【全国の山・天狗のはなし】  

▼41:【和歌山県】

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▼01:高野山奥ノ院の天狗高林坊

【略文】
弘法大師開山した霊地・高野山には、もともと山神や地主神、天狗たち
が、参拝者たちを守るためにすんでいたらしい。なかでも奥ノ院の天狗
高林坊は、言い伝えが少なく地味ですがその貫禄から、高野山の天狗
たちの総帥であろうとされています。さらに高林坊の前身は、弘法大師
空海を山上に導いた狩場明神ではないかと、天狗の研究家はいいま
す。
・和歌山県高野町

▼01:高野山奥ノ院の天狗高林坊

【本文】
 弘法大師空海が開創した和歌山県の高野山は、真言宗の根本道
場として、総本山金剛峰寺(こんごうぶじ)を中心に18平方キロ
mの聖地が広がっています。その山々や谷々には、それぞれ護法
の山神や地主神・天狗たちが、参拝者たちを守るためにいたらし
いといいます。それは天狗山、天狗木、天狗岩などが多いことか
ら知られます。

 それをとりまとめているのが高野山高林坊という大天狗です。
この天狗は、残る言い伝えも少なく地味ではありますがその貫禄
から、高野山の天狗たちの総帥であろうとされています。さらに
は弘法大師空海を山上に導いたその土地の地主神・狩場明神(か
りばみょうじん)ではないかと、天狗の研究家はいっています。

 狩場明神は、丹生明神(にゅうみょうじん)を母とする御子神
(みこがみ)だといい、両神はいっしょにまつられていることが
多い。ここ奈良県五條市のJR和歌山線大和二見駅南西にある犬
飼山転法輪寺(てんぽうりんじ)は、弘法大師と狩場明神が出会
ったところとされていて、境内には狩場明神社がまつられていま
す。

 伝説によると弘法大師ははじめ、唐の国に留学していましたが、
日本に帰るため船に乗るとき、持っていた三鈷杵(さんこしょ・天
台宗・真言宗・禅宗で用いられる法具「金剛杵」の中で、爪のよう
な部分が3つあるもの)を海の中に投げ込んだという。大師は、
密教が日本に渡れるならばこの杵を先に渡すから、布教をする所
としてふさわしい霊地を見つけておいてくれるよう願いをこめて
いたのです。

 815年(弘仁6)(※『今昔物語集』では816年・弘仁7になって
いる)、狩場明神と出会った弘法大師は、明神の使者である黒白2
匹の犬の案内で、かつて海に放った三鈷杵のあるところ・高野山
にたどり着くことができたという。その黒白2匹の犬は、こま犬
として鳥居のそばに建立され、また金剛峰寺や京都東寺には犬を
連れた明神の画像も収蔵されています。

 『今昔物語集』(巻十一第二十五)に、「……『我ガ唐ニシテ擲
ゲシ所ノ三鈷落タラム所ヲ尋ム』ト思テ、弘仁七年トイウ年ノ六
月ニ、王城ヲ出テ尋ヌルニ、大和ノ国宇智ノ郡ニ至リテ一人ノ猟
ノ人ニ会イヌ。其形、面赤クシテ長(たけ)八尺許リ也。青キ色
ノ小袖ヲ着セリ、骨高ク筋太シ。弓箭ヲ以テ身帯セリ。大小ノ黒
キ犬ヲ具セリ」。

 つまり、「自分が唐にいるとき投げた三鈷の落ちた場所をさがそ
う」と思い、弘仁7年という年の6月に都を出て捜し求めている
うち、大和の国宇智郡(うちのこおり)まで来てひとりの猟師に
出会いました。その姿を見ると、顔赤く背丈は八尺ほどで、青い
小袖を着ており、筋骨たくましい。身には弓矢を帯び、大小2匹
の黒い犬を連れている。とあります。

 連れていたのは黒い大小の犬になっています。ほかの本でも説
明と図版で違っていたりかなり混乱が生じています。しかし、そ
れはソレ、遠〜い昔のこと。あまり気にしないでいきたいもので
す。さらに『今昔物語集』は続きます。

 弘法大師が、かつて投げた三鈷杵のあるところを探しているの
を知ると、漁師はそこを知っているという。早速猟師の案内で紀
州堺の紀ノ川のほとりに来ると、またひとりの山人に出会います。
大師はまた杵のことを尋ねると「ここから南の山中に盆地がある。
杵はそこにある」とのこと。

 翌朝3人で歩きながら話すには、「実は自分はその山の主である
が、今日から領地は全部師に奉ります」という。しばらく行くと、
大きな杉の股に彼の杵が突き刺さっていました。大師は、こここ
そ心にかなった霊地と知り、山人に名を聞くと「丹生の明神と申
す。また猟師は高野の明神でござると」いうなり、ふたりの姿は
消えたという。

 また、江戸時代初期の儒学者である林羅山の『本朝神社考』で
は狩場明神の母である丹生明神が罪を負って高野山の山奥にに幽
閉されている形になっています。平安時代はじめの816年(弘仁
(こうにん)7)、空海が霊地を探して高野に登って歩いていくう
ち、深い森林の中で迷ってしまいました。

 その時一人の姫神があらわれて、「われは山神である。昔、生き
物を殺生しすぎた罪を背負い、こんな山奥に隠れている。もとの神
になりたいのだが、成仏させてくれる人があらわれなかった」と話
しはじめました。「いま、尊師がここへ来られたのは願ってもない
幸い。この山の数百里四方を尊師に寄付して罪を償いたい」といっ
て大師を盆地の平らなところへ案内しました。

 そこには弘法大師が唐の国で投げた三鈷杵が、目の前の松にか
かってありました(『今昔物語集』では桧(ひのき)になっている)。
そこで神女の言葉が真実であることを知り、そこに金剛峰寺を建
てたという。その神女が丹生明神であるといっています。

 ところで、高野山高林坊の真の姿は何か。この『今昔物語集』
の中の漁師の姿の説明が、原初の山神の化生した天狗の姿を彷彿
とさせており、高野山の大物天狗・高林坊は、やはりこの高野山
の地主神・狩場明神に落ち着くのではないかという。

  高野山奥ノ院は、広野三山の懐に抱かれた聖地中の聖地。参道
には織田信長、明智光秀、上杉謙信、武田信玄などの墓がズラー
ッとならんでいます。

 もう40数年も前のこと、奥の院わきから高野三山一周散策路コ
ースに入り、三山のひとつ楊柳山直下の水場に幕営したことがあ
りました。深い闇に高林坊を感じようと耳をすますが、感じるの
は小動物の気配ばかり。今回も天狗さまはまるで相手にしてくれ
ないようです。ちなみにいまは、奥の院から先は進入禁止になっ
ています。



▼高野山奥ノ院弘法大師廟【データ】
【所在地】
・和歌山県伊都郡高野町。南海電鉄極楽橋駅からケーブル高野山
駅・バスで奥ノ院。地形図に弘法大師廟の文字と建物記号のみ記載。
【位置】
・弘法大師廟:北緯34度13分22.95秒、東経135度36分20.71秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「高野山(和歌山)」

▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典29・奈良県』永島福太郎ほか編(角川書店)
1990年(平成2)
・『今昔物語集』巻第十一(弘法大師始建高野山語第二十五):日
本古典文学全集24『今昔物語集』(1)校注・訳:馬淵和夫ほか(小
学館刊)1993年(平成5)
・『山岳宗教史研究叢書・11』「近畿霊山と修験道」五木重編 (名
著出版)(全18巻)1978年(昭和53年)
・『山岳宗教史研究叢書・16』「修験道の伝承文化」五記重編 (名
著出版) 1981年(昭和56)
・『図聚天狗列伝・西日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和52)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・『日本伝奇伝説大事典』編者・乾勝己ほか(角川書店)1990年(平
成2)

 

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】制作処

 

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