山旅通信【伝承と神話の百名山】とよだ 時

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▼1101号(百伝01)利尻山「ドンとドンとドンと波のり越えて」

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1134-(百伝34)火打山「ライチョウと悪賊八口と大国主」

【略文】
火打山の名は、隣の焼山の火山の火を、打ち消してほしいという
山麓農民の願いからとの説。また「越後野志」という古書の記述
説。火打ち石の石材が採掘できるとの説。山の形が火打ち石に似
ているからついたなどあり。
・新潟県妙高市と同県糸魚川市との境。

【説明本文】は下段にあります。

1134号「「ライチョウと悪賊八口と大国主」

【説明本文】
 新潟県南西部の妙高火山群は、頸城(くびき)三山、頸城山塊、
妙高山塊、頸城アルプスなどの呼び方もあるそうです。その中で
も最高峰の火打山は標高2462m。この山より北にここより高
い山はないといいます。日本有数の豪雪地域で、北東面から火打
山に突き上げる矢代川の谷底には万年雪もあるそうです。

 このあたり長野県から新潟県境の山々は古くから竜の体に例え
られており、頭に当たるのが戸隠山、胴は妙高山でシッポは火打
山(能生白山)だという。これは戸隠神社の起源が九頭竜信仰に
よることからきているのだそうです。

 そういえば登山文化史研究家の谷有二氏は『山名の不思議』の
なかで、このあたりには八口なる悪賊が大国主命(おおくにぬし
のみこと)に退治されたという伝説が残っており、悪賊八口が住
んだ山が火打山だとしています。八口とは八岐の大蛇のことで、
火打山(八口山)には硫化鉄鉱があり、金属と火と蛇が重なり出
雲の大国主勢力が、越の国の金属資源を求めて侵出してきたとい
う伝説にも一致すると説いています。

 山名は、隣の焼山火山の火を、ここで消えてもらいたいという、
ふもとの農民の願いからきたとの説や、まわりの山々とともに、
燧石(ひうちいし)をならべたような形なのでその名がついたと
の説。1815年(文化12)成立の小田島允武(松翁)著の『越
後野志』(えちごやし)という地誌にも「火打山、難波山ノ南、妙
高山ノ北ニテ両山ノ中間ニ在リ、数峰の嶮巌並ビ列ナリ宛モ燧石
(ひうちいし)ヲ並ベ立ルガ如シ、故ニ名ツクト云」とあります。
また石英の一種である火打ち石の石材が採掘できることを示す山
名との説もあります。

 昔はこの火打山を「大山」と呼び、焼山を「火打」と呼んでい
たそうです。火打山は、ふもとの妙高市関山にある関山権現社領
五山のひとつだそうで、1973年(昭和48)に山頂から鎌倉時
代の銅造の十一面観音菩薩懸仏が発掘されたという。ここも山岳
信仰の山だったのですね。いま山頂には不動尊の小さな石像が転
がっています。

 ここはライチョウの生息地の北限とか。9月、妙高山の取材後、
黒沢池ヒュッテテント場から茶臼山経由で高谷池ヒュッテにザッ
クを置かせてもらい「天狗の庭」から火打山を目指しました。山
頂が近づくにつれガスがひどくなってきます。「雷鳥平」の近くで、
ライチョウが草の実をついばんでいます。おあつらえに出てきて
くれました。

 まわりはハクサンコザクラ、ミョウコウトリカブトが満開です。
大きなノウゴウイチゴ(キイチゴ)を頬張りながら山頂に立って
は見ましたが牛乳の中にでもいるようで真っ白けです。晴れてい
れば日本海や北アルプスが一望だというのに。山頂には千葉県成
田市からきたという若4人連れの若い女性たちが一緒に写真を撮
ってくれるという。

 有り難く仲間に入れてもらいVサイン。天狗の庭まで下りてき
て振り返ると池塘群からそびえ立った火打山はかすかにガスの間
から山頂付近をのぞかせましたが、すぐまた消えてしまいました。

▼火打山【データ】
【所在地】
・新潟県妙高市(旧中頸城郡妙高高原町と妙高村)と新潟県糸魚川
市(旧糸魚川市と西頸城郡能生町)との境。信越本線関山駅の西13
キロ。JR妙高高原駅からバス笹ヶ峰から歩いて5時間10で火打山。
三等三角点(2461.8m)がある。

【位置】国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索
・三角点:北緯36度55分21.7秒、東経138度04分05.22秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「湯川内(高田)」

▼【参考文献】
・『越後野志・えちごやし』(20巻)小田島允武(松翁)著:18
15年(文化12)成立の郷土誌:「越後野志 上下巻」源川公章校
訂(歴史図書社)1974年(昭和49)
・『角川日本地名大辞典15・新潟県』田中圭一ほか篇(角川書店)
1989年(平成1)
・『山名の不思議』谷有二(平凡社)2003年(平成15)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平
成17)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成
9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)
・『日本百名山』深田久弥(新潮社)1979年(昭和54)
・『日本歴史地名大系15・新潟の地名』(平凡社)1986年(昭
和61)
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 (主に画文著作で活動)
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