【全国の山・天狗のはなし】  

▼08:役行者と天狗

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▼03:役ノ行者と久米の岩橋

【略文】
醜い姿の鬼神だという一言主の神。夜だけ働いたため、葛城・金
峰山間の岩橋が出来ず、怒った役ノ行者に呪縛されたと伝承され
ます。それを恨んだ一言主の神は文武天皇に告げ口。天皇は役ノ
行者を伊豆の大島に島流ししたという。その跡が岩橋山に残る久
米の岩橋だという。
・奈良県葛城市と大阪府河南町との境

▼03:役ノ行者と久米の岩橋

【本文】
 奈良県と大阪府の境の葛城山で修行していた役ノ行者(小角)
は、吉野金峰山から大峰山にも峰入りするようになります。する
と一般の人たちも行者を見習って葛城山と吉野金峰山の2大聖地
を目指して信仰登山をするようになりました。

 役ノ行者は空を飛び両聖地を行ったりきたりするのは苦ではあ
りませんが、普通の人が両方の山を往復するのは並大抵ではあり
ません。そこで、行者は民衆が楽に両山を行き来できるよう、葛
城山と金峰山の間の空中に岩の橋をかけてみんなを渡ってもらお
うと岩橋建造を計画します(『今昔物語集』第十一巻、役の優婆塞
呪を誦持して鬼神を駆る語第三)。

 早速人夫として全国から天狗や鬼神を集めるため、従者の前鬼
後鬼を派遣しました。すでに偉大な力を持っていた役小角行者の
言づてにはさすがの天狗・鬼神も逆らえず、渋々集まってきて早
速突貫工事がはじまります。鬼神たちは「自分たちは姿が見苦し
いので仕事は夜だけにしたい」と言い出しました。

 すると行者は働かされていた鬼神たちの中のひとり一言主神(ひ
とことぬしのかみ)を呼びつけ「なぜそんなことで一々、恥ずか
しがるのか」となじります。すると「そのくらいのことが分かっ
てくれないのなら、もうこんな仕事はできません」と持っていた
岩などを乗せたもっこを投げだします。

 怒った行者は一言主の神を捕まえ、葛の蔓で七まわり縛って呪
縛し、谷底に置き去りにしました。それを恨んだ一言主神は都人
(みやこびと)の魂に入り込み、京の町に「行者が世の中を混乱
させようとしている」とのうわさをふりまきました。うわさを耳
にした朝廷は、慌てに慌てて行者を捕まえようとします。

 しかし、行者は空を飛ぶため思うようにいきませんでしたが、
行者の親孝行を利用し母親を捕らえて、やっと従わせ伊豆の大島
に流すことができたという。そのため吉野金峰山への岩橋建設計
画は中断してしまったという。

 その時の作りかけ途中のあとが大和葛城山近くの岩橋山にある
「久米の岩橋」(大阪府河南町側)だというのです。そこには付近
にはない大岩が橋の基礎らしく金峰山方向に築いてあります。し
かし、なんとも乱暴な積み方ではありませんか。思わず笑ってし
まいました。この話は「今昔物語」第十一巻、第三や、そのほか
の古書に載っている物語です。なお、中里龍雄は「役ノ行者の大
峰伝説・上」(「旅と伝説」)のなかで岩橋は大峰山の山上ヶ岳「西
の覗き」付近から金剛山方面へ駆けようとしたのだとしています。



▼岩橋山【データ】
【所在地】
・奈良県葛城市(旧北葛城郡当麻町)と大阪府南河内郡河南町と
の境 近鉄南大阪線尺土駅から歩いて2時間30分で岩橋山。三等
三角点(標高658.8m)がある。
【位置】
・三等三角点:34度29分36秒、東経135度40分45.2秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「御所(和歌山)」
【参考】
・『役ノ行者御伝記』広安恭寿著(藤井文政堂刊)1908年(明治41)
・『役行者伝記集成』銭谷武平(東方出版)1994年(平成6)
・『今昔物語集』第十一巻、第三:日本古典文学全集21「今昔物語
集」校注・馬淵和夫ほか(小学館)1995年(平成7)
・『図聚天狗列伝・西日本篇』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭
和52)
・「旅と伝説」1928年(昭和3)5月号(三元社):「民俗学資料集
成・第1巻」収納

 

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】制作処
山のはがき画の会

 

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