▼1114号(百伝14)早池峰山「山頂の池と七不思議」
【説明本文】
東北の名山早池峰山(1914m)は、540種といわれるほどの高山
植物の宝庫。シーズンには、咲き誇る花々を一目見ようと、登山
者でにぎわいます。ここは、古くからの信仰の山で『遠野物語』
にも、清六という天狗伝説のほか、多くの伝説が取り上げられて
います。 その山頂には早池峰山神社奥宮があって「創始千百七
十年記念」と書いた碑とともに、若宮と本宮がならんでいます。ふ
もとの各地にはそれぞれ里宮があり、それぞれにいい伝えが残って
います。
そのひとつ、平安時代初期、山の西ろくの大迫町(おおはさまま
ち・いまの花巻市の大迫町を冠する各字)の田中兵衛という漁師が、
からだが真っ白で額に金星がある不思議な鹿を追ううち、いつの間
にか早池峰頂に着いてしまいました。そしてまばゆい金色の権現さ
まを感得したのです。その時たまたまいっしょにいた遠野の藤蔵と
ともに、そこに祠を建て本宮とし、それぞれの麓に神社を建てたの
がはじまりだとしています。
ここには「早池峰山中の七不思議」というのがあります。「早池
峰詣」(はやちねもうで)という文書によれば、時々、山の中で見
たり聞いたりする不思議な現象があるというのです。それは(1
:天灯が灯る、(2:竜灯、(3:お田植え場の早乙女の声が聞こ
える、(4:竜ヶ馬場の駒の声、(5:鶏頭山の鶏の声、(6:安倍
貞任(あべのさだとう)の軍勢の音、(7:河原坊の誦経(しょう
けい)の声、があります。
また「奥州南部早池峰山縁起」では、(1:早池峰山開山の時の
不思議な早池峰権現誕生。(2:早池峰山山頂の霊泉。(3:田植
場から聞こえる田植え歌。(4竜ヶ馬場の馬のいななき。(5山中
で聞くニワトリの声。(6参詣人が不信不行跡すると天気が急変し
たり道に迷ったりする。(7:信仰心のあついものには白雲が金色
に輝き、神仏の姿を見ることができるとなっています。
このうち、(1は神社の縁起では開山時、目もくらむような金色
の光明とともに神霊があらわれたというもの。(2の妙泉は、水が
甘く干ばつでも涸れずどんなに雨が降ってもあふれない。ただ、
汚い器でくむと水がなくなるが、お経を唱えれば、たちどころに
湧いてくる。その早さをとって、早池峰山の名前になっているの
だといいます。
さらに、いまの遠野市附馬牛地区東禅寺境内にある清水は、山
頂の池の水を分けてもらっているのだというのです。ある時、寺
の和尚が早池峰山に登ると、白馬があらわれたのだそうです。大
急ぎでその姿を描き写しますが、左耳を描きおわらないうちに馬
の姿が消えてしまいました。その絵をご神体にしたのが早池峰神
社境内の駒形神社。そのため、ここで出す神に奉納する「馬形」
は、いまでも左の耳がないのだといいます。
さらにまた七不思議の中の「安倍貞任の軍勢の音」については、
次のようなものだそうです。安倍貞任は平安末期陸奥国の豪族で、
奥六郡の司・安倍頼時の次男です。「前九年の役」(1051〜1062)
が起こり、父の頼時が死亡した後、抵抗軍の総大将になって源氏
方と戦いました。
そして有名な「衣川(ころもがわ)の戦い」に敗れ、北へと逃
れますが、「厨川の柵(くりやがわのさく)」で、あえなく戦死し
たと伝えられています。しかし、部下や地元民からは、「高天の如
く」と仰がれ、神として崇拝されて、あちこちに生存の伝説が残
されています。
その伝説は、ここ早池峰山とその山麓にもたくさん伝承されて
います。そのひとつ、柳田国男の『遠野物語』(六五)には、「早
池峰山は御影石の山なり。この山の小国(いまの岩手県宮古市小
国・江繋)に向きたる側に安倍ヶ城という岩あり。険しき崖の中
ほどにありて、人などはとても行き得べき処にあらず。ここには
今でも安倍貞任の母住めりと言い伝う」とあります。
そして「雨の降るべき夕方など、岩屋の扉を鎖(とざ)す音聞
ゆ」というのです。「小国、附馬牛(つきもうし・いまの遠野市附
馬牛町上附馬牛地区・同町下附馬牛地区・同町安居台地区・同東禅
寺地区)の人々は、安部ヶ城の錠の音がする、明日は雨ならんな
どという」などとあります。
また同書(六六)には、「同じ山(※早池峰山)の附馬牛(つき
もうし村)よりの登り口にもまた安部屋敷という巌窟(がんくつ)
あり。とにかく早池峰は安部貞任にゆかりのある山なり。小国より
登る山口にも八幡太郎の家来の討死にしたるを埋めたりという塚三
つばかりあり」と記述されています。
この安部ヶ城のあるところは、いまの岩手県宮古市西部(旧下
閉伊郡川井村)の山間部の山間地。少し長くなりますがもう少しご
容赦下さい。これについて、同じ柳田国男の『遠野物語拾遺』(第
一二二話)にはこんなことも書いてあります。
「このタイマグラの河内(かっち)に、巨岩でできた絶壁があっ
て、そこには昔安倍貞任の隠れ家があったといい、これが安部ヶ城
とも呼んでいた。下から眺めるとすぐ行けそうに見えるが、実は岩
がきつくて、特別の道を知らぬ者には行くことができぬ。その道を
知っている者は、小国村(いまの岩手県宮古市小国・江繋)にも某
という爺様一人しかいない。…
…土淵村(つちぶちむら・いまの遠野市土淵町土淵・同町飯豊・
同町柏崎・同町栃内・同町山口)の友蔵という男は、この爺様に連
れられて城まで行ったことがあるそうな。その時もすぐ近くに見え
ている城までなかなか行けなくて、小半日もかかってようやく行き
ついた。城の中は大石を立て並べて造った室で、貞任の使ったとい
う石の鍋(なべ)、椀(わん)、包丁や石棒があった。…
…昔は雨の降る時など、この城の門を締(※ママ)める音が遠くま
で聞こえたものだそうだが、その石の扉は先年の大暴風の時に吹き
落とされて、岩壁から五、六間(一間=六尺で約1.8m)下に倒れ
ていたという話である」とあります。
だいたい早池峰山の東側ふもとのダイマグラあたりは不思議こと
がよくあったしく、『遠野物語拾遺』(第一二一話)に、ダイマグ
ラ沢に釣りに行った男が、岩窟の蔭に見慣れぬ風俗をした赤い顔の
老人と若い娘を見たとか、谷川を挟んで石垣の畳を巡らした、人の
住居のものが何ヶ所もならんでいたという話があったといいます。
またこの話を聞いた鉄蔵も、「魚を釣りながら耳を澄ましていた
ら、つい近くで、本当に朗らかな鶏の鳴き声がはっきりと聞こえた
そうである」と、柳田國男は書いています。そして安倍貞任は、
ここを隠れ家として八幡太郎義家を悩ましたといわれます。
ここにはまた貞任が早池峰山の山頂から兜(かぶと)を投げる
と、兜は光を放って北の方に飛んだという話もあり、貞任は北に
向かって行ったという伝説もあります。またまたさらに、早池峰
山頂から少し北に下ったところには、10畳ほどの広さがある「安
倍穴」という洞窟があり、貞任が厨川(くりや)敗戦後、実は生
きていて兜明神岳を越えて、ここにたどり着き、隠れたとの言い
つたえもあります。
▼早池峰山【データ】
【所在地】
・岩手県遠野市と同県花巻市大迫町(おおはさままち)と同県宮
古市との境。JR花巻駅からバス・河原坊から3時間20分で早池
峰山。一等三角点(1913.61m)と早池峰山神社奥宮と避難小屋が
ある。
【位置】(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)
・三角点:北緯39度33分30.08秒、東経141度29分20.45秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「早池峰山(盛岡)」or「高桧山(盛岡)」。
【山行】
・某年8月3日(木・ガスのち晴れ)
▼【参考文献】
・『岩手の伝説』平野 直著(津軽書房刊)1983年(昭和58)
・『角川日本地名大辞典3・岩手県』高橋富雄ほか編(角川書店)
1985年(昭和60)
・続『神々の系図・正』川口謙二(東京美術)1983年(昭和58)
・『山岳宗教史研究叢書7』(東北霊山と修験道)月光善弘編
(名
著出版)1977年(昭和52)
・『山岳宗教史研究叢書16』(修験道の伝承文化)五木重編
(名著
出版)1981年(昭和56)
・『山岳宗教史研究叢書17』(修験道史料集T)五木重編(名著出
版)1983年(昭和58)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『図聚天狗列伝・東日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和
52)
・「定本附馬牛(つきもうし)村誌」附馬牛村(岩手県)誌編纂委
員会著(附馬牛村役場)1954年(昭和29)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・ちくま文庫「柳田国男全集4」『遠野物語』柳田国男(筑摩書店)
1989年(平成元)
・『遠野物語拾遺』:(角川文庫『遠野物語』柳田国男(角川書店)
1979年(昭和54)
・『東北の山岳信仰』岩崎敏夫(岩崎美術社)1996年(平成8)
・『日本山岳風土記5』東北北越の山々(宝文堂)1960年(昭和35)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本伝説大系2・中奥羽編』(岩手・秋田・宮城)野村純一編
(みずうみ書房)1985年(昭和60)
・『日本歴史地名大系3・岩手県の地名』(平凡社)1990年(平成2)
・「早池峰山神社社記」宮司山蔭幸三(早池峰山神社)1987年(昭和62)
・『柳田国男全集・4』柳田国男(ちくま文庫・筑摩書房)1989年(平成元)
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