【全国の山・天狗のはなし】  

▼46:鳥取県の山

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▼01:伯耆大山の清光坊天狗

・【略文】
『出雲国風土記』に出てくる国引き神話の山・伯耆大山。ここは丹沢大山
の天狗、伯耆坊のふるさと。丹沢大山の天狗が平安末期、香川県白峰
山に山移りしたのち、この山から移って行ったという。ここには
いまは清光坊という天狗がいることになっています。・鳥取県大山町、琴
浦町、江府町など。

▼01:鳥取県・伯耆大山の清光坊天狗

・【本文】
 鳥取県の西部にそびえる大山(だいせん)は、旧国名から伯耆
大山(ほうきだいせん)と呼ばれています。また見る方向によっ
ては富士山にも似ているため、伯耆富士と呼ばれます。さらに、とな
りの出雲(島根県)からの方が眺めがよいので「出雲富士」ともいいます。

 主峰は弥山(1710.6m・三角点がある)で、最高峰は剣ヶ峰(1
729m)。この山は古来から神います山とされ、霊山としてあがめられて
きました。その起源についてこんな話が残っています。『大山寺縁起(だ
いせんじえんぎ)』という文書の「第一巻二段」に、イザナギ、イザナミの神
の大昔、天からひとつの大盤石が落ちてきたという。

 その時、大盤石が3つに割れて和歌山県の熊野山と、奈良県金峰(き
んぷ)山、そしてここ大山(だいせん)の3つの山になりました。だから大
山(だいせん)は日本第3の霊山だというのです。

 『大山寺縁起』は、鎌倉時代後期の正中2年(1325年)から元徳元年
(1330年)に間成立した作者不明の大山信仰に関する貴重な史料。(神
奈川県丹沢大山(おおやま)にも同じ題名の『大山寺縁起』があるので注
意)。また大山(だいせん)には、有名な「国引き伝説」も残っています。

 奈良時代の『出雲国風土記』(意宇(おう)郡の条)に、八束水臣津野
命が国を作る際、「出雲の国は狭い若国(未完成の国)なので、他の国の
余った土地を引っ張ってきて広く継ぎ足そうとした」と記されており、西は
佐比売山(島根県・三瓶山)、東は火神岳(ひのかみだけ・鳥取県大山)
に綱をかけて、東端の「三穂(みほ)の埼」は北陸から引き、西端の「支豆
支の御埼(きづきのみさき)」は朝鮮半島の新羅から引いてきたという。

 その間の「闇見(くらみ)の国」と「狭田(さだ)の国」は、それぞれ「北門
(きたど)の良波(よなみ)国」、「北門の佐伎(さき)国」から引き寄せます。
神は「国来国来(くにこくにこ)」とかけ声をかけて国を引いてきました。そ
してできた土地が現在の島根半島であるといわれています。

 一方、この山の開山は、天武天皇の12年(684)、開祖は役行者であ
るという。また行基(ぎょうき)が開山したとも記すものもあります(平安後期
に成立した『伊呂波字類抄』)。

 またこんな伝説もあります。出雲国玉作(島根県八束郡玉湯町玉造)
の猟師の依道(よりみち)が、たまたま美保の浦を通りかかった時に、海
底から金色の狼があらわれました。狼は依道を誘うようにして、大山(だ
いせん)山中の洞に入りました。ここぞとばかり依道が矢をつがえると、地
蔵菩薩があらわれました。

 驚いていると、狼が老尼にかわり「私は登欖尼(とらんに)という山ノ神
である。あなたに地蔵菩薩をまつってもらいたいと思い、ここまで導いた」
といったという。畏れおののいた依道は決心して金蓮と名のって出家した
という。金連は修行にいそしみ、やがて釈迦如来をも感得し南光院という
お寺を開いてこれをまつりました。さらに阿弥陀如来を感得してまつった
のが西明院だという(『大山寺縁起』)。

 さらに大山(だいせん)は天狗の山としても知られています。首都圏で
人気のある神奈川県丹沢大山(おおやま・相模大山)の阿夫利神社下
社わきにあるレリーフ(石碑)の天狗、伯耆坊はこの伯耆大山(だいせん)
から山移りしてきたものだそうです。いまそのあとの大山(だいせん)にい
るのは清光坊(せいこうぼう)という天狗だといいます。

 大山(だいせん)では昔から「大山の烏ヶ山を吹く風は、天狗風か恐ろ
しや」と伝える里謡がありますが、これは伯耆坊のことらしいという。丹沢
大山にいる伯耆坊天狗は日本を代表する「日本八天狗」にも入っている
エライ天狗ですが、伯耆大山の清光坊天狗も山伏たちが唱える『天狗
経』の48狗に入る天狗です。

 天狗関係ではこんな話もあります。『陰徳太平記』(4)という本に、出雲
の戦国大名の尼子晴久(あまごはるひさ)が、月山富田城(がっさんとだ
じょう)の戦い(いまの島根県安来市)の時、安芸(現広島県)の毛利元就
(吉田郡山城)を討とうとして、兵を集めている晴久に(1540年(天文9)
室町時代後半)、この山の天狗が、大山(だいせん)の神大智明権現(だ
いちみょうごんげん)の神託(お告げ)を伝えて思いとどまらせようとした記
述があります。

 「伯耆大山(だいせん)神勅(しんちょく)(神のお告げ、命令)ノ事 或
時、富田の城へ、色白う丈(たけ)高く清げなる山伏一人来(た)り、伯耆
大山の使僧なりと案内を請ふ。晴久対面せられしに、彼の山伏、今度芸
州(安芸)御出張の思し召し、留まられ候かしと申しければ、晴久、それ
は衆徒中よりの使いに候かと問い給ふ。

 いや是(これ)は権現御神託にて候。御疑ひを晴し申すべき為なれ
ば、証拠を示し候べしとて、懐中より鶏の蹴爪の如くなる物、長さ一尺余
りならんを出したり。晴久、是は不思議の御事、有り難き神勅かな。かか
る神勅を受けながら、違背申さんは冥慮(めいりょ)の程恐れ入り候と雖
も、諸国の軍士、羽檄(うげき)(急を要する檄文?(げきぶん)。

 昔、中国で緊急の触れ文に鳥の羽を挟んだところから?)に応じて、す
でに当国に馳せ集まりて候へば、此上にて又、約を変じ、各々帰国仕り
候へと申さん事、晴久が胡論(うろん・胡乱の間違い?)と云ひ、当家の
軍法、信を失する第一にて候間、今更已(や)むことは能はざる所にて
候。……山伏は暇乞ひて帰りにけり。

 ……又翌くる夜、前の山伏来たりて、晴久御返答、権現へ敬白仕り候
へば、只幾度も芸州御出張引延宜しかるべしとの御神勅に候。斯(か)く
再三申し候と雖も猶御疑心止まず候上は、事の明歴所をば、本(もと)の
姿を顕はして見せ申さんとて、両の腋下(わきした)よりだいなる翅(つば
さ)をさし出しければ、晴久、とかく幾度も同じ御返事にて候。

 ……山伏、その由、反命仕るべく候。然れ共かく両度の神勅、御違背
候ふ事、彼れ是れについて宜しからざる御事に候。猶も能く能く御思惟
(しい)候べしとて、座敷を立つ」。晴久はあわてて緋縅(ひおどし)の鎧
一領と黄金作りの太刀一振りを寄進しました。

 しかし戦い(吉田郡山城の戦い・第一次月山富田城の戦い)の結果
は、寡兵(かへい・少ない兵力)の毛利勢に散々うち破られてしまいまし
た。これが、尼子家衰運の第一歩で、それから16年後の永禄9年
(1566)、毛利軍に攻められて尼子の月山富田城は落城(第二次月山
富田城の戦い)してしまいました。

 この『陰徳太平記』は.、室町時代を書いた軍記物語。正徳2江戸時代
の (1712) 年刊。岩国領(いまの山口県)の家老香川正矩によって編
纂、香川景継(宣阿)が補足刊行したもの。さらにこのあたりには、大山
(だいせん)の地蔵が多くの分身を作り、各地で同時に田植えを助けたと
いう話もあります(『伯耆大山寺縁起』)。

 ちなみに『出雲国風土記』に出てくる八束水臣津野命(やつかみずお
みつののみこと)は地蔵菩薩のことだそうです。大山(だいせん)は、志賀
直哉の『暗夜行路』(1937)にも登場している山です。このような信仰の
山、修験の山として一大仏教寺院群に発展した大山(だいせん)も、明治
初年に新政府が発した神仏判然令、そしてその後におこつた廃仏毀釈
(はいぶつきしゃく)によって堂塔・仏像がすっかり失われてしまっていま
す。

 一方、この大山(だいせん)の北西、鳥取県大山町と淀江町の境に孝
霊山(こうれいざん・751m)という山があります。一名韓山(からやま)とい
い、ここにも山の背比べの話があります。柳田國男も「日本の伝説」(山の
背比べ)で、孝霊山は大山(だいせん)と背比べするためにわざわざ韓か
ら渡ってきた山なので韓山(からやま)というのだといっています。

 韓山が背比べをした時、大山(だいせん)よりも少しばかり高かったの
です。腹を立てた大山(だいせん)は木履(ぽっくり)をはいたまま、韓山
の頭を蹴飛ばしました。韓山の頭は割れて低くなってしまいました。その
ため、いまでもこの山は頭が欠けたようになっているのだという。またその
昔、朝鮮からきた渡来人が故国の山を持参し、大山と背比べをしたが敗
れたので置き去りにしたという言いつたえもあります。



▼大山(だいせん)【データ】
【所在地】
・鳥取県大山町、琴浦町、江府町など。JR山陽本線米子駅の東19キ
ロ。JR山陽本線米子駅からバス、大山(だいせん)寺下車、3時間半で弥
山(大山町)。避難小屋と3等三角点がある。
【名山】
・「日本百名山」(深田久弥選定):第92番選定(日本二百名山、日
本三百名山にも含まれる)
・「新日本百名山」(岩崎元郎選定):第81番選定
・「花の百名山」(田中澄江選定・1981年):第91 番選定
・「新・花の百名山」(田中澄江選定・1995年):第94番選定
【位置】
・弥山三角点:北緯35度22分15.93秒、東経133度32分24.2秒
【三角点名】
・大山
【地図】
・2万5千分の1地形図:伯耆大山

▼【参考】
・『出雲国風土記』:東洋文庫145『風土記』吉野裕訳(平凡社)1988年
(昭和63)
・『角川日本地名大辞典31・鳥取県』竹内理三(角川書店)1982年(昭
和57)年
・『古代山岳信仰遺跡の研究』大和久震平著(名著出版)1990年(平成
2)
・『山岳宗教史研究叢書12』「大山・石鎚と西国修験道」宮家準編(名著
出版)1979年(昭和54)
・『山岳宗教史研究叢書・18』(修験道史料集・2)五来重(ごらいしげる)
編(名著出版)1984年(昭和59)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『図聚天狗列伝・西日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和52)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本歴史地名大系32・鳥取県の地名』(平凡社)1992年(平成4)
・『柳田國男全集25』柳田國男(ちくま文庫)1990年(平成2)「日本の伝
説」

 

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】制作処
山のはがき画の会

 

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