山の伝説伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

▼128号 大菩薩・峠と連嶺と日川尾根の伝説

源頼朝に討たれた木曽義仲の家来である岩竹源次郎は、わずかな仲間
をつれ、大菩薩の南方牛奥ノ雁ヶ腹摺山の山麓牛奥地区に逃げ込みまし
た。しかし、近くの源次郎岳に追いつめられ自刃しました。その時、
自分の腹わたを相手の顔に投げつけたというから昔の人はスッゴイ
ねエ。
・山梨県甲州市

▼128号「大菩薩・峠と連嶺と日川尾根の伝説」

【本文】
 山梨県の大菩薩峠は「大菩薩峠」という同名の小説でも有名です。
この峠は、その昔、甲斐源氏の祖、新羅三郎義光(源義光)が奥州
攻めの際この峠を越えようとして道に迷ってしまったという。江戸
時代の地誌『甲斐国志』山川部にこんなことが出ています。

 「嶺(タウゲ)を大菩薩ト云(フ)、州人ノ口碑ニ新羅三郎(※
源義光、館三郎とも)奥州ヲ征スル時、此(ノ)路ニ由シガ山中草
木繁茂シテ道弁ジ難シ、時ニ樵者ノ馬ヲ牽(ヒク)アリ、来(リ)
テ為(メ)ニ郷導(※きょうどう)シ、嶺上ニ達シテ忽然トシテ其
(ノ)所在ヲ失ス、義光遙(カ)ニ西顧シテ笛吹川ノ辺(り)ヲ臨
眺スレバ、八旒(※りゅう)ノ白旗風二飄(※ひるが)ヘルヲ見ル、
即(チ)軍神擁護ノ験ナリトテ遙(か)遙拝シテ、於戲(アア)(※
戲は戯の本字)八幡大菩薩ト高声ニ讃嘆ス、是(レ)ヨリ遂ニ嶺(ノ)
名トナルト云フ」。

 つまり、義光がこの峠で道に迷ってしまった時、木こりが現れて
道を案内したのち、コツゼンと姿を消しました。ア然とたたずむ義
光、ふと見ると、笛吹川にひるがえる八流の白旗。

 「おお、南無八幡大菩薩、あの木こりは軍神であったか」と叫び
以後それを略して大菩薩峠と呼ぶようになったというのです。また、
地名伝説にはこのほか、ここに萩原地区の神戸神社(正観音菩薩が
ある)の奥の院があったからとか、以前妙見菩薩がまつられていた
からとの説もあります。

 さて、大菩薩嶺から南に向かい、日川ををはさんでふたつの尾根
が長く伸びています。南に向かい左の尾根は大菩薩連嶺で、右側の
尾根を日川尾根というそうです。その日川尾根の途中に源次郎岳
(1477m)があります。

 源次郎とは鎌倉時代の武将の名。岩竹源次郎といい、木曾義仲の
家臣(義仲の乳母父である中原兼遠の従臣)。木曾義仲の京での振
る舞いに腹を立てた源頼朝は、九郎義経に義仲を討つよう命じ、元
暦元年(1184)、義仲は敗死。その報を受けた岩竹源次郎は追っ手
の来襲をおそれ、城主の三郎君とわずかな仲間をつれ、甲州、牛奥
東組に逃げ込みました。

 しかし、頼朝の残党狩りはきびしくついに近くの源次郎岳に追い
つめられ、山頂の南西にある枡岩(ますいわ・畳岩)と呼ばれる岩
の上で自刃したといいます。その時、自分の腹わたを討っ手の顔に
投げつけたという。ムカシの人はスッゴイねエ。

▼源次郎岳【データ】
【所在地】
・山梨県甲州市塩山(旧同県塩山市)。JR本線塩山駅の東6キロ。
JR中央本線甲斐大和駅から歩いて3時間15分で嵯峨鹽温泉。さら
に1時間で嵯峨塩深沢林道、さらに歩いて1時間20分で源次郎岳。
【地図】
・2万5千分の1地形図「大菩薩峠(甲府)」


▼【参考文献】
・「エリアマップ・山と高原地図・23」(塚田正信著)昭文社(昭和56
年版)
・『甲斐国志』第2巻(大日本地誌大系45)校訂・佐藤八郎、佐藤
森三(雄山閣)1982年(昭和57)
・『角川日本地名大辞典19・山梨』(角川書店)1991年(平成3)
・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎日新聞社)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本歴史地名大系19・山梨』(平凡社)1995年(平成7)
・『名山の日本史』高橋千劔破(ちはや)(河出書房新社)2004年
(平成16)

山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

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