山の伝承伝説に遊ぶ
山旅通信
【ひとり画ってん】とよだ 時

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1040号山でおなじみ日本武尊は仙人

【略文】
日本武尊も仙人だそうです。「記紀」にも記載、『本朝神仙伝』では日本
の37仙のトップに選出。武尊が東征の際、立ち寄った山は多い。奥秩
父の雁坂峠で道に迷っていたところ、白いオオカミが三峰神社まで案内
してくれたという。そこでオオカミは「お犬さま」とあがめられ、秩父周辺で
はオオカミの狛犬がまつられています。

1040号山でおなじみ日本武尊は仙人


【本文】

 日本武尊(やまとたけるのみこと)も神としてまつられています。『日本

書紀』や『古事記』に、また『風土記』(とくに『常陸国風土記』に詳しい)な

どに伝承される仙人です。日本の37人の仙人を選び出している平安後

期の本『本朝神仙伝』ではトップに選び出されています。



 日本武尊が、第12代天皇とされている父の景行天皇(けいこう)の命

で、西方の賊の平定を果たして帰国すると、こんどは東方「十二の国」の

荒ぶる神や従わぬ地方の王族の征討(蝦夷東征)を命じられます。「十

二の国」とは、伊勢、尾張、参河、遠江、駿河、甲斐、伊豆、相模、武蔵、

総(安房・上総・下総)、常陸、陸奥をいうのだそうです。



 まず伊勢神宮に参拝した日本武尊は、早速蝦夷東征に出発するので

した。この東征で日本武尊が立ち寄った山は多い。奥秩父の雁坂峠で

道に迷っていたところに白いオオカミがあらわれ、いまの三峰神社の場

所まで案内してくれたという。このことにちなみ、オオカミは神の眷属とし

て「お犬さま」とあがめられ、秩父周辺ではオオカミの狛犬がまつられてい

ます。



 各地で活躍した武尊一行は、相模の国(神奈川県)に入り、丹沢大山

に行こうとしますが、山中で途中で飲み水がなくなり、兵士たちもすっかり

弱ってしまいます。そこで武尊はそばにあった岩を踏みつけました。する

と岩についた足跡から水がわき出て、一行は助かったという。その足跡が

丹沢表尾根、二ノ塔南ろくにいまでも残っています。このようにして、相模

国から浦賀水道を渡り、房総半島の鹿野山めざして北上します。



 房総の鹿野山にはこんな話が伝わっています。昔、房総の高殿に住

んでいた国王の阿久留王は、巨人ダイダラボウを国神とし、平和

に暮らしていました。ある時、相武(さがむ)の国から逃れてき

た国造が、「大和がわが国を襲った。強大な大和国は、まつろわぬ

国々を次々と国を奪い人々を殺している」といいました。「なぜ安

らかな国々を侵すのか」。「わからぬ…」。やがて大和武尊の軍船が

上総へ上陸し、家々を焼きながら進んできます。



 阿久留王たちは必死に抵抗しましたが、強大な大和の軍勢は執

ように攻め続け、とうとう鹿野山の国王一族を討ち取り、ついに

この国も治めてしまったということです。その時の残虐さはいま

でも伝説として残り、討たれた王は鬼とされて鹿野山周辺に伝え

られています。文字通り「勝てば官軍」なのですね。



 日本武尊の軍隊は、さらに茨城県筑波山から秩父両神山を経て上州

武尊山(2518m)に向かいます。この山でも武尊の伝説は展開します。

この山頂、沖武尊近くの川場武尊や前武尊にも日本武尊の像がありま

す。上州武尊山を含んだ群馬県利根郡には16もの武尊神社があり、す

べて日本武尊を祭神としています。昔、武尊山に悪者がはびこり、村人

を困らせていることを聞いた日本武尊が討伐に出向きます。形勢不利と

みた悪者の首領夫人は土出に逃げようと、山麓片品村の花咲集落に下

りましたがそこで息絶えます。その首領夫人の霊魂により石に花が咲い

たと伝える「花咲石明神」が、いまでも花咲集落中心部にあります。



 また、武尊沢にある裏見ノ滝は「怨みノ滝」の意味で、尊がこの山に陣

を敷いたとき、妻が産気づき、看護の甲斐なく母子ともに亡くなってしま

いました。尊は悲しみ、裏見ノ滝で身を清めようとしたところ、滝の音が急

に大きくなり妖気がただよいだしたという。これは妻の怨みのあらわれと

みた尊はよりあつくとむらったと伝えています。



 こうして東北まで平定し、尾張にもどった武尊は、近江の伊吹山に悪

神がいると聞き、草薙剣(くさなぎのつるぎ)を美夜受比売(みやずひめ)

にあずけ、素手で立ち向かいました。しかし、たちまち山の神の化身であ

る大蛇の妖気当たり(伊吹山の神の降らす氷雨に惑わされたとの説も)、

意識を失ってしまいました。居寤清泉(いさめのしみず)(醒ヶ井)でいっ

たん回復したのち、たぎ野、杖衝坂と、杖を突きながら進むにつれ疲労

は増して、三重に着いたときは足が「三重」に折れるような状態だったと

いう。



 そして能褒野(のぼの)(鈴鹿市)に着き、大和の国をしのんで「思国歌

(くにしのびうた)」を詠んで息絶えたと伝えています。その後白鳥になっ

て奈良を目指して飛び去ったという。伊吹山頂には、ユニークな四等身

くらいの日本武尊の石像がまつられています。



 この白鳥が遠く千葉県の鹿野山に飛んできたという伝説もあり、鹿野

山の一峰・白鳥峰肩には日本武尊をまつる白鳥神社があり、境内に浦

賀水道で入水した弟橘姫(おとたちばなひめ)の祠もあります。



 そのほか日本武尊にちなんだ山々は思いついただけでも、自分の妻

が恋しくなって「吾妻よ」といったことに由来するとの説もある東北吾妻

山、群馬県と長野県境の四阿山、茨城県加波山、筑波山から八日間か

けて到着したとされる両神山、秩父の宝登山、武尊が武具・甲(かぶと)

をまつったとされる武甲山、塔ノ岳、富士山、恵那山神坂峠、奥多摩御

岳山など数知れず。また各地に日本武尊をまつる神社が散在するのは

ご存じのとおりです。



▼【参考文献】
・『古事記』:新潮日本古典集成・27『古事記』校注・西宮一民(新潮社
版)2005年(平成17)
・『仙人の研究』知切光歳著(大陸書房)1989年(昭和64・平成1)
・『日本全国神話伝説道指南」吉元昭治(勉誠出版)
・『日本架空伝承人名事典』大隅和雄ほか(平凡社)1992年(平成4)
・『日本伝奇伝説大事典』編者・乾勝己ほか(角川書店)1990年(平成2)
・『日本書紀』巻第七:岩波文庫『日本書紀(二)』校注・坂本太郎ほか(岩
波書店)1996年(平成8)
・『日本伝説大系』(4・5)(みずうみ書房)1986年(昭和61)
・『本朝神仙伝』大江匡房著(日本古典全書・古本説話集 川口久雄・
校注)(朝日新聞社)1971年(昭和46)

 

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画文
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

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