▼1127-(百伝27)巻機山「牽牛織女と機織姫」
【本文】
『日本百名山』の27番目に登場する巻機山(まきはたやま)は、
新潟県と群馬県にまたがる山。新潟県魚沼地方の連山の主峰で、
山頂部は、割引岳(われめき)と、御機屋(巻機伝説の場所)、巻
機本峰、それに前巻機(ニセ巻機)、牛ヶ岳の総称だそうです。前
巻機をニセ巻機というのは、登山口の清水集落からの尾根登りの急
登に、うんざりしたころあらわれるピークに頂上だ!とぬか喜びさ
せられるところ。
まず(1)巻機山について。巻機山の山頂はなだらかな丘陵で、
高山植物と池塘がちりばめられています。とくに前巻機と御機屋の
間の鞍部にある織姫ノ池(竜王ノ池)は、豊かな水を蓄えた美しい
池で巻機姫の伝説もあるところ。高山植物は、初夏にはニッコウキ
スゲ、ハクサンコザクラ、コバイケイソウなどが見られます。
巻機山の名は、江戸時代の郷土誌『越後野志』に、「妻有(つま
り)ニ在テ信州ニ近シト。村人云、山中稀ニ美女ノ機ヲ織ルヲ見ル、
因(よっ)テ巻機ト名ヅクト云(う)」という文章からきていると
いいます。この伝説のように、巻機山は古くから機織(はたおり)
・養蚕の神として魚沼の人たちの信仰を集めました。ふもとの清水
集落には、巻機大明神の里宮があり、毎年7月22日の祭礼に、講
中による火渡りの行事が行われています。
この山の伝説のひとつです。昔、塩沢の男が巻機山で山仕事をし
ていて日が暮れ、山中をさまよっているうち1軒の家を見つけまし
た。見ると美しい娘が機織りをしていて、宿を頼むと娘はこれから
里まで案内するといいます。そのかわりに自分をおんぶして、また
決して振り向いてこちらの姿を見てはいけないといいます。男はい
われるままに、娘をおんぶして山を下りますが、自分の家が近づく
とつい油断して、横目で背中の娘を見てしまいました。と、一瞬、
娘の姿は消えてしまい、男の目は横を向いたまま元に戻らなくなっ
てしまいました……。
この伝説の類話があります。母の病気のために薬草の「黄蓮」を
摘みにきた男に、山頂で機を織る娘が、「われは巻機大明神なり」
といって、背負って村に帰り、自分をまつるよういいます。途中、
娘の姿を見てはいけないというのに、この男もつい振り返ってしま
います。すると娘はスッと消えるや竜王となって巻機山へ昇ってい
きました。(竜王ノ池の名のもとでしょうか?)。
さらに庄屋や村長がこの山で迷い、逆に機を巻いていた娘に背負
ってもらい、村まで下りてきますが、途中で目を開けてしまい、娘
は消え庄屋は盲目なってしまった、という話などがあります。
次は(2)割引岳(われめきだけ)について。この山は、地元で
は「われめき」とも「わりびき」とも呼ぶそうです。その山頂の三
角点のそばに巻機権現をまつる小さな石の祠があります。それは西
ろく登山口の、姥沢新田の巻機権現の里宮からまつられたもの。元
は神字山(かんじやま)にあったものを、さらにここに移したもの
だといいます。いま六日町駅方面の姥沢新田コースは荒廃してしま
っています。
割引岳の名は、『北越雪譜』にある「破目山」(われめきやま)
にからめて説明されています。それについて『日本百名山』の著者
深田久弥氏が、雑誌「山」1936年(昭和11)5月号にこんなこと
を書いています。「鈴木牧之編の『北越雪譜』を読んでいるとその
中に「破目山」(われめきやま)という一項があった。魚沼郡清水
村の奥にある山と書いてあるから、この破目山が割引山と聞き間
違えられたことに間違いはない。
清水の村でも、割引山とはっきり呼ぶのは、都会の登山家と地
図を按じて会談する村のインテリや山案内人だけあって、土着の
無学醇朴(じゅんぼく)な女子供たちはみなワリメキ山と発音し
てゐる。(…中略…)昔の人がこの天狗岩に破目山(われめきやま)
という名を与えたことは、至極当然なことと思われる。
ではなぜ地図では其のうしろの方の突起に割引山の名を冠した
か。僕は次のようなユーモラスな情景を想像するのである。髭は生
やしているがあまりスマァトな顔つきともいえぬ測量部員が漸く昨
日一九三〇・九米の突起に三角点を据えつけて清水へ降りてきたば
かりである。彼は満足げに煙草などふかしながら、傍の畑を耕して
いる農夫に訊く。「あの山は何というかね。」指指された方を眺めて
農夫は答える。「あれ?あれはワレメキ山でさァ。」
「なに、ワリミキ? ああワリビキか。ふん。」清水村の近辺か
ら眺めると、測量部員が尋ねた山と、農夫が答えた山とは、ちょう
ど全く重なって見えるのである。そしてここに誤謬(ごびゅう)が
生じたのだ。測量部員は早速一九三〇・九米に割引山と書きこむ。
そしてやがてそれが製版され印刷されて諸君の手に渡ったのであ
る。一旦おかみの手で割引山と決定されると、誰もそれを疑おうと
せず、今では清水の山案内でさえ地図に盲従している。
しかし本来は割引山は破目山(われめきやま)であり、そして破
目山の由来からしても当然今の天狗岩にこの名が冠せられるべきこ
とを、僕は主張したいのである。」……なるほど、いまの天狗岩を、
おっちょこちょい?の測量員が間違って、地図に割引岳と記入して
しまったというのです。一度決めたら絶対直さないのが役人ですモ
ノネ。
さらに(3)牛ヶ岳について。牛ヶ岳の山名は、江戸時代の『越
後地名考』に、「絶頂に残雪牛の字の形になりし故に牛岳というか」
とあり、雪形から来ているようです。この山には、大山祇命(おお
やまつみのみこと)(『日本書紀』の表記)の石祠があります。これ
も「巻機山由来記」にあるように、牛ヶ岳は大山祇命(おおやま
ずみのみこと)であり、巻機山は木花開耶姫(このはなさくやひめ)
とあり、納得がいきます。
この山には牛女の伝説があります。昔、ある村に背が高くて口の
きけない女がいました。世間からは「牛女」とからかわれましたが、
男の子をかわいがっていました。しかし病気が元で死んでしまいま
したが、山に牛女の雪形としてあらわれるようになりました。村人
は残された子をかわいそうに思い面倒を見ていました。
成長した子供はある年、山にあらわれている母親の忠告を無視し
て遠く南の国に行ってしまいました。その年の冬から雪形はあらわ
れなくなりました。やがて子供は金持ちになって故郷に帰ってきま
した。そしてリンゴの栽培をはじめましたが、どうしたことか、毎
年毎年リンゴに悪い虫がついて全滅してしまいます。落胆がつづく
こんな時に思い出すのは母親。
そうだ、自分は母親の魂(雪形)に冷淡だった……。それからは
心を込めて母親を供養するようになりました。するとリンゴの虫を
コウモリがみんな食べてしまうようになりました。リンゴはたくさ
ん収穫でき、幸福な身の上の農民になったということです。メデタ
シ、メデタシ……。
ところで、山名由来・伝説・神話などいろいろと出てきましたが、
その大もとと思われる文書があります。それは、この山にまつられ
ている巻機山大権現について記した「巻機山由来記」というもの。
『山岳宗教史研究叢書17』という本に、姥沢新田、持ち主・阿部
庄右衛門の記名で収納されています。ちょっと誤字が多く読みづ
らく、また長文ですが引用してみます。
「抑(そもそも)巻機山大権現ノ由来ヲ委(くわし)ク尋奉(た
ずねたてまつ)ルニ、上古神代ノ時此山ニオイテ天ノ織女星ヲ祭
(る)事アリ。又ウシロノ山ニハ牽牛星ヲ拝スルトテ是ヲ牛ガ嶽
ト申(す)也。天ノ識(織の間違い)女ハ女星ニテ機(はた)ヲ
降リ(織り?)タマフ。牽牛ハ男星ニテ牛ヲヒキ給フトナリ。…
…
……本御夫婦にて天ノ河ノ両辺在(いま)セ玉フ。七月七日夜、
鳥鵲(ちょうじゃく・カササギ)河ヲ填(はまっ)テ橋トナリ逢(い)
タマフト云(カササギが天の川で織姫と彦星を橋渡しする)。一説
ニ曰(く)、牛ガ嶽(は)大山住(スミ)ノ命(大山祇命)ナリ巻
機山ハ木ノ花開爺媛(木花開耶姫)トモ云(う)。此(の)山ノ神、
元来女體(タイ)ナル故ニ麓ヲ姥沢ト云(う)。……巻機山ハ則(ス
ナハチ)山ヲ御神ト拝シ奉ルコトニテ、御前殿ハ姥沢台上ニ宮垣
ヲシツラヒ里人爰(ここ)ニ参詣ス。…。
……扨(さて)又往昔異邦ヨリ凶賊襲ヒ来て村里ヲ暴虐(バウ
ギャク)セシカバ、人民イタク苦(くるし)ミテ此(の)御神ニ
祈誓(きせい)セシカバ、忽チ黒煙蔽(ヲヽ)ヒ、神風ヲ発シ、
賊鬼(を)吹き散(ら)シ、且(カツ)礫(こいし)ヲ以テ打平
(うちひら)ケ玉フトナリ。其(の)岩石ハ即チ南ノ原ニアリケ
ル。……。
……此所ノ者所願アリテ御山イ(へ)参詣仕ケルニ、美シキ婦
人ノ出現シ玉ヒテ、我ヲオホイ連(れ)行クヘ(べ)シ、汝カ(が)
里ヲ守ラント、去(さり)ナカ(が)ラ我ヲ復(マタ)現ルコト
ナカレトアリシニ、少ト視(み)タリケレハ(ば)、一目終(つい)
ニカスムトカヤ。是(れ)又、其(の)所ノ鎮守トナリ、竜神ト
崇(あが)メ申(す)也。……
……オホヒテ来ル者ハ失(矢?)太夫トテ宮守トナルト也。又
技芳ノ神ヒ(ママ・?)此(の)山ヨリ観(勤)請(かんじょう)
セシコトナリ。又此(の)山ニ黄連ト云(う)薬草アリテ、人ノ
病ヲ治スルコト御神ノ利生(ご利益)タルコト也。……
……サテ此(の)御神ハ悪難ヲ消(シヤウ)シ、病苦ヲ除キ、
五穀豊穣ニシテ長寿ノ嘉福(かふく)ヲ得セシメ、別シテ(とり
わけ)女人ニハ紡績織縫ノ手能ヲ得セシム、子ナキ者ハ好子ヲサ
ツケ(授け)、又安産ナラシメントノ御誓願ナリ。……」となって
います。
▼巻機山【データ】
【所在地】
・群馬県利根郡みなかみ町(旧利根郡水上町)と新潟県南魚沼市
(旧南魚沼郡塩沢町と六日町)との境、JR上越線六日町駅から
バス、清水から歩いて5時間半で御機屋さらに10分で巻機山本峰
(石が積まれているだけ)。写真測量による標高点(1967m・標石
はない)がある。
【位置】(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)
・標高点:北緯36度58分42.78秒、東経138度57分51.93秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「巻機山(高田)」
▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典15・新潟県』田中圭一ほか篇(角川書店)
1989年(平成1)
・『山岳宗教史研究叢書17』(修験道史料集1・東日本編)五来重
編(名著出版)1983年(昭和58)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『新編会津風土記』:大日本地誌大系第29『新会津風土記5』(雄
山閣)昭和45年(1970)
・『日本山岳風土記5・東北北越の山々』(宝文堂)1960年(昭和35)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎日新聞社)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本伝説大系3・南奥羽・越後』(山形・福島・新潟)大迫徳行
ほか(みずうみ書房)1982年(昭和57)
・『日本歴史地名大系15・新潟県の地名』(平凡社)1986年(昭和61)
・『北越雪譜』鈴木牧之(ワイド版岩波文庫82)岡田武松校訂(岩
波書店発行)1991年(平成3)
・『山の紋章・雪形』田淵行男著(学習研究社)1981年(昭和56)
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