山の伝承伝説に遊ぶ
山旅通信
【ひとり画ってん】とよだ 時

……………………………………

1053号丹沢表尾根・木ノ又大日、新大日

【略文】
行者たちが峰入り修行をする時、修験者たちの本尊とされる大日如
来をこの新大日か、となりの木ノ又大日にまつったらしい。考える
にそれは、最初に木ノ又大日にまつり、あとでここ新大日に同じ如
来をまつったのではないかといわれています。
・秦野市と清川村との境。

1053号丹沢表尾根・木ノ又大日、新大日

【本文】
 修験者たちの本尊とされる大日如来の「大日」は、あちこちの山
の名前になっています。北アルプス立山連峰の剣御前から西に派生
する大日尾根にある西から奥大日岳、中大日岳、前大日岳。東北飯
豊連峰にも最高峰の大日岳があり、その西に西大日岳がそびえてい
ます。

 『日本山名事典』を開くと、大日のつく山・岳・峠をふくめると30
ヶ所を超えています。そのほか、なんとか大日や、大日なんとか(原
や平)など入れたらいくつになるでしょうか。ここ丹沢の表尾根に
も行者ヶ岳と塔ノ岳の間に、木ノ又大日・新大日がならんでいます。

 新大日は、東側の札掛地区方面からのびてくる長尾尾根と、表尾
根の接点にもなる場所。標高1340m。この山の北側からは、大日
沢が発し、オバケ沢と合流し、本谷川となって中津川に注いでいま
す。南側は水無川の源流になります。頂上には小屋があって、その
前のベンチで腰をかけて休む登山者も多い。いまからもうひと山、
木ノ又大日を越えて塔ノ岳に至ろうとする所です。

 ところで日向修験は、大山を行場とした丹沢の修験のひとつです。
その日向修験が、丹沢山中の入峰(にゅうぶ)修行をする時の作法
を記した、『峰中記略控』(ぶちゅうきりゃくひかえ)という文書が
あります。宝城坊現蔵の江戸時代末期のものと見られるものだそう
です。

 それには表尾根の修業場での様子が書かれています。「三月廿五
日ヨリ山入(※やまにはいる)、札所薬師末社(※に)札納(※ふ
だをおさめ)、ニノ宿湯尾権現、夫(※それ)ヨリ地蔵観音ノ峰、
木立暫ク行ヲ山ノ神有(※あり)、是(※ここ)ニ札納(※ふだを
おさめ)、法楽(経を読誦(どくじゅ)したり、楽を奏し舞をまった
りして神仏を楽しませること)致シ、尤モ(※而モ?)是ニ八菅山
モ札納(※おさめる)、…

 …是ヨリ石尊迄ハ八菅山・日向山ト同行所也、八菅山ハ是ヨリ里
人出ル也、日向山ハ是ヨリ奥ガケ行所、石尊大天狗・小天狗江札納
(※め)、夫ヨリ閼伽(※あか)ノ水(※仏に手向ける水)有(※
り)、是ヨリ丹沢問答口(※門戸口)江(へ)出、山王権現札納、
此所迄ハ里人送リ、是ヨリ別レ行人計リ(※ばかり)山江入、小家
ヲカラケ(ママ)一宿ス、雨具其外ハ一切ナシ、一重物一枚也、

 …是ヨリ立出鴈ケ尾(※雁の異体字・烏ケ尾)ト云(う)山ニ上
リ三リ程也、是迄鴈(雁)二羽(2羽)ニ而送候故鴈ケ尾也、此(の)
山(烏尾山)上ニ蔵王権現石仏有(り)、是ニ札(を)納(め)、法
楽致シ、夫ヨリ向ノ向峰ニ移リ、スヾノ(スズタケの)中ヲ暫ク行
(く)、…

 …前尊仏云(う)所ニ出(る)、札納、是ニ一宿致シ、是ヨリ西
ノ方ヨリ北ニ行、大キナル岩ノ上ニ役ノ行者有、爰(ここ)ニ(※
行者ヶ岳)札納、法楽致シ、是ヨリ左ニ付下ルト新客ノゾキノ岩有、
是ニ新客ノ腰ヱ縄ヲ付シセル也、…」とつづきます。

 その木ノ又大日の項は、「…夫(※それ・行者ヶ岳)ヨリカヤノ
ヲ上リ大日尊有(り)、(※そこに)札納、是ヨリ峰ニ登ルト塔ノ峰
也(※塔ノ岳)、此所ニ弥陀・薬師ノ塔有、大ナル平地也、富士山
ハスグ西ノ方也、是ヨリ北ヱ行(と)黒尊仏岩石有、是ヨリ登リ龍
ガ馬場也、……」とあります。

 この記述から、修験者たちの本尊である大日如来が、この新大日
か、またはとなりの木ノ又大日にまつってあったらしい。最初に、
いまの木ノ又大日の大きなブナの木に大日如来をまつり、そのあと
で新大日に同じ如来をまつったのではないか。そのためこの山頂に
は「新」の文字をつけたのだろうとされています。このあたりには、
ブナやヒノキの樹林や、ミツバツツジ、ゴヨウツツジ、ウリハタカ
エデやイタヤカエデなどもみられます。

 ちなみに密教の大日如来は、「毘盧庶那(びるしゃな)如来」と
もいいます。ふつうは毘盧遮那如来と書くそうですが、密教の場合
は「庶」の字を当てるとか。大日とはもともと「偉大な輝くもの」
を意味し、もとは太陽の光照のことでしたが、のち、宇宙の根本仏
の呼称となったものという。

 この如来だけが、如来でありながら特別に菩薩の形をしています。
それは宇宙を神格化したものと考える密教の教理からきたものだと
か。仏の慈悲と智慧の面から胎蔵界・金剛界が説かれているそうで
す。

 そのため印を結ぶ手の形がふたつあり、座禅の時にする法界常印
(禅常印・ぜんじょういん)の形をする胎蔵界。それに忍術を使う
時のようなかたちの智拳印(ちけんいん)の金剛界とがあるという。
つまり本尊の大本みたいなことでしょうか。こんなことを書いてい
ながら、もうとてもついて行けなくなってしまいました。

 さて、現実にもどります。このあたりの地図を見て気になるのは、
新大日を源に発する大日沢が合流する「オバケ沢」の名前です。こ
れには次のような話が残っています。明治30年(1897)のころ、
地元の猟師前川京太郎が獲物を求め、札掛地区の近くから塩水川出
合から左へ入り、小さい沢をさかのぼっていきました。

 お上から山林討伐見張り役を任されているこの猟師も、ふだんは
あまり行かないところでした。前方の岩場に若い娘がたたずんで、
こちらをボンヤリ見ているのを見つけました。娘はなかなかの美人
でしたが、髪は乱れ、おまけにはだしでした。

 娘に近づいて、何回も話しかけてみましたが、黙ったきり返事も
しません。「女ひとりでこんな場所にいてはいけない」。猟師は困っ
た末、「あした迎えに来るからここから動かないように」といって、
ひとまず下山したという。

 次の朝早く、来てみると娘の姿がありません。大きな声で呼びま
したが帰ってくるのはこだまだけでした。さすがの猟師も薄気味悪
くなり、不本意にも帰ってしまったのです。それでも家に帰ると娘
のことが気にかかりだし、その日の夕方、地元の警察・大磯警察署
秦野分署に届け出ました。

 分署で調べたところ、足柄上郡井ノ口村のお寺の娘さんが10日
ほど前に家出、住職が捜索願を出そうとしているところだったこと
が判明。家出の原因は、まとまりかけた縁談がある人の中傷でこわ
れてしまい、それを悲観してのことらしいとのこと。娘の家族は、
村の青年会や檀家の人たちに頼み、猟師が見かけた山の付近を捜索
して貰うことになりました。

 発見者の猟師の前川さんの案内で、3日ほど捜しまわりましたが
とうとう見つかりませんでした。当時、このあたりにはオオカミが
群れをつくっていたという。そんなことから結局、娘はオオカミに
食われてしまったのだろうといういうことになってしまいました。

 そんな時、心ない村人のひとりが、はだしで髪をふり乱した娘の
姿を「オバケ」のようだったなどといいだしたのか、この沢を「オ
バケ沢」とか、「オバケの沢」と呼ぶようになってしまったという
ことです。なんともすっきりしない話です。



▼新大日【データ】
【所在地】
・秦野市と愛甲郡清川村との境。小田急小田原線秦野駅の北北西10
キロ。小田急渋沢駅からバス大倉下車、約4時間15分で新大日山
頂。標高1340m。
【位置】
・新大日岳:北緯35度27分1.15秒、東経139度10分32.11秒
【地図】
・2万5千分1地形図名:2万5千分の1地形図:大山

▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典14・神奈川県』伊倉退蔵ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・『神奈川県史』(各論編5・民俗)神奈川県企画調査部県史編集室
(神奈川県)1977年(昭和52)
・『かながわの山』植木知司(神奈川合同出版)1981年(昭和56)
・『修験道の本』(学研)1993年(平成5)
・「尊仏2号」栗原祥・山田邦昭ほか(さがみの会)1989年(平成
元)
・『神奈川県史』(各論編5・民俗)神奈川県企画調査部県史編集室
(神奈川県)1977年(昭和52)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本大百科全書・14』(小学館)1987年(昭和62)ほか。
・『仏教の知識百科』ひろちさや監修(主婦と生活社)1986年(昭和
61)

 

……………………………………

 

【とよだ 時】 山と田園風物漫画文
……………………………………
 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

山旅通信【ひとり画っ展】題名一覧へ戻る
………………………………………………………………………………………………
「峠と花と地蔵さんと…」トップページ
【戻る】