山の伝承伝説に遊ぶ
山旅通信
【ひとり画ってん】とよだ 時

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▼1017号和歌山県高野山・奥ノ院の天狗サン高林坊」

【簡略文】
弘法大師空海が開山した霊地・高野山。その奥の院裏山には護法
天狗高林坊がいることになっています。もともと高野山には山神
や地主神、天狗たちが、参拝者たちを守るためにすんでいたらし
い。その総帥がこの天狗。天狗になる前は弘法大師空海を山上に
導いた狩場明神ではないかとの説もあります。
・和歌山県高野町

(本文は下記にあります)

1017号「和歌山県高野山・奥ノ院の天狗サン高林坊」

【本文】

 弘法大師空海が開創した和歌山県の高野山は、真言宗の根本道場
として、総本山金剛峰寺(こんごうぶじ)を中心に18平方キロmの聖地が
広がっています。

 その山々や谷々には、それぞれ護法の山神や地主神・天狗たちが、
参拝者たちを守るためにいたらしいといいます。それは天狗山、天狗
木、天狗岩などが多いことから知られます。それをとりまとめているのが
高野山高林坊という大天狗です。

 この天狗は、残る言い伝えも少なく地味ではありますがその貫禄から、
高野山の天狗たちの総帥であろうとされています。さらには弘法大師空
海を山上に導いたその土地の地主神・狩場明神(かりばみょうじん)では
ないかと、天狗の研究家はいっています。

 狩場明神は、丹生明神(にゅうみょうじん)を母とする御子神(みこが
み)だといい、両神はいっしょにまつられていることが多い。ここ奈良県五
條市のJR和歌山線大和二見駅南西にある犬飼山転法輪寺(てんぽうり
んじ)は、弘法大師と狩場明神が出会ったところとされていて、境内には
狩場明神社がまつられています。

 伝説によると弘法大師ははじめ、唐の国に留学していましたが、日本
に帰るため船に乗るとき、持っていた三鈷杵(さんこしょ)(天台宗・真言
宗・禅宗で用いられる法具「金剛杵」の中で、爪のような部分が3つあるも
の)を海の中に投げ込んだという。

 大師は、密教が日本に渡れるならばこの杵を先に渡すから、布教をす
る所としてふさわしい霊地を見つけておいてくれるよう願いをこめていた
のです。815年(弘仁6)(『今昔物語集』では816年・弘仁7になってい
る)。

 狩場明神と出会った弘法大師は、明神の使者である黒白2匹の犬の
案内で、かつて海に放った三鈷杵のあるところ・高野山にたどり着くこと
ができたという。その黒白2匹の犬は、こま犬として鳥居のそばに建立さ
れ、また金剛峰寺や京都東寺には犬を連れた明神の画像も収蔵されて
います。

 『今昔物語集』(巻十一第二十五)に、「……、『我ガ唐ニシテ擲ゲシ所
ノ三鈷落タラム所ヲ尋ム』ト思テ、弘仁七年トイウ年ノ六月ニ、王城ヲ出テ
尋ヌルニ、大和ノ国宇智ノ郡ニ至リテ一人ノ猟ノ人ニ会イヌ。其形、面赤
クシテ長(たけ)八尺許リ也。青キ色ノ小袖ヲ着セリ、骨高ク筋太シ。弓箭
ヲ以テ身帯セリ。大小ノ黒キ犬ヲ具セリ」。

 つまり、「自分が唐にいるとき投げた三鈷の落ちた場所をさがそう」と思
い、弘仁7年という年の6月に都を出て捜し求めているうち、大和の国宇
智郡(うちのこおり)まで来てひとりの猟師に出会いました。

 その姿を見ると、顔赤く背丈は八尺ほどで、青い小袖を着ており、筋
骨たくましい。身には弓矢を帯び、大小2匹の黒い犬を連れている。とあ
ります。

 連れていたのは黒い大小の犬になっています。ほかの本でも説明と
図版で違っていたりかなり混乱が生じています。しかし、それはソレ、遠
〜い昔のこと。あまり気にしないでいきたいものです。さらに『今昔物語
集』は続きます。

 弘法大師が、かつて投げた三鈷杵のあるところを探しているのを知る
と、漁師はそこを知っているという。早速猟師の案内で紀州堺の紀ノ川の
ほとりに来ると、またひとりの山人に出会います。大師はまた杵のことを尋
ねると「ここから南の山中に盆地がある。杵はそこにある」とのこと。

 翌朝3人で歩きながら話すには、「実は自分はその山の主であるが、
今日から領地は全部師に奉ります」という。しばらく行くと、大きな杉の股
に彼の杵が突き刺さっていました。

 大師は、こここそ心にかなった霊地と知り、山人に名を聞くと「丹生の
明神と申す。また猟師は高野の明神でござると」いうなり、ふたりの姿は
消えたという。

 また、江戸時代初期の儒学者である林羅山の『本朝神社考』では狩場
明神の母である丹生明神が罪を負って高野山の山奥にに幽閉されてい
る形になっています。平安時代はじめの816年(弘仁(こうにん)7)、空海
が霊地を探して高野に登って歩いていくうち、深い森林の中で迷ってし
まいました。

その時一人の姫神があらわれて、「われは山神である。昔、生き物を殺
生しすぎた罪を背負い、こんな山奥に隠れている。もとの神になりたいの
だが、成仏させてくれる人があらわれなかった」と話しはじめました。

「いま、尊師がここへ来られたのは願ってもない幸い。この山の数百里
四方を尊師に寄付して罪を償いたい」といって大師を盆地の平らなとこ
ろへ案内しました。

そこには弘法大師が唐の国で投げた三鈷杵が、目の前の松にかかっ
てありました(『今昔物語集』では桧(ひのき)になっている)。そこで神女
の言葉が真実であることを知り、そこに金剛峰寺を建てたという。その神
女が丹生明神であるといっています。

ところで、高野山高林坊の真の姿は何か。この『今昔物語集』の中の漁
師の姿の説明が、原初の山神の化生した天狗の姿を彷彿とさせており、
高野山の大物天狗・高林坊は、やはりこの高野山の地主神・狩場明神に
落ち着くのではないかという。

高野山奥ノ院は、広野三山の懐に抱かれた聖地中の聖地。参道
には織田信長、明智光秀、上杉謙信、武田信玄などの墓がズラー
ッとならんでいます。

もう40数年も前のこと、奥の院わきから高野三山一周散策路コ
ースに入り、三山のひとつ楊柳山直下の水場に幕営したことがあ
りました。深い闇に高林坊を感じようと耳をすますが、感じるの
は小動物の気配ばかり。今回も天狗さまはまるで相手にしてくれ
ないようです。ちなみにいまは、奥の院から先は進入禁止になっ
ています。

▼高野山奥ノ院【データ】
【所在地】
・和歌山県伊都郡高野町。南海電鉄極楽橋駅からケーブル高野山駅・
バスで奥ノ院。地形図に弘法大師廟の文字と建物記号のみ記載。
【位置】
・奥ノ院弘法大師廟:北緯34度13分22.95秒、東経135度36分20.71秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「高野山(和歌山)」

▼【参考文献】
・『今昔物語集』:日本古典文学全集24『今昔物語集』(1)校注・訳:馬淵
和夫ほか(小学館刊)1993年(平成5)
・『山岳宗教史研究叢書・16』「修験道の伝承文化」五記重編 (名著出
版) 1981年(昭和56)
・『図聚天狗列伝・西日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和52)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)

 

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 (主に画文著作で活動)
ゆ-もぁ画制作処【時ノ坊】
山のはがき画の会

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