山の伝承伝説に遊ぶ
山旅通信
【ひとり画ってん】とよだ 時

……………………………………

▼057号「奥秩父笠取山・東京都の水源神社」

昔、武州と甲州の国境見まわリの役人が山頂で出会い笠をとって挨
拶、そのためこの山を「笠取山」と呼んだという。直下の水神社の
祠のまわりの崖が崩れて落石がこだましている。あたりが静寂なだ
けに不気味だった。

▼057号「奥秩父笠取山・東京都の水源神社」

【本文】

その昔、武州と甲州の国境見まわリの役人が、よく山頂でバッタリ
出会ったといいます。そこで互いにかさを取って挨拶します。その
ためこの山を「笠取山」と呼ぶようになったというのですが、ホン
トかいな。

また、西方の雁峠や南西側の防火帯から見るとこの山の形が笠にそ
っくりという。その他、「カサトリ」のトリはなだらかさをしめす
「トオリ」の変化したもので笠型のなだらかな尾根をいうのだとか。
さらに、笠が飛ばされるほど風が強い説などなどがあります(「新
日本山岳誌」)。

変わった説では、カサトリとはグミ科のアキグミのことで、アキグ
ミが生い茂っている山との説をとる本もあります(「日本山岳ルー
ツ大辞典」)。

この笠取山のすぐ下に水神社の祠が建っています。ここに降った一
粒の雨がミズヒ沢に流れ込み、多摩川河口までエンエン1300キロの
長旅をして、東京湾にそそぎ込みます。

ここは東京都の水道の水源になっています。1918年(大正7)当時
の東京市は南斜面標高1860mにある水干(みずひ)を多摩川の水源
と定め、水神社を建立したといいます。

ある年、暮れも12月30日。酔狂にも水神社を訪れてみました。笠取
山の雪はくるぶしまででした。

粗末な標識の建つ笠取山頂で写真をとり、一旦戻ってから水神杜へ
下りました。もちろん祠には誰もいません。下界は暮れも押し詰ま
り、正月の準備で忙しい。

祠のまわりの崖が崩れて落石がこだましています。あたりが静寂な
だけに不気味です。

帰途、奥多摩方面への縦走路は2ヶ所が崩壊していました。途中で
日没を迎え、暗くなり風雪も加わってきました。しかたなく狼平の
地名のあたりでテントを張りました。

こんな時温かいおでんはありがたい。イッパイやりながら雨粒小僧
の長旅に思いを馳せます。明日は奥多摩駅に下山、今夜が最後の夜。
風の音も子守歌、シュラフの夢をむさぼったのでありました。

▼水神社【データ】
【所在地】
・山梨県甲州市塩山(旧同県塩山市)と埼玉県秩父市大滝(旧秩父
郡大滝村)との境。JR中央本線塩山駅からバス・新地平から2時
間50分で水神社。地形図に神社記号(鳥居)記号と北側に笠取山、
標高点の標高の記載あり。

【位置】
・水神社:北緯35度51分53.11秒、東経138度49分11.2秒

【地図】
・旧2万5千分の1地形図「雁坂峠(甲府)」

【参考】
・『角川日本地名大辞典19・山梨県』磯貝正義ほか編(角川書店)1
984年(昭和59)
・『角川日本地名大辞典11・埼玉県』小野文雄ほか編(角川書店)1
980年(昭和55)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)

……………………………………

山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

………………………………………………………………………………………………
山旅イラスト【ひとり画展通信】
題名一覧へ戻る