【全国の山・天狗のはなし】  

▼40:奈良県の山

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▼04:大峰山・前鬼後鬼

【略文】
全国各地の山々80座近くを開山したと伝える役ノ行者小角。その行者
にぴたりと寄り添い、その修行を妨げる外敵を退ける前鬼後鬼。石像や
お札などでおなじみです。前鬼、後鬼は夫婦の鬼とも伝え、前鬼が赤眼
といって夫鬼、後鬼は黄口で女房だといいます。酒に酔い眼を赤くして
唄う夫を、黄色い口をあけて笑う妻の姿なのだそうです。

▼04:大峰山・前鬼後鬼

【本文】
 全国各地の山々80〜90座を開山したと伝えられる役ノ行者小角。
その行者にいつもぴたりと寄り添い、その修行を妨げる外敵を退けてい
る2匹の鬼がいます。神社などの石像やお札などでおなじみの前鬼・後
鬼(ぜんき・ごき)です。

 前鬼・後鬼は、仲のいい夫婦の鬼とも伝えます。前鬼が赤眼といって
夫鬼、後鬼は黄口で女房だとされています。酒に酔い眼を赤くして歌を
唄う夫鬼を、黄色い口をあけて笑う妻の鬼の姿なのだそうです。

 この鬼たちは、もともと大阪市と奈良県生駒市の境にある、聖天さんで
おなじみの生駒山(642m)にすみ、旅びとを襲った盗賊だともいいま
す。役ノ行者39歳、西暦672年(天武元)の時、行者が修行のため同
県平群町の信貴山(437m)の般若窟に籠ります。

 すると、どうも行者修行の邪魔をするものがいます。見ると身の丈3m、
牙を生やした2匹の鬼でした。行者に見つかり鬼たちは慌てて逃げ出し
ます。行者はそれを飛天の術で追いかけて、ついに生駒山の南東(奈良
県側)で捕えます。さらに髪をつかんで南西(大阪側)まで引きずって行
き、鬼たちの髪を切って妖力を封じ込めてしまったという。その鬼を捕ま
えた所が生駒市の「鬼取の里」、そして髪を切った所が東大阪市の「髪
切の里」として残っています。それぞれの場所に鬼取山鶴林寺、髪切山
慈光寺があり、地名伝説になっています。

 こうして折伏(しゃくぶく)された前鬼・後鬼の2匹の鬼は善童鬼・妙童
鬼とも称し、役ノ行者の身辺を守る従者になります。弟子としては行者の
第一号的存在ながら、いつも後輩としての末弟の位置に甘んじ、ただ献
身的に仕える行者の従者だったそうです。

 701年(大宝元)6月7日、役ノ行者がその母とともに昇天(のち仙人に
なって唐へ渡る)してからは、前鬼・後鬼の2鬼は大峰山中に「前鬼の
里」を開拓。自ら天狗に化身して役ノ行者の遺志に従い、大峰山を守護
したという。

 前鬼の里は、大峰山系吉野と熊野の境の奈良県下北山村にある小集
落です。近鉄吉野線大和上市駅から特急バスで2時間半、さらに山道を
歩いて3時間という所。大峰山脈・釈迦ヶ岳の南方の「太古の辻」から東
側にしばらく下った所です。東南側が明るく気持ちよく開けています。

 前鬼・後鬼の子孫は江戸時代までに5家にわかれ、鬼熊、鬼上、鬼
継、鬼助、鬼童の姓を名乗り合わせて五鬼といい、いまでも小仲坊(五
鬼助氏)の上段には、それぞれの屋敷跡が残っています。小仲坊の下
段の平地はキャンプ場になっています。

 前鬼の里に最近建てられた50畳もあろうかというりっぱな宿坊。真新
しい畳と柱の臭い。公衆電話もあります。私が訪れた時ご主人は留守
で、新しい宿坊を勝手に使うようにとの貼り紙がありました。私のほかに人
影もありません。それでは遠慮なく今夜は50畳の真ん中に大の字にな
って寝させてもらおう。

 附近を散歩します。石垣にかこまれた行者堂前の庭を、2mもある蛇が
通り過ぎていきます。雌を気遣いながら通りすぎる姿が、仲の良かったと
いわれる前鬼・後鬼夫婦をほうふつとさせ印象的でした。



▼【参考文献】
・『役行者御伝記図会』(1850年・嘉平3年刊)(刊記:嘉永2己酉年
御免・嘉永3庚戌刻成)
・『役行者伝記集成』銭谷武平著(東方出版)1994年(平成6)
・「男の鬼・女の鬼」中村光行:「日本鬼総覧」(歴史読本特別増刊)
(新人物往来社)1995年(平成7)
・『鬼の研究』知切光歳(大陸書房)1978年(昭和53年)
・『山岳宗教史研究叢書11』名著出版
・『山岳宗教史研究叢書・16』五来重(名著出版)1981年(昭和56)
・『図聚天狗列伝(西日本編)』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和
52)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)

 

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