【全国の山・天狗のはなし】  

▼24:群馬県の山

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▼07:夜中に羽音がする…、迦葉山の天狗中峰尊者」

【略文】
上州迦葉山も天狗で売っている山です。いまでも夜中に天狗の羽音
がするとか、ゆうべ天狗に会ってきたとか山ろくの弥勒寺の和尚さ
んがのたまいます。天狗の名は迦葉山中峰尊者。前身は弥勒寺の中
興の祖天巽慶順の弟子中峰と伝え、小田原最乗寺道了薩たの弟分だ
という。
・群馬県沼田市。

▼07:夜中に羽音がする…、迦葉山の天狗中峰尊者

【本文】
 上州(群馬県)の迦葉山(かしょうざん)も天狗で売っている山
です。天狗の名は迦葉山中峰尊者(ちゅうほうそんじゃ)。いまで
も夜中に天狗の羽音がするとか、天井を歩きまわる音がするなどと
いっています。

 さすが天狗の山らしく、山麓の弥勒寺(みろくじ)には、たくさ
んの天狗の面が飾ってあります。天狗の中峰尊者はこのお寺の護法
(ごぼう)天狗なのです。その不思議さを地元の古記録『沼田根元
記』は次のように述べています。

 江戸時代前期の延宝7(1679)年、沼田真田氏五代めの藩主真田
伊賀守信澄が、山麓の村々の男たちを勢子として徴収、藩士、足軽
などを動員して、殺生禁断の聖地迦葉山に傲慢にも馬で乗り入れ狩
猟を強行した記録があります。

 勢子(せこ)たちは動物を追い立てて、竜華院境内に入った時、
「不思議や、山振動し、ひとむらの黒雲覆うと見へしが、一面に暗
闇となり、大雷雨鳴り響き、光の中に異形のもの数多現れ、何方の
勢子一人も、人心地なく倒れ伏す。伊賀の守も狩屋より転び落ちて
人心地なし。……伊賀の守にも信心肝に銘じ、迦葉山の方を拝した
まい、仏躰の三躰を納奉るべし。

無事に帰城なさしめ給へと、大音に三拝し給えば、(中峰)尊者感
応ましましけるにや、雷もしずまり、雨もやみけるゆえ、川場(村)
の方より御廻り、ほうほうのていにて御帰城あり。しかし有り難き
事には、仏法の山故、人夫まで一人の怪我もなく、帰りけるこそ不
思議なれ」とあります。

 光の中に現れた迦葉山中峰尊者が率いる天狗たちの神通力を見
て、さすがの伊賀の守もほうほうの体で逃げ帰ったというのです。
弥勒寺は、いまは曹洞宗ですが、かつては天台宗で開基は平安前期
だといいます。

 室町後期の文明7(1474)年、小田原大雄山最乗寺の第15代山
主だった天巽(てんそん)慶順(けいじゅん)という偉いお坊さん
が最乗寺から、迦葉山竜華院にきて曹洞宗に改宗、竜華院弥勒寺と
して再興させたと聞きます。

 天巽には中法(ちゅうほう)と呼ぶ弟子がいました。中法は特殊
な才能があり、弥勒寺再建の時も建築土木に超人的な働きをしたと
いいます。また酒好きの天巽師匠のため、毎晩、飛ぶように里に下
り酒を買ってきたという。

 世は戦国時代の明応7(1498)年、天巽慶順は87歳で他界しま
す。師を見送った弟子の中法は、突然、大天狗「中峰尊者」(ちゅ
うほうそんじゃ)の姿に変身、弥勒寺を守っているのだと伝えます。

 これは、小田原最乗寺の天狗話とよく似ています。そのため最乗
寺は弥勒寺の本家とされ、中峰は最乗寺の天狗道了尊(どうりょう
そん)の弟分とされています。

 そして、ここ迦葉山と東京の高尾山、栃木県の古峰ヶ原(こぶが
はら)の天狗は3人兄弟ともいわれ、ここは本家の2番息子という。
中峰尊者ははじめ、迦葉山の奥の院、和尚台山(三峰山)の頂上に
あらわれたのだそうです。



▼弥勒寺【データ】
【所在地】
・群馬県沼田市。JR上越線沼田駅の北13キロ。JR上越線沼田
駅からバス、迦葉山バス停から1時間10分で弥勒寺。地形図に弥勒
寺の文字のみ記載あり。
【位置】
・弥勒寺:北緯36度45分4.86秒、東経139度03分48.08秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「藤原湖(日光)」

▼【参考文献】
・『古代山岳信仰遺跡の研究』大和久震平著(名著出版)1990年(平
成2)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・『図聚天狗列伝・東日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和52)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)

 

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 (主に画文著作で活動)
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