伝説伝承の山旅通信【ひとり画っ展】とよだ 時

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1070号房総・二ツ山の伝説

【説明略文】
房総愛宕山の西にある二つのピークのある二ツ山。昔は、この山に
雷といっしょに落ちてくる「雷獣」があらわれたというのです。毎
年正月に「雷狩り」をして、イタチのような動物を捕まえて殺した
といます。この時たくさん駆除するとその年の夏は雷が少なかった
そうです(江戸時代の百科事典)。
・千葉県鴨川市。

1070号房総・二ツ山の伝説

【本文】
 房総で一番標高のある山は愛宕山(408m)。しかし山頂は航空
自衛隊嶺岡山基地になっており、開放された日以外は入れません。
その愛宕山の西に二つのピークのある山、その名のように「二ツ山」
というそうです。南峰に写真測量による標高点(376m)と、名主
善右衛門君遺功碑があり、北峰には金比羅神社の祠がまつられて
います。

 いま、山頂のすぐそばをゴルフ場に至る林道(林道嶺岡中央線)
が通り、近くに自衛隊の基地まである開発された山になってしまっ
ています。昔は、この山に雷といっしょに落ちてくる「雷獣」があ
らわれたというのです。

 江戸時代の百科事典『和漢三才図会』(巻第六十六)に、「二山
(ふたつやま)の雷狩」と題して、「毎正月に里では人々が群集し
て雷狩をする。鼬?(いたち)のようなものを多く獲(とら)えて
殺す。するとその夏は雷鳴が少ない。もし狩り獲(と)ることがで
きなければ雷鳴が多いと云々。いぶかしいことである」とあります。

 雷獣とは、雷が落ちたところにあらわれる生物で、形がイタチ
やテン、ハクビシン似ているといいます。なかには雷獣を捕まえ
て食ったり、見世物にした記録もあります(【ひとり画展】1069号)。

 江戸中期の国学者が書いたエッセイ『鋸屑譚』(おがくずばなし)
には、「安房国二山と名づく處あり」として、「毎年正月、2月ご
ろ村人が集まって雷猟といい、山の中を狩り出す。これをやらない
とその夏や秋に雷が多い」と同じようなことが書かれています。そ
の形イタチに似ているとあります。

 一方、明治初期の『千葉県古事志・五』(長狭郡・二山狩雷獣の
項)には、「二山は小原村の西南にあり。相伝ふ。古昔この山上に
於(い)て、年々正月、雷獣を狩獲したる由。近年まで地頭酒井氏
より雷獣狩(り)の式とて、年々正月には家臣数人来たりて此の山
に登ることありと」。そして上記の『和漢三才図会』の文を引用、
さらに「又、漢土(中国)にも、「雷州多雷獣。人捕而食之」と見
えたり」と記されています。

 ほかに明治16(1883)年以降に書かれたとされている「房総雑
記」という文書には、同じように「安房の国二山(フタツヤマ)に
於いて、毎年雷獸を蒐(か)りしこと三才図絵(『和漢三才図会』)
に見えたり」とし、つづいて「二山の名分明ならねども、恐らくは
富、御殿の二山を指すならん、…

 …如何となれば今に正月六日領主酒井候より富山に上がる例を存
す。又『安房旧跡考』に御殿山にて古昔雷獸を捕へ、これを食ひし
と見えたり」とあり、さらに、二山(フタツヤマ)は、「二ツ山」(鴨
川市)ではなく「富山」(南房総市・【画展】884号)と「御殿山」
(南房総市)のふたつの山のことだとしています。そうなると話が
違っちゃうなア。

 ちなみに欄外の注釈に、「天然曰く、二山(二ツ山のこと)は嶺
岡(山系の)最高峰にして高さ千二百三十二尺房州中清澄山に次げ
る高峰なり。天然曰く、雷獣は黄鼬(きてん)なりとの説多し」と
あり、二ツ山は嶺岡山系の最高峰で、千二百三十二尺(約373m)
あるとし(※本当は376m)、清澄山(377m)に次ぐ標高として
います。当時は愛宕山(408m)よりも二ツ山の方が高いと思われ
ていたようです。

 雷獣は黄鼬(黄色のテン)なりとの説多し、とも記しています。
『房総雑記』は続けて、「雷獸の形『五雑俎』(ござっそ・中国明
末の随筆)及び『捜神記』(そうじんき・中国4世紀ごろの志怪小
説集)等に據(よ)るに数種あり、且(かつ)此(この)獸を食せ
しこと、土佐の風土を記したるものに、海邊にて雷雨起こらんとす
るとき岩上に小獸ありて走る、…

 …土人鳥銃を以て打ち獲て食ふと、又漢土(中国)にても雷州(※
いまの中国広東省雷州市一帯)に雷獸多し、人捕へて食すと云へる
こと、唐の李肇(りちよう)の『国史補』にみえたり」とあり、唐
の本にも雷獣のことが書かれているとあります。

 さらに江戸時代中期の諸国巡遊の記録『笈埃随筆』(きゅうあい
ずいひつ)という文書にいたると、雷獣の生息地は、「房州二村山
といひ、阿波国西南由喜来岐という所とも。按ずるに、安房と云は
阿波の誤りなるべし。房州は小(さ)き国にて、左様に雷獣など住
(む)べき山なし」という(「雷獣考」(『比較民俗研究・21』)とな
ります。

 そのうえ、「これはどちらが正しいかは不明。地名も「二山」と
なっているが、同じ所とも思われる」。と書かれると、もう「どっ
ちでもいいや」という気持ちになっちゃうなあ。二ツ山の北側近く
には、結構話題になっている大山千枚田もあり、二ツ山とセットに
訪れるのもいいのではと思います。


▼二ツ山【データ】
【所在地】
・千葉県鴨川市。国道410号線の大井分岐から、さらに林道嶺岡
中央1号線(※ゴルフ場二ツ山−国道410号線)に入り、約2キロ
歩いて航空自衛隊嶺岡山分屯基地入口。さらに、東ゴルフ場方面
へ1.5キロほど行った北側の山。やぶ山でしたがいまは整備され道
標も完備されているという。南峰と北方があり、南峰に写真測量
による標高点(376m)と名主善右衛門君遺功碑が、北峰に金比羅
神社の祠がある。
【位置】
・標高点376m:北緯35度6分54.61秒、東経139度58分25.38秒
【地図】
・2万5千分1地形図名:金束

▼【参考文献】
・「安房舊跡考」:『房総叢書』(2巻)の「房総雑記」嶺田雋(せ
ん)士徳著の「房州雑記」(録六・蒐雷獸)に引用。
・『鋸屑譚』(おがくずばなし)谷川士清。(鋸屑譚2巻)デジタル
コレクション
・『笈埃随筆』(きゅうあいずいひつ)百井塘雨(ももいとうう・実
名は定雄)江戸時代中期の旅行家。諸国巡遊の記録(12冊)国立
公文書デジタルアイカーブ
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『千葉県古事志』(嶺田楓江・みねたふうこう):『房総叢書・7』
編集・紀元二千六百年記念房総叢書刊行会(発行・紀元二千六百年
記念房総叢書刊行会)1942年(昭和17)に収録
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『房総山岳志』内田栄一(論書房出版)2005年(平成17)
・「房総雑記」(楓江(ふうこう)・嶺田雋(せん)士徳著)明治16
(1883)年以降:『房総叢書2巻』(第2輯)(編集兼発行者・房総
叢書刊行会)大正3(1914)年所収
・『和漢三才図会10』(東洋文庫487)(巻第66〜巻第68)寺島良
安(島田勇雄ほか訳)(平凡社)1988年(昭和63)
・「雷獣考」(『比較民俗研究・21』)吉岡郁夫(日本民族学会会員)

 

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画文
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 (主に画文著作で活動)
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