伝説伝承の山旅通信【ひとり画ってん】とよだ 時

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1068号360余歳まで生きた仙人・武内宿祢

簡略説明
武内宿禰は、『日本書紀』や『古事記』にも記載される日本最初の
大臣です。景行朝初年(西暦71年)とも、3年(西暦73)に生ま
れともされ、仁徳天皇78年(390)に没したという。しかれば317
歳まで生きていたことになります。しかし異説も多く、『本朝神仙
伝』では360歳余、なかには380歳余りという説もあります。

1068号360余歳まで生きた仙人・武内宿祢

【本文説明】
 中国の神仙思想や道教によって想像された理想的な人間像で、不
老不死の術を修め神通力で空を飛び俗世間をはなれ、文字通り山の
中に住むといわれます。仙人の「せん」は「遷」で山に遷(うつ)
りすむ人をいうのだそうです。昔は「僊人」とも書いたそうです。

 仙人には天仙、地仙、尸解仙(しかいせん)、陸仙、水仙、新仙、
童仙、玉女、仙女などの種類があるといわれています。また日本で
は、仙人へのなり方で神仙(神)、仏仙(僧として修行を積んで仙
人になった)、尸解仙(死んだのち、屍ごとなくなり仙人になって
いた)と分けています。

 中国の仙人の本『列仙伝』や『神仙伝』にならって、日本にも『本
朝神仙伝』という本がつくられました。この本は、平安後期の1097
(承徳元)年ごろの成立で、著者は文人官僚・大江匡房(おおえの
まさふさ・1041〜1111年)だろうといわれています。

 この本にあげている仙人は、「(1)大和武尊(やまとたける)。(2)
聖徳太子。(3)武内宿禰(たけしうちのすくね)。(4)浦島太郎。
(5)役ノ行者。(6)徳一上人。(7)泰澄上人。(8)久米仙人。
(9)都藍尼(とらんに)。(10)善仲上人。(11)善算。

 (12)窺詮(きせん)法師。(13)行叡居士(ぎょうえいこじ)(14)
教待(きょうたい)和尚(15)報恩大師。(16)弘法大師。(17)慈
覚(じかく)大師。(18)陽勝仙人。(19)陽勝仙人の弟子の仙(ひ
じり)。(20)河原院の大臣(おとど)の侍。(21)藤太君(とうだ
のきみ)。(22)源太君(げんだのきみ)。

 (23)売白箸翁(白箸を売るおきな)。(24)都良香(みやこのよ
しか)。(25)河内国樹の下の僧。(26)美濃国の河の邊(ほとり)
の人。(27)出羽国石窟の仙(ひじり)。(28)大嶺(おおみね)の
僧。(29)大嶺山の仙。(30)竿打ちの仙。

 (31)伊予国長生(ちょうせい)の翁。(32)中算(ちゅうざん)
上人が童(わらべ)。(33)橘正道。(34)東寺の僧。(35)比良山の
僧。(36)愛宕護(あたご)山の僧。(37)沙門日蔵」の37仙があ
げられています。

 その『本朝神仙伝』<武内宿禰の事 第三>、つまり3番めにあげ
られているのが武内宿禰。あの『日本書紀』や『古事記』にも載る
大和朝廷初期の人で、日本最初の大臣です。「タケシウチノスクネ」
とも、「タケノウチノスクネ」とも読み、『日本書紀』では武内宿禰
と書き、『古事記』では建内宿禰と表記しています。第8代天皇と
されている孝元(こうげん)天皇の孫(『古事記』)とも、または曾
孫(ひまご・『日本書紀』)ともいわれます。

 第12代とされる景行(けいこう)天皇の在位・初年または3年
とされますから、西暦になおす(『日本書紀』による)と71年、ま
たは73年の生まれ。ただ孝元天皇、景行天皇ともそれぞれ116歳、
143歳まで生きたなど伝説からの計算の上の話なので、真偽の判断
は皆さんにおまかせします。

 この人は景行天皇から成務(せいむ)、仲哀(ちゅうあい)、神功
皇后(じんぐうこうごう)、応神(おうじん)、仁徳(にんとく)天
皇と、六朝にわたって仕えたとされからただごとではありません。

 その子孫は武内(たけのうち)氏、紀(きの)氏、巨勢(こせ)
氏、蘇我氏、波多氏、葛城(かつらぎ)氏、田中氏、林氏、平群(へ
ぐり)氏と、たくさんの氏の始祖で、その氏族は古代の有力廷臣の
半分以上を占めているとしています。

 景行天皇の時代(西暦71〜130年)になると、東国を巡察、成
務朝で初めて大臣となり、神后皇后を助けて新羅(しらぎ)征討を
行い、また皇后の命で忍熊王(おしくまのみこ・仲哀天皇の皇子)
などの反乱を鎮めたとしています。武内宿禰は仁徳天皇78年(390)
に没したとされ、それでは317歳まで生きていたことになります。
しかし異説も多く、310歳から、なかには380歳余りなどの説もあ
り、困ります。

 また「因幡国風土記」には、武内の宿祢は、難波高津宮(なにわ
のたかつのみや)(仁徳帝)55年3月、大臣武内宿禰が360余歳の
時、因幡の国(いまの鳥取県東部)亀金に下向し、双履(そうり)
(二つのくつ)のみを残して没したとあります。

 そして、「蓋(けだ)し聞く。因幡国(いなばのくに)法美郡宇
倍山(別称因幡山)のふもとに神社あり。宇部の神の社と曰ふ。こ
れ武内宿禰の御霊にます。昔、武内宿禰、東国の蝦夷(えみし)を
平らげ還(かえ)りて、宇倍山に入りてのち、果てますところを知
らず」。と結んでいます。

 宇倍神社は鳥取県岩美郡国府町(こくふちょう・いまの鳥取市)
にあり、因幡の国一の宮。創立は648(大化4)年とされています。
現在、宇倍神社本殿の裏には、武内宿禰が姿を消したとき残した双
履にちなんだその名も双履石という岩がならんでいるそうです。

 ところが、ところがですよ、武内宿禰について書かれていること
は大うそっぱちだというからガックリです。宿禰の話に出てくる天
皇の名前で、仁徳天皇以外はすべて実在しない名前だといわれちゃ
うと、ボク困っちゃうな。


▼宇倍神社【データ】
【所在地】
・鳥取県鳥取市国府町宮下(宇倍神社)。鳥取駅(JR西日本山陰本
線)から、日ノ丸バス中河原線(路線番号:80・81・82・83・84)
で「宮下」バス停下車(乗車時間20分、下車後徒歩すぐ)
【位置】
・三等三角点:北緯35度28分49秒、東経134度16分11.11秒


▼【参考文献】
・「因幡国風土記」:『風土記』(日本古典文学大系2)秋元吉郎校注
(岩波書店)1987年(昭和62)
・『古今著聞集』(ここんちょもんじゅう)橘成季著:日本古典文学
大系84『古今著聞集』永積安明ほか校注(岩波書店)1987年(昭
和62)
・『古事記』:新潮日本古典集成・27『古事記』校注・西宮一民(新
潮社版)2005年(平成17)
・『仙人の研究』知切光歳著(大陸書房)1989年(昭和64・平成1)
・『日本架空伝承人名事典』大隅和雄ほか(平凡社)1992年(平成
4)
・『日本奇談逸話伝説大事典』志村有弘ほか(勉誠社)1994年(平
成6)
・『日本書紀(二)』校注・坂本太郎ほか(岩波文庫・岩波書店)1996
年(平成8)
・『日本伝奇伝説大事典』編者・乾勝己ほか(角川書店)1990年(平
成2)
・『本朝神仙伝』大江匡房著:日本古典全書『本朝神仙伝』川口久
雄校注(朝日新聞社)1971年(昭和46)

 

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画文
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

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