山の伝承伝説に遊ぶ
山旅通信
【ひとり画ってん】とよだ 時

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▼1002号「山里の神サマ・峠神」

【略文】
山に上下と書いて峠でとうげ。峠は漢字ではなく、日本で作った文
字で「国字」だそうです。ムカシは山を越えるときは、山と山の鞍
部(あんぶ)に道をつけ、向こう側の村へ行くのでありました。村
人はこの峠にも神がおわすと考えました。峠神は柴折り神、柴神と
もいい、峠にホコラを建てたりしてまつります。

(本文は下記にあります)

▼1002号「山里の神サマ・峠神」

【本文】

 山に上下と書いて峠でとうげ。峠は漢字ではなく、日本で作った
文字で「国字」だそうです。いまでこそトンネルを掘って道を作り
ますが、ムカシは山を越えるときは、山と山の鞍部(あんぶ)に道
をつけ、向こう側の村へ用を足しに行くのでありました。その鞍部
を峠といいます。
 「とうげ」はタワゴエのなまったものといわれます。タワとは山
歩きの時などでよく耳にする「○○のタワ」などのあれです。これ
は地図にも記載されています。早い話がたわんでいるところ、つま
り山と山との鞍部や尾根の上の鞍部のことなのであります。

 そこを越えるのがタワゴエ。これが時代がたつにしたがい、タワ
ゴエ、タウゲエ、タウゲ、トウゲになったのでありますと…。ムカ
シの人は、この峠にも神がおわすと考えました。そして峠の頂上に
は祠を建てて神をまつり、旅の安全を祈ったのでありました。

 山を歩いていると、まして峠付近では、急に冷や汗が出て、極度
の疲労や、お腹のすくことがあります。これはヒダル神がとりつい
だためだと人々は思いました。ヒダルのヒは疲労の疲。ダルはタル
ミのタルでだるさのダル。いやこれはでたらめです。スミマセン。

 さて、ヒダル神というこの悪霊を追い払うには、どういう訳か柴
を折って峠神に供えのがいいという。柴を手向けるので、手向けが
なまって「とうげ」になったという説もあります。またそのためか
柴神、シバオリサマ(柴折神)、シバガミサマとか呼ばれます。峠
神をまつるところは、ホコラであったり、古木であったり、自然石
のときもあります。

 また峠神はいろいろな祈願の対象にもなり、こどもの機嫌の悪い
時や腫傷疾の病気にも治るように祈ったりします。地蔵や観音、薬
師などにも柴折り地蔵、柴とり観音、柴折り薬師として信仰してい
るところもあるそうです。四国では柴神は不慮の死者の霊をまつっ
たものだという伝説が多くあります。そこには注連縄(しめなわ)
や自然の石をならべてまつっています。子供の機嫌の悪いときや腫
瘍疾(しゅようしつ)の病の時にも柴神に祈ったそうです。

 愛媛県南部では所々の峠に柴をあげ、毎年10月10日に柴を集め
て焼く風習があったそうです。そこでは、この神は片目が不自由で、
片足が悪く、神無月には出雲での神さまの集まりからの帰りが遅く
なってしまうという。そんな時には、家が焼けているように見せる
と早く帰るという。柴を集めて焼くのはそのためだといいます。

 また福島県では柴神は山の神だともいって、昔は狩りで獲物があ
った時は、獲物の心臓の端を切って供える人もいたそうです。山の
神は心臓が好きなのでしょうか。

 また、ヒダル神にとりつかれると腹がへりはじめ、手足がしびれ
て歩けなくなるという地方もあります。そういう時は「米」という
字を手に書いて食べるまねをするのだそうです。神奈川県丹沢表
尾根の登山口ヤビツ峠はいまでは舗装され、クルマやバイクがビ
ュンビュン通っています。しかし、ここは新しくつくった峠で、
かつてはもっと西側にありました。いまでもその旧ヤビツ峠跡が
残っています。

 この峠は、かつて餓鬼道と呼ばれ、ここを通る人は食べ物を山
の餓鬼たちに投げてやる習慣があったといいます。かつてこの旧
峠からの道は秦野から札掛地区へ食糧を運ぶ重要な運搬道だった
そうです。

 ある冬、何日も雨や雪が降り続き、札掛地区の食糧が乏しくな
りました。心配になった秦野の荷揚げ役の加藤老人は、力自慢の
若者に食糧を背負わせ、札掛に向かいました。やがてヤビツ峠に
さしかかると案の定、腹がへってやりきれません。

 「さっき、食べたばかりなのに…」と思いながら、無理に歩い
ていましたが、どうにもなりません。ついに腰がふらつき歩けな
くなり、ひざをつきて地面をはいずるしまつ。それでも懸命には
いながら峠を下ると、うそのように元気になったといいます。前
もって充分に食事を食べていてもそのありさまです。

 このあたりは戦国時代の永禄年間(1558〜1570)、甲斐の武田
信玄と小田原の北条氏康との激戦の場でありました。その時、戦
いに敗れて、傷つき、腹をすかしながら死んでいった武士たちが
たくさんいました。村人たちは、その亡霊が食べ物を探してさま
よっているのだと噂しあったそうです。

 それからというもの、村人たちはここを餓鬼道と呼び、峠越え
をする時はあらかじめ食糧を余分に持って行き、自分が食べる前
に山の餓鬼たちに与えるようになったということです。

▼峠神【データ】
【参考文献】
・『日本の神々・多彩な民俗神たち』戸部民夫(新紀元社)1998年
(平成10)
・『民間信仰辞典』桜井徳太郎編(東京堂出版)1984年(昭和59)
・『宿なし百神』川口謙二著(東京美術刊)1979年(昭和54)

 

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

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