伝説伝承の山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

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1074号山里を守る元三大師と中国の天狗

【説明略文】
山里の玄関に鬼のお札が貼ってあるのを見かけます。角
大師という魔除けの護符です。角大師とは元三大師のこ
とで、比叡山の座主良源のこと。慈恵大師と呼ばれたり
するエライお坊さんです。中国から日本の僧侶と力くら
べに来た天狗を、慈恵大師がコテンパにやっつけた話が
『今昔物語集』にあります。

1074号山里を守る元三大師と中国の天狗

【本文】
 山から降り林道から村里に入ります。民家の犬が突然
吠えだしました。見ると家の玄関に鬼の絵のお札が貼っ
てあります。これはなんだ?アスファルトの下り坂。足
を止めて見ていると、家の人と目が合いあわてて目礼、
駅に向かって足を早めます。


 このお札は「角大師」(つのだいし)という護符(ご
ふ)だそうです。門口に貼って魔除(まよ)けにしてい
ます。角大師には2本の角を生やし、痩せて骨と皮だけ
になったような夜叉姿と、眉毛が角のように伸びたもの
があります。


 角大師とは元三大師(がんさんだいし)のことで、比
叡山延暦寺第18代座主(ざす)良源のことらしい。天
台宗中興の祖。正式な大師号は贈られなかったそうです
が、慈恵大師(じえだいし)と呼ばれたりするエライお
坊さん。


 平安時代の寛和元年(985)正月の3日に亡くなった
ので元三大師の名で親しまれています。そのため、亡く
なった正月3日を初大師の縁日としています。数学にす
ぐれた才能を持ち、亡くなった後も伝説化していくよう
な存在です。


 鎌倉時代になると大師の木像をお寺に治めたり、魔除
けのお札にする風習も生まれました。護符には、角大師、
豆大師、厄除け大師などの様式があり、魔除けの護符に
なっています。


 平安時代の永観2年(984)のこと、疫病が流行り人
々が苦しんでいました。慈恵大師73歳のある日のこと、
疫病神が大師のところにもやってきて、「いま流行して
いる疫病に、あなたもかからなければならない順番にな
った」といいました。


 大師は「逃れられないことであれば仕方ない。この指
につけなさい」と、左手の小指を出しました。それに疫
病神が触れると、大師は高熱を発し、体中に激痛が走り
ました。大師は心を落ち着かせ瞑想、そしてその小指を
はじきました。


 すると疫病神が体から転げ出て熱が下がっていきまし
た。疫病の苦痛を体験した大師は「魔物の力はあなどり
がたい。疫病に苦しむ人々を早く救わなければ…」。


 弟子に大きな鏡を持ってこさせ、その前でまたも瞑想、
すると鏡に映る大師の姿が変わっていき、次第に骨ばか
りの恐ろしい鬼の姿になっていました。その姿を弟子の
ひとりに描き写させ、版木に彫りおこし、お札を刷り、
大師自らが開眼加持をしました。


 「これを人々に配布して、戸口にはりつければ、病魔
は近づかず、疫病はもとより一切の厄災から逃れられる」
と弟子たちに示しました。このお札を戸口に貼った家は、
だれも疫病にかからず、病気もなおったといいます。そ
れからというもの元三大師ゆかりのお寺では、この角大
師のお札を護符として、毎年正月に頒布しています。


 角大師の絵のほかに豆大師というのがあり、紙に33
体の豆粒のような大師像を表しています。豆とは「魔滅」
と同じことだという。よく見るとこの豆大師のひとつひ
とつは、左の眉毛が異様に長い。これは大師があまりに
も美男なので、宮中に参内すると女官らが騒ぐので、こ
とさらこのような姿に描いてあるのだといいます。


 この慈恵大師、ほかにも大活躍をしています。まず前
世では、役ノ行者の弟子にせがまれ、那智の滝に玉竜の
姿になって現れ、如意輪観音(にょいりんかんのん)や、
虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)の変化した姿だったと
いう話もあります。


 また後生(ごしょう・来世)では平清盛に生まれ変わ
ったり、天狗になってもいます。『今昔物語集』巻第二
十にこんな一文があります。「今ハ昔、震旦ニ強キ天宮
(天狗)有ケリ。智羅永寿(ちらようじょ)ト云フ……」。


 今は昔、震旦(しんだん・中国の古称)に智羅永寿と
いう強い天狗がいました。これが日本に渡ってきて、日
本の天狗にいいました。


 「わが国には悪行の僧が多くいるが、われらに意のま
まにならない者はいない。そこで日本の修験の僧と力比
べをしようとやってきた」。


それを聞いた日本の天狗は、比叡山に上り下りする高僧
を痛めつけるようそそのかしました。何人かの僧に失敗
し、次ぎに狙いをつけたのがナント、比叡山の座主角大
師こと慈恵大僧正。


 日本の天狗が木の陰で見ていると、やってきたのは、
左右に血気あふれる小童子が20、30人がついた慈恵僧
正の乗った輿(こし)。怪しい魔物はいないかと警戒怠
りありません。


 やがて小童子たちがヤブの中に隠れていた震旦の天狗
を見つけたからたまりません。震旦の天狗を見つけると、
そとへ引きずり出し、棒で殴ったり踏みつけりさんざん。
震旦の天狗はあやまりにあやまり、ナントカ許しもらい
ました。


 しかし腰骨を折られてヨタヨタです。震旦の天狗は、
「こんなこととは教えてもくれないで、あんな生き仏の
ような人たちに立ち向かわせるとはヒドイ…」。日本の
天狗は、グチる震旦の天狗を湯治場に連れて行き、腰を
治し震旦に送り返したということです。


 スゴイ薬効のある温泉ですネ。そのほか『宇治拾遺
物語』、『古今著聞集』、『太平記』、『天狗草子』、『平家
物語』など慈恵大僧正の法力談はたくさんあります。ま
た大師がひと畚(もっこ)の土砂を盛った塚が、大きく
成長したと伝説も残っています。


▼【参考文献】
・『宇治拾遺物語』:日本古典文学摘集『宇治拾遺物語』
校訂者正宗敦夫(日本古典全集刊行会発刊)1927年(昭
和2)
・『古今著聞集』橘成季(有朋堂書店)大正15(1926)
年:国会図書館電子デジタル
・『今昔物語集』(巻第二十第二):日本古典文学全集24
『今昔物語集3』馬淵和夫ほか校注・訳(小学館)1993
年(平成5)
・『太平記』作者不明(国民文庫刊行会)1909年(明治42)
・『日本架空伝承人名事典』大隅和雄ほか(平凡社)1992
年(平成4)
・『日本神話伝説伝承地紀行』(吉元昭治著)(勉誠出版)
2005年(平成17)
・『日本全国神話伝説道指南』吉元昭治(勉誠出版)2003
年(平成15)
・『日本大百科全書・24』(小学館)1990年(平成2)
・『日本伝奇伝説大事典』乾克己ほか編(角川書店)1990
年(平成2)
・『日本伝説大系9・南近畿』(三重・奈良・大阪・和
歌山)渡邊省吾ほか(みずうみ書房)1984年(昭和59)
・『民間信仰辞典』桜井徳太郎編(東京堂出版)1984年
(昭和59)

 

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【とよだ 時】山の伝承探査
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