【全国の山・天狗のはなし】  

▼32:静岡県の山

▼32-03:秋葉山三尺坊

【短略説明】
秋葉山といえば、天狗の山、火伏せの神として全国的に知られてい
る山です。いまは秋葉神社上社があり、火之迦具土大神(ひのかぐ
つちのおおかみ)をまつっています。しかし、明治の神仏分離令が
出るまでは、天狗の秋葉寺が、神社を取り仕切っていました。
・静岡県浜松市。
▼03:秋葉山三尺坊

【本文】
 秋葉山といえば、天狗の山、火伏せの神として全国的に知られて
いる山です。南アルプス赤石山脈の最南端にあり、「天竜奥三河国
定公園」の一角をなしているという。なるほど地図をみると、南ア
ルプス最南端の光岳(てかりだけ・2591m)、黒法師岳(2067m)、
蕎麦粒山(1627m)のさらに南西方向に秋葉山(885m)があり、
れっきとした南アルプスの前衛なのであります。

 頂上からの展望は素晴らしく、三河地方の山々・天竜川・浜名湖
・太平洋まで望め、東海一とまでいわれています。いまは山頂南側
近くには、秋葉山本宮としての秋葉神社上社があり、火之迦具土大
神(ひのかぐつちのおおかみ)をまつっています。社務所わきには、
それこそデンと、キンキラキンの大鳥居が突っ立ち威圧しています。

 そこから800mほど下った杉平(すぎだいら)というところに、
曹洞宗の秋葉山秋葉寺(しゅうようじ)があります。秋葉神社から、
杉の枝をかいくぐるように秋葉寺へ下る細い道はなんと薄暗いこと
か。そしていまにも倒れそうな古いお寺(当時)。こんなありさま
ですが、もとは神仏混淆で、明治の神仏分離令が出るまでは、秋葉
寺が秋葉神社を取り仕切っていました。毎年12月15、16日には、
有名な「秋葉の火祭り」が行われ、火防天狗秋葉三尺坊大権現に七
十五膳をお供えする儀式が執行されていたという。

 この三尺坊という天狗は、江戸時代中期のはじめごろできたとさ
れる日本の天狗48狗をあげた『天狗経』にも出てくる天狗です。
それには「南無大天狗小天狗十二天狗有摩那(うまな)天狗数万騎
天狗先ず大天狗には、愛宕山太郎坊、比良山次郎坊とつづき、秋葉
山三尺坊、高尾内供奉、……御嶽山六尺坊、浅間岳金平坊。総じて
十二万五千五百、所々の天狗来臨影向(ようごう)、悪魔退散所願
成就悉地(しっじ・成就)円満随念擁護、怨敵降伏一切成就の加持、
をんあろまや、てんぐすまんきそわか、をんひらひらけん、ひらけ
んのうそわか」とあり、秋葉山三尺坊は36番目に出てきます。こ
の天狗は鼻の高くない荼吉尼天で、白狐に乗った姿です。つまり長
野県飯縄山の飯縄系の天狗です。

 そもそも天狗のお寺秋葉寺の山号は大登山。本尊は聖(しょう)
観音。秋葉権現の祭神が大己貴命(おおなむちのみこと)で、その
守護神が三尺坊権現だという。その三尺坊権現が近世中期以降に秋
葉信仰の主役になっていきます。いま山頂南側付近にある秋葉神社
はその後身だという。山腹の杉平(すぎだいら)にある秋葉寺は、
明治14年(1881)に再興されたもの。

 ここに享保2年(1717)成立の「秋葉山略縁起」(山岳宗教史研
究叢書17)という文書があります。それには「それ諸仏菩薩の度
生化益の善巧方便ハ、きわまりなし。爰に東海道遠江国周知□(欠
落:郡・ごおり)犬居村大登山秋葉寺のゑんき尋(ね)る□(欠落
:に、)人王四十四主元正天王(※奈良時代・元正天皇第44代・在
位:715年・霊亀元〜 724年・養老8)の御宇(※ぎょう)養老二
(戌午)□□(欠落:歳に)(※養老2年・718)行基大師諸国遊化
(※ゆけ・遊行教化)の時此山に登りた□□(まい)山頂の杉の木
をもって聖観音、十一□□□(面観音)、勝軍地蔵、三菩薩の尊像
をきさ□□□(み給ひ)山頂永く衆生(しゅじょう)現世安穏、後
生善所□□□(の仏院)たらしめんとおぼしめして、安□□□□□
(民豊饒の為)此山草創し開基となり□□□□□□(たまふ。衆生)
…」とあります。

 欠落の所があって分かりづらいですが、「秋葉山略縁起」をはじ
めとする参考書などを総合すると以下のようになるようです。秋葉
山は、奈良時代前半の養老2年(718)に、行基菩薩によって開か
れ、山頂に行基が彫った聖観音と、十一面観音、勝軍地蔵を安置し
たという。のちに、信州(長野県穂高村・いまの下高井郡木島平村
大字穂高)の生まれで、戸隠の西の窟(いわや)に籠もり修行した
修験者がいたといいます。

 彼はさらに越後に行き、守門岳のふもと栃尾の楡原(にればら)
熊野神社蔵王堂(いまの楡原の岩野蔵王堂)の修験道場の「三尺坊」
で荒行をしました。修験者はここで、不動三昧の法を修行した結果、
神通力を得て両肩に羽が生え、生きながらに天狗三尺坊になったと
いうのです。天狗になる前の彼の法名は不明だという。そして天狗
は、白狐に乗った荼吉尼天(だきにてん)の姿になり秋葉山に飛来、
行基が開いたこの山を安住の峰と定めました。さらに天からの声に
従い、この天狗は諸国をめぐったのちふたたび秋葉山に帰り、山の
守護神三尺坊権現という神になったとしています。永仁2年(1294
・鎌倉時代)のことでした。

 当時山の上に水がなく、不便この上ありません。住職が観音さま
と守護神三尺坊に祈ったところ、山頂北西の隅に清水がわき出しは
じめました(いまの機織井)。水の中を見ると、雲竜顴(けん・ほ
おぼね)下の玉がふたつと、清水わきにガマが一匹うずくまってい
ました。ガマの背中には「秋葉」の文字が浮かんでいました。秋葉
山の名はそこから起こったという。

 かつてこの寺を雲竜院といったのもこのあたりかららしい。また
寛永年間中、その清水のほとりに山姥があらわれ、機を織っていた
という。そこからこの水を「機織井」というようになりました。そ
の織った布に青銅十疋(ひき・100疋は1貫)を添えて和尚さんに
贈る涅槃衣(僧を葬る際に使う法衣)にしたそうです。また宗旨も
はじめこの寺は法相宗でしたが、のち曹洞宗に変わったといいます。

 秋葉山はまた次第にこのあたりで活動した修験たちの回峰霊場に
もなっていきました。三尺坊権現の霊験は弓箭刀杖(きゅうせんと
うじょう・弓矢や刀などの武具類)の難を逃れることや、火災の難
を除けるということから、武士たちにも厚く信仰されました。中世
には白山系の修験道とも融合したこともあったという。永禄12年
(1569)に徳川家康から、元亀3年(1572)には武田信玄から、天
正7年(1579)武田勝頼などから、別当職や社領などの安堵を受け
るほどでした。

 江戸時代になり秋葉寺は、静岡県袋井市久能にある曹洞宗の可睡
斉(かすいさい)と関係が深くなっていきます。可睡斉の住職の士
峰宋山の弟子が秋葉山に住み、三尺坊の霊威を説きました。そして
秋葉寺は可睡斉に属していきます。寛永19年(1642)、将軍徳川家
光は秋葉寺に寺領26石を安堵しています。

 このころから、袋井市春日明神社神主が近隣で火災がおこったと
き、秋葉三尺坊権現に祈念して火災を免れたなどのはなしがでて、
この神が火防せに御利益があると世間に知れ渡り、それからという
もの各地から参詣者が訪れるようになり、いくつもの参詣路秋葉道
(秋葉街道)ができていきました。

 同じく江戸時代の正徳元年(1711)、中御門天皇(なかみかどて
んのう・114代)から神階(しんかい・神位)正一位を、享保8年
(1723)後西天皇(ごさいてんのう・第111代)宸筆(直筆)の「正
一 位秋葉大権現」なる勅額を授かったという。それが全国に知ら
れ、各地にも秋葉神社が勧請されて、火防せ効験の秋葉信仰がいや
が上にも高まっていきました。

 ところが明治の神仏分離令が発布されます。明治6年(1873)、
浜松県令(知事)の林厚徳(はやしあつのり)は、以後「秋葉権現
は秋葉神社と称すべし」と命じ、秋葉寺を廃寺にしてしまったので
す。こうして秋葉寺の本尊(聖観音)や三尺坊大権現は可睡斉に移
されました。そのあと地にいまの秋葉神社が成立したのでした。

 明治13年(1880)になり、復興許され秋葉寺はいまの下杉平に
新築されました。しかし、「神社側と寺側は全くの商売仇となり、
神社側は三尺坊を迷神と退けたまま。もともとひとつであった火防
神の霊威も、相手を否定しあっているありさま。せっかくの霊山を
台なしにした明治新政府の暴政は甚大な被害をもたらしている」(天
狗研究家知切光歳氏)。

 結局いまも、三尺坊大権現は可睡斉の中の新殿にまつられたまま
になっています。蛇足ながら「可睡斎」とは、めずらしいお寺の名
前ですが、これには訳があるようです。徳川家康が幼少のころ、武
田信玄の軍から逃れここの境内「六の字穴」という洞窟に匿われた
ことありました。後にその礼に訪れた時、第11代の仙鱗等膳和尚
がその席で居ねむりをはじめました。それを見て家康は「和尚、眠
るべし」といったことから可睡齋という寺の名前になったといいま
す。こんな話もあります。

 いよいよ秋葉信仰が広まり、三尺坊は秋葉三尺坊と呼ばれ、遠州
秋葉山は大本山(霊山)とされてきました。霊験あらたかなこの神を
勧請したいと希望するお寺が各地に出てきます。しかし、遠州の秋
葉寺は全て断っていました。そこで江戸の瑞雲寺が、三尺坊権現が
修行した越後栃尾にも秋葉神社があることに目をつけ、その別当寺
(神社の経営管理を行った寺)である常安寺から勧請の許可をもら
ったのです。

 怒った遠州の秋葉寺は常安寺を寺社奉行に訴えました。さあ遠州
秋葉寺が本山か、越後栃尾の三尺坊(秋葉神社)が本山か。世間か
ら大きな注目を浴びました。裁定は山名因幡守の担当でしたが、そ
の背後には大岡越前守が見守っていました。大岡越前の日記にも記
載されています。その結果、栃尾の三尺坊は行法成就の地で「古来
の根元」、また遠州の秋葉寺は布教広風の地で「今の根元」と裁定、
いずれも本山であるという「大岡裁き」となったのでした(新潟県
長岡市栃尾観光協会)。

 ここで三尺坊の火伏の不思議な話を2,3記します。ある時、京
都で大火事が発生、天皇のいる御所に燃え移ろうとしました。その
時、突然白狐に乗った三尺坊が現れ、持っていた羽団扇を振って火
の手の向きを変えたという。あ然としている天皇を尻目に炎の中に
飛び去ったという。その功により、正一位の位を授けられたという。

 また別の説もあります。中御門天皇の時代、御所が大火にみまわ
れたことがあるという。その時天皇が「火防の法を使う秋葉三尺坊
はどうした」といいいました。すると「秋葉三尺坊これにあり。し
かし無位無冠の身のため、しゃしゃり出るのは遠慮して候」との声。

 そこで正一位を授け、防火の勅願所にしたのだという。ところが、
この天皇が在位した正徳元年(1711)〜享保20年(1735)3月ま
での間、御所が焼けた記録がないという???。ありゃりゃ、これ
はどうしたものでしょう。



▼秋葉山【データ】
★【所在地】
・静岡県浜松市。天竜浜名湖鉄道天竜二俣駅の北北東15キロ。標
高点885m。遠州鉄道西鹿島駅からバス、秋葉神社停留所下車、さ
らに歩いて2時間で30分で秋葉寺。さらに15分で秋葉神社上社。
★【位置】
・秋葉寺:北緯34度58分38.42秒、東経137度52分14.19秒
★【地図】
・2万5千分1地形図名:秋葉山



▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典22・静岡県』小和田哲男ほか編(角川書店)
1982年(昭和57)
・『山岳宗教史研究叢書17』五来重編(名著出版)1983年(昭和58)
・『神社辞典』白井永治ほか編(東京堂出版)1986年(昭和61)
・『図聚天狗列伝・西日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和52)
・『図聚天狗列伝・東日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和52)
・『修験道辞典』宮家準(東京堂出版)1991年(平成3)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本歴史地名大系22・静岡県の地名』若林淳之ほか(平凡社)
2000年(平成12)年

 

…………………………………

【とよだ 時】 山と田園風物漫画
……………………………………
 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】制作処
山のはがき画の会

 

目次へ戻る
………………………………………………………………………………………………