひ
めのみこと)。

 両方の祠にまつられている菊理
姫命(きくりひめのみこと)は、
白山比刀iしらやまひめ)と同一
の神とかで、石川県の白山に祭ら
れている女神です。

▼【伝説】
 長野県側山家神社にこんな伝説
があります。白山権現の男神が不
治の病にかかり、それを嫌った夫
人の白山比刀iしらやまひめ)が
ここまで逃げてきたというので
す。

 薄情な夫人ではあります。嫌わ
れながらも女神を追いかけてきた
のか、男神がこの地にきて地元・
草津の湯に入って癒えたという言
い伝えがあります。

▼【山名】
 四阿山の名は、四阿(あずまや
・東屋)に山の形が似ているから
といいます。四阿とは公園などに
ある、屋根だけの小さな小屋で、
よく休憩所になっています。

 先の『信濃奇勝録』にも、「山
頭は何方より見ても屋の棟の如
し、故に四阿と名(なづけ)し、
……」と記されています。

 そのほか「あずまや」の語源に
関して日本武尊が東征の帰路「吾
妻はや」といったことから名づけ
られたともいいます。これは『日
本書紀』(景行天皇四十年是歳)
条にある次の文章によるといいま
す。

 「武蔵・上野を転歴(めぐ)り
て、西(にしのかた)碓日坂(う
すひのさか)に逮(いた)ります。
時に日本武尊、毎(つね)に弟橘
姫(おとたちばなひめ)を顧(し
のび)たまふ情(みこころ)有(ま)
します。……

 ……故(かれ)碓日嶺(うすひ
のみね・碓日坂)(鳥居峠)に登
りて、東南(たつみのかた)を望
(おせ)りて三(み)たび嘆きて
曰(のたま)はく、「吾嬬はや」
とのたまふ」。とあるのがその根
拠。

 そのため群馬県側には吾妻郡が
あり、川は吾妻川、村は嬬恋村と
して残っています。また群馬県側
では、この山を「吾妻山(あがつ
まやま)」(吾嬬山)と呼んでいた
といいます。

 しかし同じく地誌『信濃宝鑑』
は、「日本武尊の吾嬬者耶と宣ひ
しはこの地なれど云へど、覚束(お
ぼつか)なし」と素っ気がありま
せん。

 また四阿山のアヅマはアヅミに
通じ、アヅミ族に関係する(『日
本山岳ルーツ大辞典』)という説
もあります。

▼【日本武尊】
 日本武尊が東征の帰路、詠嘆し
たという碓日嶺(碓日坂)は「う
すい」といっても、いまの「碓氷
峠」ではなく、四阿山頂から南へ
下ったところにある鳥居峠である
という説があります。

 この説は古くからあり『上野名
跡志』という本も武尊が「吾嬬は
や」といったのは鳥居峠だとして
います。

▼【鳥居峠】
 鳥居峠は、四阿山への登山口に
もなっていて石の鳥居が建ってい
ます。この鳥居は和銅元年(708)
建立で、峠名のもとになっていま
す。

 この峠は、武田信玄や上杉謙信
の軍勢も往き来した峠。戦国末期
から近世初頭にかけては、上野の
利根・吾妻郡を真田氏が支配した
峠。

 そして北信濃の上田城と、上野
(群馬県)の沼田城を結ぶ軍用道
路にもなりました。真田氏といえ
ば、豊臣秀吉の知将といわれた真
田幸村の家来の真田十勇士。

 なかでも忍術で有名な猿飛佐助
もこのあたりで修行したと言い伝
えられています。

▼【猿飛佐助】
 猿飛佐助は、ここ鳥居峠のふも
とに住む郷士鷲塚家に生まれで、
最初は鷲塚佐助といっていまし
た。

 いつも山の中で、猿などと遊び
暮らすうちに、甲賀流忍術の「大
名人」戸沢白雲斎に見出されます。
そして3年間ミッチリと修行に励
み、甲賀忍者の免許皆伝をもらい
ます。

 そこへたまたまこの峠にイノシ
シ狩りに来た、真田幸村に出会い
ます。佐助は幸村に自分の技を披
露。それを見て感心した幸村は、
猿飛佐助を家来にしたといいま
す。

 その名のように、佐助の猿のよ
うな軽い身のこなしから、幸村に
「猿飛」の名をもらい、猿飛佐助
幸吉(さるとびさすけゆきよし)
と名乗りました。

 佐助は幸村の側近として仕え、
神出鬼没の大活躍。諸国を巡り情
報を収集、徳川の武将とも対決し
最後は夏の陣で討死にしたことに
なっています。

 しかし猿飛佐助の存在自体、架
空説と実在説とがあるというから
困ります。

 昭和の日本史学者岡本良一は
「すでに江戸時代には、大阪庶民
の間で佐助という名前がかたりつ
がれていた」とし、司馬遼太郎も
この実在説を支持しているそうで
す。

▼【景勝地】
 真田氏の本拠・松尾城の北を流
れる角間川を遡ると湯ノ丸山と、
烏帽子山の北面が切り立った崖
が、せまってくる「角間渓谷」が
あります。

 このあたりにある「鬼ヶ城」、
「猿飛岩」、「獅子牢」、「石橋」
などと呼ばれる奇岩、巨岩は、猿
飛佐助が修行した場所とされてい
ます。

 また四阿山頂への登山道の中間
あたり、1769m地点には「的
岩」という岩があります。

 この岩は、その昔浅間山ろくで
巻き狩りを行った源頼朝が、ここ
まで来て矢を射た時、矢がその岩
を貫いたという伝説の岩です。

 ここはまた鎮西八郎為朝が矢を
射たともいうところ。的岩の一部
にデコボコしたところがあります
が、そこは鬼がにぎりめしを投げ
つけたところだともいいます。

 また、「三尺の童子」(3尺=1
m弱)という童子があらわれて、
頼朝に向かって、「鎌倉に帰れ」
などと怒鳴りながら、にぎりめし
を投げつけたあとだともいい伝え
ています。

 ここは幅が2m〜4mで、長さ
が400mにもなる岩脈。屏風の
ような不思議な景観をつくってお
り、国の天然記念物に指定されて
います。

▼【国境論争】
 このあたりには国境論争もあっ
たようです。江戸時代の享保7年
(1722)には高井郡と小県郡
の論争が、また明暦2年(165
6)以来、元禄14年までの45
年間の国境論争と、それに続く元
禄15年(1702)までの四阿
東麓のやはり国境紛争もあったそ
うです。

▼【高山植物】
 四阿山は高山植物も豊富で、春
から初夏にかけてはツツジやスズ
ラン、リンドウなどが咲き乱れま
す。

 西行法師はこの山を「かみな月
時雨はるれば東屋の峰にぞ月はむ
ねとすみける」とも詠んでいます。


▼四阿山【データ】
★【所在地】
長野県須坂市と群馬県吾妻(あが
つま)郡嬬恋(つまごい)村との
境。北陸新幹線上田駅の北東21
キロ。北陸新幹線上田駅からバス、
55分で菅平高原、さらに歩いて
4時間で四阿山。2等三角点(23
33.2m)と、写真測量による標高
点(2354m)、鳥居記号がある。

★【位置】国土地理院「電子国土
ポータルWebシステム」から
・標高点:北緯36度32分29.79秒、
東経138度24分45.06秒
・三角点:北緯36度32分33.29秒、
東経138度24分52.21秒

★【地図】
2万5千分の1地形図:四阿山。


▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典10・群馬
県』井上定幸ほか編(角川書店)
1988年(昭和63)
・『角川日本地名大辞典20・長野
県』市川健夫ほか編(角川書店)
1990年(平成2)
・『コンサイス日本山名辞典』徳
久珠雄編(三省堂)1979年(昭
和54)
・『山岳宗教史研究叢書17』「修
験道史料集1・東日本編」五来重
編(名著出版)1983年(昭和58)
・『信州山岳百科・3』(信濃毎日
新聞社編)1983年(昭和58)
・『信州百峠』井出孫六ほか監修
(郷土出版社)1995年(平成7)
・『信州百名山』清水栄一(桐原
書店)1990年(平成2)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナ
カニシヤ出版)2005年(平成17)
・『日本架空伝承人名事典』大隅
和雄ほか(平凡社)1992年(平
成4)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石
利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本三百名山』毎日新聞社編
(毎日新聞社)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか
(三省堂)2004年(平成16)
・『日本書紀』720年(養老4):
岩波文庫『日本書紀』全5巻(校
注・坂本太郎ほか)(岩波書店)
1995年(平成7)
・『日本の山1000』(山と渓谷社)
1992年(平成4)
・『日本歴史地名大系10・群馬県
の地名』尾崎喜左雄ほか(平凡社)
1987年(昭和62)
・『日本歴史地名大系20・長野県
の地名』(平凡社)1979年(昭和54)
・『名山の民俗史』高橋千劔破(河
出書房新社)2009年(平成21)


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