山の伝承伝説に遊ぶ
山旅通信
【ひとり画ってん】とよだ 時

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▼1003号「奥多摩棒ノ折東方・黒山(常盤御前)、馬乗り馬場と黄金伝説」

【略文】
奥多摩の棒ノ折山南東の黒山から尾根道を東にとると「馬乗馬場」
という平地に出ます。ここは秩父の豪族で源頼朝の重臣、畠山重忠
が馬術の稽古をしたところという。この馬乗馬場には黄金を埋めた
という伝説があります。気になるその場所は、「馬乗馬場」の中間
より少し西の方…だそうです。
・東京都奥多摩町と埼玉県飯能市との境。

(本文は下記にあります)

1003号「奥多摩棒ノ折東方・黒山(常盤御前)、馬乗り馬場と黄金伝説」

【本文】

鎌倉時代初期の武将で武蔵の豪族・畠山重忠が源頼朝がいる鎌倉へ
通う時、通っていたとされる棒ノ折山の山麓(埼玉県飯能市から東
京都奥多摩町)。その際、重忠が杖にしていた石棒をふたつに折っ
たのが棒ノ折山だという。山名はそこからついたとされています。

棒ノ折山から南東に下ると黒山があります。ここは東南にある青梅
市成木地区方面では黒山とか「常磐(ときわ)山」と呼んでいると
いいます。さらにそこから尾根を南にとるとピーク逆川ノ丸があり
ます。ここを同じ成木集落では「常磐ノ前山」というそうです。

常磐御前とくれば平安時代末期の武将、源氏の棟梁、源義朝(よし
とも)の側室です。牛若丸(源義経)の母としても有名な女性。(※
一方頼朝の母は熱田大宮司藤原季範(すえのり)の女(むすめ)で
義経とは腹違い)。常盤御前は、京の帝(みかど)に仕える千人の侍
女の中から、源義朝が選んだ絶世の美女だったそうです。平治元年
(1159)、「平治の乱」で源義朝が、平家方の平清盛に敗れます。

常磐御前は平清盛の追手を逃れ、大和に隠れました。しかし老いた
母を清盛に人質にとられてしまいました。このままでは母はもちろ
ん、3人の子どももいつ捕らえられ、殺されるか分かりません。常
磐御前は、母と3人の子を助けるために、子どもを連れて六波羅に
で自首したのでした。

清盛の前にあらわれた絶世の美女。清盛はその美しさに目を奪われ、
「常盤御前が自分のものになるのなら」と、母親や子供たちの命を
助けたという説もあります……。時が経ち、義経が腹違いの頼朝と
一緒に平家と戦うことになっていきます。そして「壇ノ浦の戦い」
で平氏が敗れ、世は源氏の世の中。

しかし兄の源頼朝と不仲になった義経は、兄に追われて都から落ち
ていきます。その翌年の文治2年(1186)、常盤御前が京都一条河
崎観音堂あたりで、鎌倉勢に捕らわれたことになっています。史実
ではその後、鎌倉に送られた形跡もなく、のち釈放された模様で、
以後、常盤御前に関する記録はないようです。常磐御前はこの時、
鎌倉に送られ、この奥多摩の地に来て暮らしたのSでしょうか。

伝説では、頼朝が鎌倉幕府をおこしてから、義経の母の常盤御前を
京都から呼び寄せ、一時、人目を避けた静かなこの地に隠れ住まわ
せたことがある、というのです。地元の人はいまでもこの山を「御
殿」と呼んでいるとか。

南東の高水山(高水三山のひとつ)にある常福院龍学寺の「高水山
縁起」にも、「……(高水山を開山した)智證大師、浪切不動明王
の尊像を彫刻し安置し給ふ、依て浪切白不動明王と稱し其後秩父荘
司畠山重忠當山の麓常磐と云ふ處に住せし時……」と、常磐の文字
が出てきます。

常磐御前が住んだという場所は、高水山の北東のふもとの東京都青
梅市上成木集落から常盤林道を登っていった成木沢源流の杉林の
中。舘舎(御殿)蹟という石垣が残っている、やゝ平坦な所だとい
われています。

奥多摩の研究家・宮内敏雄の『奥多摩』(百水社)にも「…、常磐
御前ががこのふもとに(成木川源流に同名の小名あり)住んでいた
との話から、高水山の常福寺には常磐御前愛用の鐘が宝物になって
いるし、飯能付近にはその墓まである」と出ています。ん!、
「鐘」??。

ふつう、こんな話には「鏡」が多いがな?。とさらに調べてみると、
「高水山縁起」に、「當山の宝物重忠の太刀同く名馬の玉 常磐御
前の鏡等何□こそ希世の珍也幸にして今日に傳ふ 亦明王の加護し
給ふ者や」とあるのを見つけました。やはり「鏡」でした。

さらにはすぐとなり、埼玉県側飯能市多峰主山(とうのすやま・
270.8m)には常磐御前の墓もあり、常盤御前にまつわる見返り坂
やよし竹の伝説があります。よし竹は、常盤御前がこの山に登りな
がら「源氏再び栄えるならこの杖よし竹なれ」といって持っていた竹
の杖を地面に突き刺しました。

するとそれが根づいて一面が竹林となったというのです。いまでも
わずかながら、よし竹と呼ばれる竹が生えています。近くの常盤が
丘には、常盤御前の墓があったといい、宝匡印塔があります。また
その近くに常盤平と呼ばれる眺めの良い場所もあります。

さて、黒山から尾根道を東にとると、馬乗馬場(まのりばんば)と
いう平らな杉林に出ます。ここは石尾根の将門馬場と同じように、
畠山重忠が「厩ノタル」に置いた馬を引き出してきて、馬術の稽古
をしたところだそうです。いまは杉の木が大きく成長した林になっ
ていて、馬乗馬場のいきさつを印刷した紙がビニールの袋に入れて
木の幹にたくさんぶらさがっているだけです(2018年3月28日現
在)。

この馬乗馬場の一隅には、黄金を埋めたという伝説があります(『常
盤むかし話』)。気になるその場所は、「馬乗馬場」の中間より少し
西の方に九尺(272.7センチ・30センチくらい)程の円形にして、
相撲の土俵のように周りに1〜2尺(30センチ〜60センチ)の高
さに石をならべた所だという。

黄金には熱が発生するらしく、そこは地熱で降雪がつづく年でも、
積もった雪がすぐに溶けてしまうという不思議な場所。ただ草の芽
だけが生えているそうです。しかし、埋蔵金を掘り出すと祟りがあ
るというから注意が必要ですヨ。名坂峠から上成木方面に下ると、
道中に畠山重忠が切ったとされる切石もあるようです。

▼馬乗馬場【データ】
【所在地】
・東京都奥多摩町と埼玉県飯能市(旧名栗村)との境。青梅線青
梅駅からバス、終点上成木下車、歩いて2時間20分で馬乗馬場。
標高点776mがある。

【位置】
・馬乗馬場標高点776m:北緯35度50分58.1秒、東経139度10
分10.68秒

【地図】
・旧2万5千分の1地形図:原市場

【山行】
・某年2018年03月28日(水曜日・晴れ)

【参考文献】
・『奥多摩』宮内敏雄(百水社)1992年(平成4)
・『義経記』作者不明。室町初期・中期の成立?の軍記物語:日本
古典文学大系37『義経記』岡見政雄校注(岩波書店)1959年(昭
和34)
・「高水山縁起」:常盤むかし話

 

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 (主に画文著作で活動)
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