伝説伝承山旅通信【ひとり画っ展】とよだ 時

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1065号山梨県道志村・鳥胸山秋葉山

簡略説明
山梨県道志村の道坂峠の隧道を抜けると目の前の道志の谷が広が
り、目に入るふたつの山。東の大きい大ムレ山(大室山)、西手前
の方がトンノムレ山(鳥ノ胸山)と書きます。大群(むれ)権現
がまつられている大室山の手前のムレという意味の「トンノムレ」
ではないかということです。
・山梨県道志村。

1065号山梨県道志村・鳥胸山秋葉山

【本文】
 山梨県道志村の道坂峠の隧道を抜けると、目の前の道志の谷が
広がり、目に入るふたつの山があります。東の大きい大ムレ山(大
室山)、西手前の方がトンノムレ山で「鳥ノ胸山」と書きます。山
頂はやや広く平らで、ブナなどに囲まれ、西側は展望もよく、富士
山・石割山から御正体山、また今倉山も望めます。別称を殿群山
というそうです。

 ここは西丹沢甲相国境尾根(山梨、神奈川の県境)にある大界
木山から、北に派生する尾根になります。江戸時代後期の甲斐国
四郡の地誌『甲斐国志』には、「高叉(※大界木山)ヨリ丑(※北
北東)ニ峯ツヾキ、殿ムレ山(※鳥ノ胸山)ト云フ峯」とあり、
殿ムレ山と書かれています。「ムレ」とは山の意味だという。

 山梨県都留市方面から道志村へ抜ける道坂峠(どうさかとうげ)
の隧道を抜けると、目の前の道志の谷が広がり、その向こうにふた
つの山が目に入ります。東の大きい大ムレ山、西手前の方がトンノ
ムレ山。東の大ムレ山は大室山で、大群権現がまつられています。
「トンノムレ」は、その手前にあるムレ。入り口にあるとの意味の
トバグチから、トバノムレがなまってトンノムレになったのではな
いかという。

 その上明治になり、お上の陸地測量部の地図つくりがはじまりま
す。その時鳥ノ胸山と当て字し、地図に記入してしまいました。そ
の結果意味不明の山になり、山の形が鳩や鳥の胸に似ているからと
の解説まで出てきました。またオトウト(弟)など年下をいう「オ
ト」から、オトノムレが「オトン」となり、オが黙音になって、ト
ンになったとも考えられるとの説もあります。山名とはなんともゴ
チャゴチャしたものですね。

 ちなみに昭和のはじめ、大森三郎(川崎吉蔵山渓社長)が、道志
村の白井差集落に一泊し、鳥ノ胸山から大界木山に登り、さらに畦
ヶ丸へ登攀したという記事を岩崎京二郎が「山渓」94号に書いて
あるらしいですが確認していません。

 鳥ノ胸山のすぐ北に秋葉山があります。「あきやさん」と読むそ
うで、『甲斐国志』に、「殿ムレ山(※鳥ノ胸山)ト云フ峯ヨリ二町
(218m)許(※ばか)リ北ニ聳エタル孤峰アリ、城山ト云フ」と
あり、かつては秋葉山を城山といっていたらしい。烽火台のような
ものでもあったのでしょうか。

 さて、その秋葉山のふもと、神地集落に伝わる伝説です。集落か
ら都留市方向の道坂峠(どうさかとうげ)へのびる神地沢。それが
つまった地点に、「御墓の沢」という小さな枝沢があります。かつ
てここには小さな石祠が建てられてありました。

 鎌倉−南北朝時代、足利尊氏と対立した護良親王(もりながしん
のう)が、足利幕府に捕らえられ、鎌倉で殺害されます。その首級
を秘密にたずさえてきた親王の愛妾・雛鶴姫は、ここまで逃げてく
ると疲労のため、息絶えてしまったという。

 村人は哀れみ、近くの「棺場の沢」に生えている木を切って棺を
造り、姫の亡きがらを葬りました。そののちに、祠を建てて毎年3
月15日に祭りを行っていたという。しかし大正9(1920)年の洪
水で、祠は押し流されてしまったということです。

 そもそも護良親王とは、第96代とされる後醍醐天皇の皇子大塔
宮護良親王(おおとうのみやもりながしんのう)のことだそうです。
鎌倉時代の1333年(元弘3/正慶2)、建武中興(けんむのちゅう
こう)と呼ばれる変革が起こります。

 建武の中興とは、「建武の新政」ともいい、後醍醐天皇が鎌倉幕
府を倒して京都に帰還、天皇親政を復活。翌年建武と改元して公家
一統の政治を図りますが、足利尊氏?(あしかがたかうじ)?の離反に
あい、2年半で崩壊、天皇は吉野に移って南北朝時代となった事件。

 その直後、大塔宮護良親王は、父後醍醐天皇とともに、時の幕府
と対立したため、足利直義(ただよし)に捕らえられ、建武2年(1335)
鎌倉の牢で首をはねられた悲運の皇子です。殺された親王は殺害し
た渕部義博を、もの凄い形相でにらみつけながら死んでいったとい
う。

 その恐ろしい親王の形相に渕部義博は恐れおののき、親王の首級
を足利直義に差し出すのを忘れ、牢の近くの竹ヤブに捨てて逃げた
という。たまたまこれを知った雛鶴姫が、数人の縦者とともにその
首級を探し出し、鎌倉から逃れ京都を目指しました。その途中、神
奈川県相模原市(旧津久井郡津久井町)から、ここ道志村へやって
きて果てたたというのです。

 その後姫は、甲州秋山に入り桜井の裏山にある王沢で一休み、古
福志の四ッ堂に7日間逗留し、その後神野沼田から王野入屋敷を通
り、山梨県上野原市(旧南都留郡秋山村)無生野集落でなくなった
という説もあります。

▼秋葉山(あきやさん)【データ】
【所在地】
・山梨県道志村。中央本線鳥沢駅の南12キロ。富士急富士吉田駅
からバス神地橋下車。1時間で秋葉山。標高点887mがある。
【位置】
・標高点:北緯35度30分29.96秒、東経139度00分23.16秒
【地図】
・2万5千分の1地形図:大室山。

▼鳥ノ胸山【データ】
【所在地】
・山梨県道志村。中央本線鳥沢駅の南12キロ。富士急富士吉田駅
からバス中山下車。2時間で鳥ノ胸山。三等三角点(1207.50m)
がある。
【位置】
・三角点:北緯35度29分55.34秒、東経139度00分23.73秒
【地図】
・2万5千分の1地形図:中川。


▼【参考文献】
・『甲斐国志』(松平定能(まさ)編集)1814(文化11年):(「大日
本地誌大系」(雄山閣)1973年(昭和48)
・『角川日本地名大辞典19・山梨』竹内理三編(角川書店)1991
年(平成3
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『尊仏2号』栗原祥・山田邦昭ほか(さがみの会)1989年(平成
元)
・『丹沢記』吉田喜久治(岳(ヌプリ)書房)1983年(昭和58)
・『道志七里』伊藤堅吉(山梨県道志村役場)1953年(昭和28)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)

 

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画文
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

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